大学4年間を振り返ってみた。
こんにちは。夕霧です。
私はあと2週間で大学を卒業する、大学4年生。この4年間、色んなことがあったなあ……ということで。
卒業の前に、私の大学時代を簡単に振り返ってみようと思います~~!!!
いえーい!ぱちぱちー!!
それでは早速行ってみましょう!
大学1年
地元の国立大学に入学した私ですが、入学時、マジで知り合いが一人もいませんでした。他の学部には高校のクラスメイトが何人かいたものの、私の学科には一人もいなくて……
と思っていたら、同じ高校の他クラスの男子や、1学年上の先輩が同学年で入ってきていました。大学だからこそ有り得るやつ。
それでも知り合いがいなかった私に、一番最初に声をかけてくれた子と初めて友達になりました。その子とはバ先が同じだったり、今でもちょこちょこご飯を食べに行ったりするような仲で、唯一と言って良い大学内の友人です。
入学当初は学科のいろんな人と仲良くなろうと頑張ってはいましたが、数少ない実家暮らしで家も遠いので早く帰らなければならず、なかなか同期達のコミュニティに入っていくことが難しかったです。
皆は大学近くで一人暮らししてたり、寮に入ってる子が多かったので。夜もみんなで集まって遊んだりしていたみたいです。
皆が特定の人たちとつるみ出したときでも、私は基本一人行動をしていました。取ってる授業も全然学科の人がいないやつだったし。
でも、後期になると、英語のクラスが同じになった同学部他学科の女の子と男子2人と、4人でよく一緒にいるようになりました。
一緒にご飯食べたり、4人でスノボに行ったり。私が4年間で唯一、「大学生らしい」友達との遊びをしていた時期です。
ただ、全員学科が違うというのもあり、取っている授業も勿論違うので、常に一緒にいるわけではありませんでした。
後期に関しては、私はその4人以外の人とあまり話していませんでした。笑 空きコマは自習スペースか図書館で課題。学科の必修もありましたが、特に誰かと話すわけでもなく、とりあえず行って授業受けて、そのまま帰ってました。
まじで最初から友達が少ない幕開けをした、私の大学生活。あと3年間、どうなっちゃうの~?
大学2年
大学2年からはキャンパスが変わったので、キャンパス付近で一人暮らしを始めました。
ただ、私が大学2年生になった春、2020年は、コロナの流行が始まった年。
4月になっても予定されていた授業やオリエンテーションは行われず、すべて延期になってしまいました。
当時はZoomなども主流ではなかったので、機械音痴な学科のおじいちゃんたちは四苦八苦していたことでしょう。この年から私はnoteを始めましたね。
ただでさえ友人が少ない私は、オンライン授業が始まっても、誰かと会うことなく、ひたすらに自宅で過ごしていました。
普通に人と会うことが当時は怖かったし、別に会うような人もいなかったので。とにかく家から一歩も出ずに、キャンパス付近ライフを送っていました。
それでも5月頃から少しずつ授業がオンラインでスタートし、対面でやる予定だった実験などもオンラインに切り替わりました。私は基本対面授業が好きなので、オンラインは結構きつかった印象です……気抜くと寝ちゃうし。
ただ、コロナ禍だったからこそ良かった点が1つだけあります。
それは、今の恋人と付き合えたこと。
元々同じ学科の同期だった彼と、オンライン授業で振り分けられたグループが同じで。半年間グループが変わらなかったので、そこで仲良くなり、お付き合いするまで関係を発展させることに成功しました。
正直、コロナが無ければ今頃付き合ってはいなかったと思いますね……御縁というものは不思議なもんで。
夏頃に彼と付き合い始めてからは、積極的に外にも出るようになりました。
後期からは一部対面授業も始まりましたが、大学では基本1人行動の私。友人関係には特に進展もなく、ザ・ぼっち生活を謳歌していました。
2年生の時の思い出というか記憶としては、やっぱり彼といた時間が一番長かったですかね。
ほぼオンラインだったこともあり、学科の同期達とはますます疎遠になっていたため、私は大学で友達を無理に作らないことにしました。既に出来上がっているグループの中に入っていくのは、もう無理なんすよそれは。
とにかく、彼のおかげでまだ楽しく過ごせた大学2年でした。
