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脊髄性筋萎縮症(SMA)とぼちぼち付き合いながら生きています。エンジニアとして働いてい…

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脊髄性筋萎縮症(SMA)とぼちぼち付き合いながら生きています。エンジニアとして働いています。 #電動車いすユーザー #吸引器ユーザー #人工呼吸器ユーザー #気管切開 #声が出ない

マガジン

  • 車いすと、気切と、それから呼吸器。~with SMA~

    脊髄性筋萎縮症(SMA)で、電動車いすユーザーで、気管切開をしていて声が出なくて、夜だけ人工呼吸器を使っていて、企業で働いている。そんな私の、自分のこと、思っていることを書いていきます。

最近の記事

車いすと、気管切開と、人工呼吸器と。それぞれへの思い。

私は、電動車いすユーザーで、気管切開をしていて、夜だけ人工呼吸器を使っています。 どれも自分の障害を補い、アシストしてくれるものだけど、車いすに対しての思いと、気管切開・人工呼吸器に対しての思いは、違っています。 私にとって、車いすは、自分の仲間、「自分の味方」だと言える存在です。 けれど、気管切開・人工呼吸器については、「自分の味方」とは思えていません。今のところは。 車いすと同じく、自分をアシストしてくれるモノだから、気管切開も人工呼吸器も、「自分の味方」だと捉えて

    • 気管切開という決断。生活が変わる怖さ。

      社会人になってからのこと。 けいれん発作が起きて倒れ、呼吸が止まってしまう大事件がありました。 挿管して口から人工呼吸器が取り付けられました。意識がなく、この頃の数日の記憶は全くありません。 SMAという病気で、もともと呼吸の筋力が弱かったせいもあり、意識が戻っても、人工呼吸器を外せるレベルの酸素の値には戻りませんでした。 そして、気管切開を医師から勧められました。 この頃の私の意識はまだどこかふわふわしていて、気付いたときには、気管切開を提案されていた、という感覚で

      • 「変」でも良い。

        高校生、大学生のころのこと。 高校1年生のときに、電動車いすを使い始めました。 また一つ、自由を手に入れました。 大学生になってからは、一人暮らし。 家の中のものを全部、自分が使いやすいものに、使いやすいように配置して、 またまた一つ、自由を手に入れました。 この時期は、障害を持ってる自分に対する感覚が大きく変わりました。 高校の部活での仲間との出会い。 自分たちのことを、「変わってるよねー!」と、堂々と言っている子ばかりでした。 障害を持っていて、周りと変わってる、

        • 子どもの頃のこと。with SMA

          なかなか首が座らず、生後10ヶ月のときにSMAと診断されました。 そのときに、「座ることも、歩くこともできず、20歳まで生きられないと思う」と言われたみたいです。 でも、今もまだ自力で座ることができるし、一度は歩けてたし、20歳を何年も過ぎた今も、まだ生きています。不思議なものです。 私の記憶では、3歳くらいのときには歩行器を使って歩いていました。 段々歩行器なしでも歩けるようになり、小学生のときは学校の中は歩いて移動していました。 よく転ぶし、ゆっくりだし、普通の歩き方で

        車いすと、気管切開と、人工呼吸器と。それぞれへの思い。

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        • 車いすと、気切と、それから呼吸器。~with SMA~
          5本

        記事

          SMAという難病。今の私のこと。

          私は、脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病を持っています。 進行性の筋力が弱くなっていく病気で、10万人に1〜2人と言われる珍しい病気のようです。 なぜだか突然、自分の病気のことや、それについて思うこと等を書いてみよう、と思いました。思うままに。 私は、生活のほとんどで、電動車いすを使っています。もはや無くてはならない、大事な仲間です。 そして。呼吸の筋力も弱くなっていて、2年半ほど前に、気管切開をしました。 今は声を出すことができません。筆談でコミュニケーションしていま

          SMAという難病。今の私のこと。