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【日記】開き直って、つよくなる

こんにちは、ゆのまると申します。


夫不在の日曜日。帰宅時刻未定で紙をしに行きました。

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「紙オタク」というもうひとりの自分を宿している夫は、時々こうして乗っ取られます。ちょっとの不調もなんのその、「紙すりゃ治る」と出かけるのは構わないのですが、体はひとつしかないのでもう少し気を遣ってほしいところです。

少し前までは(コロナ前の話です)、仕事終わりも週末も、あっちへふらふらこっちへふらふら。雑居ビルにあるカードショップを練り歩いている夫に、面白くない気持ちを抱いたこともありました。そりゃもう。「半日以上何してるの」と問い詰めると、「紙」と返ってくる始末です。

しかし入籍して1年半ともなると、こうしてひとりの時間ものんびり過ごせるようになりました。パジャマや枕カバーなんかをまとめて洗濯して、お菓子食べてうとうとして。「亭主元気で留守がいい」……とまでは言いませんが、彼もそうして好きなことをしてリフレッシュできるのであれば、その方が家庭はきっと円満です。ねぇところでその光る紙いくらしたの。

あ、ちなみに私がnoteに書いているものは全部夫に読んでもらっていますので、ご心配なく。


今日はもうひとつお話を。

昨日アップした穂村さんの話ですが、完成までがなかなか大変でした。

まずwindowsくんが不機嫌になり、突然更新を始めて1時間フリーズ。このところ調子がいいと思っていたのですが、そのツケが回ってきました。

やっと更新が終わって記事を書き始めたら、9割方書き上げたところで全消失。私の操作ミスだとは思うのですが、この時はパソコンをぶん投げたくなりました……。今日は、こまめに保存しながら書いています。

忘れないうちに泣きながら書き直し、やっと完成。気付くと構想を思いついてから半日近く経っていました。わ、私のどようびが。


しかし、もともと思い入れが深い話なこともあって、出来上がった記事は、私にとってはかなりお気に入りです。そして読み直してみて、やっぱりこういうトーンが好きだな、と思いました。

客観的に見るとどうかはわかりませんが、ひたすら事実だけを積み重ねていって、感傷に浸りすぎない。そういう淡々とした文章が、私は好きです。固定ページに置いてある「レール」記事とか、「#スポーツがくれたもの」のために書いた「プール」記事とかも気に入っています。

でも、穂村さん記事を書いて、前向きに諦められたことがありました。


投稿したあと、タイムラインの記事を読みに行ったのですが、そこでハッとする記事を見つけました。「あぁ、これは自分には書けない」という類の衝撃です。

その方はいつも素敵な文章を書かれるのですが、その記事は特に、その方の真骨頂という印象を受けました。かわいらしくて、瑞々しくて、光の中でさまざまな色を反射するビー玉のような。カメラに詳しくはないのですが、私の文章を「事実を記録するデジタルカメラ」とすると、その方の文章は「トイカメラ」といった感じです。

「私には、こんなふうに世界を見ることができない」ーー今の自分に書ける、お気に入りの一本を書いた直後だっただけに、その事実をまざまざと思い知らされました。

しかしそれと同時に、こうも思ったのです。「この人のようには書けないけれど、この人にも私の文章は書けないはずだ」と。


感想文、部活の記録ノート、交換日記、小論文、二次創作、詩歌、日記など、今までいろいろなものを書いてきました。でも、こうしてコンスタントに文章を書いているのは、人生で初めてです。

物書き素人の感想として聞いていただきたいのですが、文章って本当に、十人十色だなと思います。

もちろん、テクニックや構成のポイントなどを学んだ器用な人であれば、ある程度は誰かの文体を真似することもできるのかもしれません。しかし、句読点の置き方や言葉の選び方、なにより物事をどう捉えるかは、人によって違います。絵も同じかもしれませんが、ふたつと同じ文章が生まれないのは、そういう理由かと思います。

不思議なことに、これだけたくさんの人がいるのに、表現の仕方はそれぞれ違います。そもそも、同じ物事を経験し、同じ見方をする人はおそらく、自分の他にいないはずですからね。


「書くのが好きで好きでたまらない、他の人が何を書こうが関係ないわ!」というメンタル強者以外は、「自分の文章は、自分にしか書けない」という半分開き直った気持ちで書くしかないのかもしれないなぁ、と思いました。

おしまい。


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