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「声」が聞こえてくるエッセイ

こんにちは、ゆのまると申します。

ランチを食べながらお散歩していたら、近所の幼稚園も公園も、桜が満開でした。

あいにくの曇り空で写真に残すのは難しく、その分しっかりと目に焼き付けてきました。公園には屋台が出て何やら音楽も聞こえてきて、ずいぶん久しぶりに「お花見」の空気を味わえた気がします。


パート先では、お昼休憩がたっぷり一時間あります。

黙食のため、それぞれ壁に向かって座っていて、集まってテーブルを囲むこともありません。コミュ障としては嬉しい限り。皆、めいめいに過ごしています。

買ってきたお昼ごはんを食べ終わると、午後の仕事が始まるまでのしばらくの間、エッセイを読んでいます。

それがこちら。女優の小林聡美さんのエッセイ、『聡乃学習サトスナワチ  ワザヲナラウ』です。

五十代を迎えた小林さんが、迫りくる老いに備えて岩盤ヨガを習ってみたり健康体操教室に通ってみたり、深夜に闖入してきた虫と格闘してみたり。一遍は五、六ページと短く、エピソードはいずれも共感できるものばかり。どこから読んでもフッと気が抜ける、そんなエッセイです。


私が女優の小林さんと出会ったのは、みんな大好き、映画『かもめ食堂』です。

初めて観たのはたしか学生の時で、その頃は特に大きな事件も起きないこの映画に、なんだか肩透かしを食らった気がしました。しかし社会に出て心が荒んでいくにつれ、リフレッシュに欠かせない作品となりました。

じゅうじゅうとトンカツが揚がる音、画面のこちら側までいい匂いがしてきそうな、シナモンロールを作る場面。今でも、気持ちを空っぽにしたいような時にはDVD(あえてBDではなく)を引っ張り出してきては、ぼんやりと眺めています。

『かもめ食堂』でサチエを演じた小林さんが書かれたエッセイを読んでいると、自然と頭の中に「あの」喋りが浮かんでくるんですよね。

抑揚が強いというよりは、一本芯の通った、それでいて柔らかさのある語り。このエッセイでは段落が少なく、ダダダっと話すように書かれているからこそ、その印象が余計に強いのかもしれません。


特に芸能人が書いたエッセイなどを読んでいると、この「声」はハッキリと聞こえてきます。

以前、ハリウッド俳優トム・ハンクスが書いた小説『変わったタイプ』を読んだ時にも、似たような体験をしました。

翻訳家によって書かれたものを読んでいるはずなのに、不思議と映画で聞き慣れた「あの声」が聞こえてくる(私はトム・ハンクスの映画の大ファンなのです)。小説を読んでいるのに映画を観ているような、そんな印象の作品でした。

これが普通の小説となると、私の場合「声」は聞こえてきません。ミステリーであろうと恋愛小説であろうと、文字は文字情報として入ってきます。

その作家さんの声を聞いたことがない、というのも原因の一つかもしれません。けれどもしインタビューを見たことがあったとしても、きっと小説そのものと作家さんの語りとは、切り離して読めるタイプです。

音楽センス、というか音への興味の高さというのも関係があるのかもしれませんね。夫にも聞いてみたところ、長年ピアノに触れてきた彼は、それがどんな読み物であっても、文字だけでなく音という情報も入ってくるそうですから。


noteではエッセイを書いている人がたくさんいらっしゃいます。私が書き散らしているものも、きっと分類すればそこに入るんだと思います。

芸能人なんかは除いて、大部分は顔も声も存じ上げない方々です。なので、ここでもやはり、私は「声」は聞くことはできません。

けれども、温度や肌触りといった、なんとなくのイメージは感じています。もし何かの機会でお会いするようなことがあれば、予想とは大きなギャップがあるかもしれないし、イメージ通りかもしれない。そうして想像を膨らませるのも、それはそれで楽しいことです。

繊細な感覚をお持ちの方の中には、文章を読みながら声をあてている方もおられるかもしれませんね、

もしかしたら、私の「声」が聞こえている人がいるのかも?

それはどんな速さで、どれくらいの高さで、固いのか、それとも柔らかいのか。

そんなことを考えて、ちょっとくすぐったい気持ちになった私なのでした。おしまい。

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