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平松愛里「美し都」(1995)

東日本大震災から10年経つんですね。当時は名古屋に単身赴任しておりましたが、名古屋でも震度3~4の揺れを感じました。てっきり関東圏での大地震かと思い、千葉の自宅に電話するものの、確か4,5時間くらい電話が繋がらなかった記憶があります。

私自身は阪神・淡路大震災を経験しております。

1995年1月17日、私は休暇を取り、千葉の自宅に居りました。そして何も知らずに早朝、車で西宮の独身寮へ向かいました。異変に気付いたのは名古屋辺りを過ぎた頃・・・。
しかし今更引き返すことも出来ず、とにかく西へ走り続けました。そして当日の夜、奇跡的に西宮に辿り着いたのです。

もうその日の出来事は殆ど覚えていないのですが、後から考えると、恐らく周りは火災が発生したり、家々が倒壊していたりと、相当な状況だったのだろうと思われます。
それから数ヶ月、断水のため、梅田のスポーツセンターのシャワーを借りるために毎朝並んだり、余震に怯えたり、モノを買うために大阪へ歩いていったり・・・。
でも振り返るとあっという間に過ぎた数ヶ月だったような。そして私はその年の5月に結婚し、西宮から神戸に移り住みました。それから復興するKOBEと共に過ごした3年はいろいろな意味で私にとっては充実していました。

被災から3か月後に発表されたのがこの曲、平松愛理美し都」。平松さん自身も神戸出身で、ご実家が被災されたとのこと。

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この曲、作詞は阿久悠、作曲は平松愛里。恐らく阪神・淡路大震災を経験していない方はこの曲を聴いて、なんだか白々しい曲だなあと思われるかもしれません。でも確実に当時の私、KOBEっ子(でもないのですが)を自負していた私は、この曲にどれだけ励まされたことか・・・。そして今でもこの曲を聴くと、あの当時のことが思い出されます。ちなみにこの曲のコーラスは岡村孝子沢田知可子大江千里島倉千代子が参加してます。

東日本大震災から10年、また足元コロナ禍にあり、自分自身が何かに励まされたい思いが強くなってきた頃、再びこの曲「美し都」が神戸から日本に変わり、生まれ変わりました。故阿久悠さんのご子息にも了解を得て、歌詞を神戸から日本に変えて、賛同されたファンの方々と歌っております。

東日本大震災に限らず、苦労した経験は後世に伝え、よりよい世の中にしていきたいものです。



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