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音楽の杜がおススメする邦楽

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人生の大半を音楽に注いできた「音楽の杜」がおススメする邦楽アルバム集
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#岡田有希子

桜咲き誇る中、38回目の佳桜忌

今年も4月8日、38回目の佳桜忌を迎えました。 もう佳桜忌だからといって、ここ数年は特段何かすることもなくなっておりましたが、特に今年は東京ではまだ桜が咲き残っている中での佳桜忌、かつ個人的に一昨日観たジェームス・テイラーのライヴで、人と人との繋がりの縁とか、人に対する優しさ、人間としてのあるべき生き方なんかを考えさせられたわけで、やはり(毎年でなくても)事ある毎に岡田有希子への感謝の念は表してもいいんじゃないかなと思った次第です。 私が音楽に目覚めていくきっかけとなったバ

EPO「DOWN TOWN」(1980)

元気印のポップス、EPOのデビューアルバムGW明けの週は疲れますよね…。ようやく金曜日(笑)。元気の素となるような音楽を聴きたいものです。そんなときことこのアルバム! 山下達郎、村田和人、竹内まりやと来ればEPOさんしかいませんね。1979年、東京女子体育大に入学したその年に竹内まりやの「September」のコーラス・アレンジを手掛ける。そして本作で衝撃的にデビューを果たします。 エイティーズファンにとってはお馴染み、「オレたちひょうきん族」のテーマソングとなった①「Do

杉真理「STARGAZER」(1983)

今年の夏は例年以上に暑かったですね…。ついついTUBEを聴く頻度が上がりました(笑)。毎年この時期にはTUBEを聴き返して学生時代を懐かしむのですが、今年は特に80年代に私が愛したシンガーソングライター、山下達郎、村田和人、佐野元春、杉真理、大江千里…なんかをよく聴いてました。 恐らく山下達郎~佐野元春辺りまでは洋楽ロックファンでもお好きな方は結構いらっしゃると思いますが、杉真理、ましてや大江千里までいってしまうと、もう聴かれている人も皆無かもしれません…。 でも杉真理はナ

岡田有希子「シンデレラ」(1984)

1984年、私が高校1年のときです。大好きでしたね~、岡田有希子。もともとデビュー当時から彼女のファンで、ファンクラブにも入っていたくらいの熱の入れようだったので、彼女が亡くなったときは大変なショックでした。以降彼女のファンであったことはもちろん、曲を聴くことさえ封印していたのですが、YouTubeが世間一般に普及し、過去の彼女の映像が見れるようになった頃、ようやく普通に彼女の曲が聴けるようになりました。 本作は彼女のデビューアルバムであり、珠玉のポップス集です。その中心に

岡田有希子「恋、はじめまして」(1984)

松田聖子の名盤に、思いのほか「スキ」を頂戴したので、特に今の方に知ってほしいアイドルをご紹介したいと思います。80年代を青春期で過ごされた方にとっては懐かしいと思われるでしょう。岡田有希子…。 私のブログには彼女のことも結構綴ってますが、まずはこの記事を引っ張ってきました。 先日、交流のあるブロガーさんが、あるエッセイ本を紹介してくれました。それは小泉今日子の「黄色いマンション 黒い猫」という本。もちろん私はキョンキョンのファンというわけではありません。この本、芸能人が書

岡田有希子「恋人たちのカレンダー」(1985)

昨日、4月8日は何の日だったかご存じでしょうか? 「佳桜忌(けいおうき)」…といっても殆ど誰も知らないと思うのですが、岡田有希子の命日でした。あれからもう35年が経ったんですね…(ユッコの本名、佳代と桜が満開になる時期から佳桜忌と呼ばれるようになりました)。 私は当時高校3年生、その日は入学式で在校生は休日でした。私はユッコのファンクラブに入っていた程の、デビュー以来のファンだったのです。ですからそれ以来、YouTubeが世に出てくるまで、彼女の音楽は一切聞くことが出来ませ

佳桜忌:岡田有希子 「Fairy」 (1985)

今年も明日、岡田有希子の37回目の命日を迎えようとしております。ファンの間ではこの日を「佳桜忌」と呼んでおります。 私の学生時代のアイドルはユッコこと岡田有希子でした。彼女がデビューしたときからのファンで、ユッコの音楽・アルバムは、単にアイドルが短時間で作り上げたようなアルバムではなく、永らく聴ける素晴らしいでした。 そういえばユッコの最期のヒット曲「くちびるネットワーク」も作詞:松田聖子(事務所の先輩)、作曲:坂本龍一と豪華な布陣でした。亡くなられた教授は当時からこういっ

【佳桜忌】もうあれから36年…

こちらには洋楽中心に記事をしたためているので、今日の記事に違和感を持たれる方が多いと思います。 4月8日、本日は佳桜忌、あの時代のアイドル、岡田有希子の命日なんです。彼女のデビュー以来のファンであった私はあの日、通っていた高校の入学式で、在校生であった私は休みで家でまったりしておりました。 それが昼過ぎのニュース速報で彼女の突然の死を知るのでした。 その日以来、彼女の楽曲は一切聴くことが出来ず、以降10数年、彼女のファンであったことを封印していた時期がありました。 私が