大学3年
3年になると、ほとんどの授業で対面が復活しました。彼とはここから遠距離がスタート。
やはり友達がいない私、かろうじて話せる子たちの近くで授業を受けていました。ほとんど午後休だったので、午前中だけ学校に行って、午後はバイトや自動車教習所に行っていましたね。
そう、大学3年にして、ようやく免許を取るために車校に通い始めました。前期の3か月間真面目に通って、無事夏休みには免許を取ることができました~!!車校は正直大学よりも行くのが楽しみでした。教官の皆様もすごく優しくて、めっちゃ褒めてくれたし。
今は車を持っていないのでほぼペーパーですが、定期的に運転しないとマジで運転できなくなっちゃいそうですよね。それも怖いのでたまにはレンタカーで遠出とかありかもしれません。
そして、3年生になってから、1年ぶりにまたバイトを始めました。唯一の友人に誘われて、街の大人気ケーキ屋さんで2年弱働くことになります。
このバイト先のケーキ屋さん、お店としても勿論素敵なんですが、職場としても最高で。
オーナー夫妻もパティシエの皆さんも、サービススタッフの皆さんも本当に優しくて、いつもバイトに行くのが楽しみでした。
時々試作品や新商品の味見なんかもさせてもらえて、めちゃくちゃ幸せだった。卒業までに何回か行きたいです。
3年次編入で遠距離になった彼とは、1か月に1回のペースで会っていました。やはり2年生の間はほぼ毎日のように会っていたので、二人とも寂しくて。
お互いに月1で行き来して、デートしたりしてました。
今でこそ慣れましたが、当初はマジで大変でしたね。それでも3年生はまだ暇が多かったので、会いやすかったかもしれません。
そして、3年後期からは研究室に配属になりました。これが私の暗黒地獄(笑)の始まりになろうとは……
3年の間は、週に2回ほど研究室に来て、先輩から実験を教えてもらっていました。授業も勿論あったので、そんなに本格的ではありませんでした。そのせいもあり、暗黒地獄(笑)に気付かなかったのかもしれません。
3年生の時は卒業単位を取るために取れる限界くらいまで授業を入れていたんですが、それまでの3年間の中で一番成績がいい年でした。頑張ったね、私。
大学4年
4年というか3年というかの時期から、就活を始めていました。
大学院に進学しない私にとって、将来働く場所を見つける大事なイベント。ただ、周りは院進組ばかりだったので、ここでもザ・ぼっち就活生になっていました。
3年の12月か1月くらいからちょこちょこ始めて、3月の就活情報解禁と同時に本格的に説明会や選考に参加するように。就活自体は4年の6月で終わりましたが、その数か月間、まあ~~~きつかったこと。
自分一人で情報を集めないといけなかったし、つらさや大変さを共有できる相手もいなかったし。めっちゃつらかった。しかも、研究室にも勿論行かないといけなかったので、そこの板挟みにも遭ってたり。
毎日毎日泣きながら、何とか生きていました。私にとって大学4年の1年間は、大学生活の中で一番泣いていた1年だと思います。私の就活に関しては、noteにもちょこちょこ書いてきました。
とりあえず就活が終わると、研究室の方が今度は本格的になってきました。夏頃はまだ余裕がありましたが、後期になるともうそれはそれは大変で。
何回も研究テーマが変わり、その度に実験は1からやり直し。
……マジで、何回も心折れてます。
就活で聞かれた「人生における挫折」にこれを使いたかったくらいです。就活終わった直後にこれが来たのはまあまあしんどかったなあ……
それでも、学問的探求は好きな方なので、研究自体は楽しかったです。学部生とはいえ、世界で誰も知らない事実を自分が確かにすることができるかもしれない、という可能性。それが上手くいけば、先生に学術論文にしてもらえます。
なんだかんだ穴埋め実験みたいになってしまいましたが、なんとか研究発表自体は乗り越えられました。予想通りの結果にもなったし。
今は追加実験の内容も含めて、論文の形にしているところです。これがまあまあ大変なんですけど。
実験や研究自体は好きなので一度は大学院進学も考えましたが、先輩方を見ていて「この研究室ではあと2年なんていられない」と思ったのと、「早く社会に出て働いて自立したい、両親の手から離れて生活したい」という気持ちの方が強く、就職を選びました。
