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自分に帰れる場所『イルマーレ』

「ちゃんと元気になって、帰ってくるから」

これは2年前、当時転がり込んでいた恋人の家の玄関先で、私が彼に言い放ったセリフ。今生の別れみたいな捨て台詞を吐いて出ていったくせに、その翌日にはけろっとして戻ってきた私を呆れながらも出迎えてくれた夫には、今でも頭が上がらない。

以前読んだ本に、”2-1=1のはずなのに、2-1=0になってしまう女性”が描かれていた。自分と恋人、別れてもひとりの生活に戻るはずなのに、恋人と離れると0になってしまう。そんな女性だ。

私はまさしくそのタイプだった。元々打ち込める趣味もなく、ひとたび好きな人ができると、気になる本も音楽も料理も、相手ありきになって好きな人が全てになってしまう。「僕の恋人である前に、あなたはひとりの人間だから」と言ってくれた夫は、そんな私の性格をよく知っている。

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久しぶりに自分の家に戻った私がしたことは、『イルマーレ』を観ることだった。心がざわついた時、元の自分に戻りたい時の私の儀式だ。

『イルマーレ』は2006年に公開された映画で、キアヌ・リーヴスとサンドラ・ブロック共演のファンタジー・ラブストーリーだ。

シカゴの大病院で働くため、お気に入りだった湖畔の家を引き払うことになったケイト(サンドラ・ブロック)。医師として忙しい毎日を送る彼女は、ある出来事がきっかけで深く落ち込んでしまう。そんな彼女を見かねた先輩医師のクリゼンスキー(ショーレ・アグダシュルー)は、「オフの日に、自分に帰れる場所に帰りなさい」と優しく助言する。久しぶりに湖畔の家を訪れた彼女に、以前の住人であるアレックス(キアヌ・リーヴス)との不思議な交流が始まる。

この映画は、自分の意思で選んで観た初めての洋画だ。

誰もが通る道だと思いたいが、中学生の頃、エスプレッソとかタバコとかイタリア語とか、なんとなく”大人っぽいもの”に憧れていた。「字幕で映画観るの、なんかカッコいいし」という単純な動機で洋画を探していて、雑誌の裏表紙に広告が載っていた『イルマーレ』を選んだ。

正直、その時にどう感じたのかはっきりとは覚えていない。下手すると、内容もあまりわかっていなかったんじゃないかと思う。けれど、学習椅子に座って慣れない字幕を追いながら、「これが大人の恋愛か……」とどきどきしたことは覚えている。

この時の私にとって、『イルマーレ』は”なんとなくカッコよくて大人っぽい映画”でしかなかった。しかし、大学生になって見返すうちに、じわりじわりと「お気に入りの一本」になっていった。

特に好きなシーンがある。主人公のケイトが、自分の誕生日にひとりでバーで飲んでいるとたまたま先輩がやってきて「夜10時以降にひとりで飲むのはマナー違反よ」とふたり並んで語り合う、というシーンだ。

それぞれに白ワインとマティーニを飲むふたりを正面から捉えたこのシーンに、私は撃ち抜かれた。くらくらするほどかっこいい。影響されやすい私は、友人や恋人の誘いを断ってあえて誕生日にひとりで飲みに行ったくらいだ。

ここ以外にも、夏のシカゴの街並みを散歩するシーンやしっとりしたダンスシーンもお気に入り。もちろん素敵なセリフもたくさんあって、思い出補正があるにしても、この映画を構成する全ての要素が大好きな作品だ。

ケイトにとっては湖畔の家が「帰る場所」だが、私にとってはこの映画が「帰る場所」だ。

幸いなことに、ここしばらくこの映画を頼る機会はなかったけれど、いつかまた自分の居場所を見失った時には、ここに帰ってこようと思う。

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私が映画を好きなのは、何にも邪魔されない「ひとりの時間」を作れるからだ。

もちろん、気の置けない友人と話題作を観に行って、カフェでワイワイ語り合うのも好きだ。でも、照明を落としたリビングで、じっとソファに丸くなって画面と向き合う時間は、また違った意味で自分を満たしてくれる。

人はどうしても、誰かと一緒にいる時には「何者か」になってしまう。

○○課長。△△ちゃんママ。パートのなんとかさん。社会に出て活動していると、そうやっていくつもの名前で呼ばれて、そのたびに違う顔をする。

趣味と呼ばれるものはなんだってそうなのかもしれないが、映画は特に「自分」ひとりでその世界に没入することができると思う。あらゆる作品の前では、「○○の顔」を気にすることなく思ったままに感じていい。


今回、「#映画感想文」というハッシュタグを見て真っ先に浮かんだのが『イルマーレ』だった。数は少ないが私にとって大切な作品はまだあるし、映画に触れるきっかけをくれた父とのこともいつか話したいと思う。

Filmarksも使ってはいるけれど、noteではどんな映画感想文に出会えるのか。このタグを巡回していくのが楽しみだ。


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