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四人目のビージーズ。ビージーズになれなかった男。

3月5日はアンディ・ギブの誕生日。もうアンディのことを知らない方も多いでしょう。
でもビージーズのことはご存じかと思います。バリーロビンモーリスのギブ三兄弟のコーラス・グループですね。この三兄弟の下、四男にアンディがおりました。ロビン・モーリスが1949年生まれ、アンディは1958年生まれですから、9つも年が違っていたんですね。

1988年3月10日、アンディ・ギブ死去、享年30歳。私自身は殆ど彼についての思い出はありません。私が熱心に洋楽を聴き始めた頃には、既に彼の全盛期(70年代後半)は過ぎていました・・・。

そんな私がなぜ彼のことが気になったのか・・・。それはビージーズの1997年のある映像があまりにも素晴らしかったからです。最初、この曲「(Our Love) Don't Throw It All Away」はビージーズの曲かと思ってしまいました。
しかし、それはバリーの「This is the song for Andy」の一言ですぐに理解できました。そしてアンディの幼少期の映像と、メロウなバラード・・・。その感傷的な状況下、1分45秒のところでアンディが登場します。ヴォーカルはアンディ…。絶品ですね。
なぜ愛しい弟を救うことが出来なかったのか、ビージーズ自身も相当苦悩したと思います。そういった思いが現れた、見事なトリビュートライヴです。

もちろんこの楽曲は1978年のアンディのセカンドアルバム「Shadow Dancing」に収録された名バラード、邦題「愛をすてないで」ですね。バリーとBlue Weaverの共作。アンディのヴォーカルはビージーズそのもの。

それにしてもアンディ、かっこよすぎた…。

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1977年、全米での実質的なデビューシングル「I Just Want To Be Your Everything」がいきなり大ヒットを記録します。

ちなみにこの時のバックバンドは初期のペイジス。AOR好きならご存じなバンドですね(↓ 詳細はこの記事をご参照下さい)。

ビージーズ3兄弟とは違い、一気にアイドル扱いされて、スターダムにのし上がってしまったことが、逆にアンディを悩ませ、つらい結果となってしまいます。
晩年のアンディはコカイン中毒症に陥ってしまいます。アンディの最後の公式シングルは、1981年に発表した、当時の恋人であったビクトリア・プリンシパルとのデュエット「All I Have To Do Is Dream」。エバリーブラザーズの名曲ですね。

ビクトリアとは結局破局に…。以降、アンディは重いうつ病にも悩まされていきます。そして1987年9月9日、破産宣告を受けてしまいます。
以下の映像は1987年12月のビージーズの「You Win Again」という楽曲の直前のシーン。この映像ですが、アンディが映っているとのことでチェックしたのですが、最初は気付かず、もう一度見てみると、冒頭、司会者に挟まれた小太り男性が「See my brother」と言っているではないですか! え、まさか、これがアンディ・・・(絶句)。

そしてこの3ヵ月後にアンディは心臓発作で亡くなります。
実は長男バリーの念願だったアンディのビージーズへの加入が決まっていたのですが、結局その願いは叶いませんでした。
そういった経緯を踏まえて、再び一番最初にアップした映像を見ると、感慨深いものがあります。映像上のアンディを見る、バリーの優しいまなざし、そしてアンディのヴォーカルを支える3人のギブ兄妹、なんて優しいコーラスなんでしょう
そして現在、ロビンもモーリスもいなくなり、ビージーズはバリー一人となってしまいました。

最後にバリーの念願だった4人のビージーズ。ビージーズ&アンディという形ですが、4人のステージをどうぞ。



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