先程も少し触れましたが、私の学科では院進率が8割を超えており、ほとんどの人が内部もしくは外部の大学院に進学します。
しかし、私は就職を選んで本当に良かった、と思っています。
その理由は、研究室にいるだけでストレスがたまることに気が付いたから。
ちょっとここから愚痴になりますので、次の見出しまで適当に読み飛ばしてください。
実験や研究そのものが大変なのは勿論なのですが、主にストレスの原因は人間関係にありました。別に研究室メンバーと仲が悪いとかそういうことではありません。
単純に、私の性格と彼らの性格が合わなかっただけです。
うちの研究室ではコアタイムが9時~18時に設定されています。そこまで厳格ではないのですが、私は基本的に9時前には来るようにしていました。
ただ、唯一のB4同期や唯一のM1先輩は、ほぼ毎日遅刻。1時間2時間遅れてくるのは当たり前です。まあ、それは個人の実験スケジュールとかによるので、まだいいです。
困っていたのは、週1で開催される報告会にも平気で遅刻して来ること。3人一緒に先生の居室で報告をするのですが、2人が叱られているとき私も必然的にその場にいるので、一緒に叱られてるみたいな気分でした。後半の方はもう諦めていました……
更に、この2人はかなり締め切りなどにもルーズだし、先生からのメールも余裕で無視します。先輩に「先生からこれ頼まれてましたけど、どうなってますか?」と聞くと、大抵「忘れてた」と言います。忙しいから見落としてるのかと思ったら、研究室にいる間は寝てるかスマホ弄ってるかなので、「なんなんだこの人……」と思うようになってしまいました。
同期に関してはもうどうしようもなく、「朝起きられないから電話してくれ」と頼まれたから電話しても出ないし、出たとしても研究室に来るのは数時間後だったりします。先生も大変困っているようで、注意しても遅刻やメール無視、予定をドタキャンする癖は治らないようです……
他にもいろいろとありまして、私はこの2人と毎日常に同じ部屋で過ごすことが苦痛でした。決して表には出しませんが、正直しんどかったです……
2人がやらなかった仕事の尻拭いをさせられたりするのは日常茶飯事だったので、マジで毎日禿げそうになりながら、泣きながら過ごしていました。
でも、もうそんな生活も終わり。来月から新たな地で社会人!!!
マジで就活頑張って良かった。大学4年を無事乗り切った私に、自分でご褒美あげたいくらいです。
なんだかんだ楽しかった大学生活
まあ、ここまでいろいろと書いてきましたが、大学生活の4年間はあっという間でした。恐ろしいくらいに。
今気が付いたらもう3月になって1週間終わってるし。
最後の1年はかなりフィジカル的にもメンタル的にもしんどかったし、何回も「こんな生活するくらいなら死んだほうがマシだ」と考えました。
でも、社会に出ることが決まってからは、そこに対する希望だけでなんとか生きてくることができました。
友達はそんなにできなかったけど、大好きな彼氏に出会えたし、常連のお店で認知貰えたし、やってみたいことは見つかったし、自分なりに楽しんだ4年間だったのではないかと思います。
卒論はまだできてないけど卒業単位は確定したので、どんな完成度の卒論でも卒業できちゃいます。やったね。
それでも、最後まで自分の納得できるレベルまで論文を仕上げてから卒業したいと思います。せっかく1年死にかけながらやってきたので、後輩たちにその論文を読んでもらったときに、「この人頑張ったんだなあ」と思われたい。笑
まあ、陰キャらしく楽しくやれたんじゃないですかね。大学生活に心残りや悔いはあまりありません。もう次のことしか考えてないので。
卒業しちゃったら「どこにでもいる大学4年」というnoteの自己紹介文も変えなければ。「どこにでもいる社会人」になるのかな。笑
来月の今頃は、もう新入社員研修が始まっていることでしょう。その近い将来に思いを馳せつつ、やり残していること(卒論)(引っ越し準備)(掃除)を残された期間で頑張りたいと思います。
それでは、今回はこの辺で。
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