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George Harrison「Somewhere in England」(1981)

急に肌寒い朝になってきました。季節の変わり目、体調管理には注意したいものですね。

さて、最近はAmazon Musicで洋楽を聴き始めた頃の楽曲を聴いてます。今日はその中の1枚、ジョージ・ハリスンの曰く付きの1枚をご紹介します。
ちょうど洋楽を聴き始めた頃、1980年12月、ジョン・レノンが暗殺されてしまいました。確か当時、ジョンの「Starting Over」がヒットし、その死を挟んで「Woman」がシングルカットされたかと思いますが、「Woman」の切ないメロディは、中学生の私でも、ジョンの死の悲しみを一層掻き立てるものでした。その後、ジョンの追悼歌として発表されたジョージの「All Those Years Ago」は、明るいブギー調のポップソングで、これまた私の心を捉えました。

今日のアルバムは、そのシングルが収録されたアルバムです。

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こちらは発売当時のジャケット。実は本作、一度制作したものの、レコード会社から「もっと市場ウケするテンポの良い曲を」とのダメだしを喰らってしまい、結局、4曲が差し替えられて(①④⑥⑦が新たに加えられた楽曲)、ジャケットまで変更させられてしまったという残念な1枚。その再編集作業中にジョンが亡くなってしまい、ジョージもしばらくはレコーディング作業が続けられなかったとのことですが、最終的には本作、1981年6月に発売に至ります。
尚、元々のジャケットは以下のもの。ちょっと暗いイメージと思われたのでしょうか。ジョンのダブル・ファンタジーの国内盤LPの帯ウラには、このジャケットが印刷されて、ジョージの新作発売予定…と書かれていたので、ホントに発売直前まで行ったのでしょう。

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アルバムトップは新たに加えられた楽曲の①「Blood From A Clone」。明るいポップソングですが、スカのリズムがさり気なく盛り込まれていて、なかなかの佳曲。

コーラスがどことなくビーチボーイズ風な②「Unconsciousness Rules」。メロディもポップだし、後の「Cloud Nine」に通じるポップソング。

シングルヒットした④「All Those Years Ago」は、もともとはリンゴのために書いた曲を、ジョンの追悼曲に変更したもの。当然ドラムはリンゴ。コーラスにポールやリンダ、デニー・レインが参加。追悼曲なのに、爽やかなブギー調というギャップも成功の要因だったかもしれません。
MTVが重要な宣伝ツールとなり始めた頃、このPVは非常に印象的でした。ひょっとしたら私は、このPVで動くビートルズを初めて見たかもしれません。この曲のヒットは、曲の良さもさることながら、ビートルズ中心のPVも、その大ヒットに大きな貢献をしたかと思います。

非常に味わい深いナンバーの⑧「Writing's On The Wall」。
曲の後ろではシタールが鳴ってますね。ジョージはビートルズ時代にインド音楽に傾倒していきますが、私はその音楽には付いていけませんでした。あの当時、ジョージを先駆者に、サイケ音楽とインド音楽が結びついたようなラガ・ロックが流行りました。この曲は、ラガ・ロックとは無縁ですが、曲調といいアレンジといい、ジョージらしいナンバーかなと思います。

このアルバムにはジャズ・ピアニストのホーギー・カーマイケルの楽曲が2曲収録されてます。なぜホーギーなのか、ちょっと分かりませんが、その内の1曲が⑨「Hong Kong Blues」。
あの細野晴臣さんも1976年にカバーしてますね。まさかジョージが細野さんのバージョンを聴いてカバーした…なんてことはないとは思いますが、ジョージの解釈は、よりポップなナンバーにアレンジしてますね。

本作が、どこかチグハグな感じ、散漫な感じを与えるのは、制作し直したことが影響しているのでしょう。ただ、各々の楽曲はクオリティの高いものが多く、こうして聴いてみると、結構いいアルバムだったんだなあと感じます。
ジョージの生前最後のスタジオアルバムとなった「Cliud Nine」の大ヒットまではあと6年。まだジョージの不遇の時代は続きます。

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