気管切開という決断。生活が変わる怖さ。

社会人になってからのこと。

けいれん発作が起きて倒れ、呼吸が止まってしまう大事件がありました。

挿管して口から人工呼吸器が取り付けられました。意識がなく、この頃の数日の記憶は全くありません。
SMAという病気で、もともと呼吸の筋力が弱かったせいもあり、意識が戻っても、人工呼吸器を外せるレベルの酸素の値には戻りませんでした。

そして、気管切開を医師から勧められました。

この頃の私の意識はまだどこかふわふわしていて、気付いたときには、気管切開を提案されていた、という感覚です。
ふわふわしていて、自分の置かれてる状況もはっきりわかってない中で、気管切開をする、という決断を迫られていました。

私は、気管切開をしたくありませんでした。いやでした。

手術すること自体は怖くなくて、生活が変わってしまうかもしれない、という怖さ。
気管切開をしたあと、人工呼吸器がはずせるのか、仕事も、一人暮らしも、できるかわからない。
そんなことばかり頭にあって、なかなか決断することができないでいました。

口から人工呼吸器が着いてて、ベッドに寝たきりで、向きたい方向も向けなくて、天井とカーテンしか見えない。病室から一歩も出れない。

そんな生活がしばらく続いたある日、ふと、
「このまま病室に閉じ込められて死んでいくのは、いやだなぁ」
という思いが、頭の中に浮かんできました。

このまま何もしないでいたら、病室から出ることすらできない。元の生活に戻れる可能性はない。
先はわからなくても、元の生活に戻れる可能性がちょっとでもある方を選ばなきゃ。

そんな風に思えるようになって、気管切開を決断することができました。

先がわからなくて不安だらけな決断だったけど、あのとき気管切開という決断をしたことで、今、仕事をしたり、(コロナじゃなければ)好きなとこに行ったり、友だちに会ったりすることができています。
(一人暮らしはまだ叶えられていませんが…。親から離れて暮らすことはできています。)

気管切開という決断。残念ながら、人工呼吸器から完全に離れることはできなかったけど、その決断のおかげで、私は今も生きています。

#障害 #SMA #難病 #車いす #気管切開 #人工呼吸器

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?