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ブログよりぬき

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記事一覧

8000円と午前4時の暴れん坊将軍

※ホームページのブログ「かざせ、たいまつ♡」からのよりぬきです。 深夜、コンビニに行って、「おつまみベビースター」と「和風ツナおにぎり」を買ったら、「この前忘れていったお金です」と8000円を差し出された・・・。 8000円が突然現れたことのラッキーびっくりがありつつ、服や見た目で自分が判断されていたことに、焦りました。 いつのまにか減っていると思っていたお金は5000円だったので、二段階にお金が増えたような気がします。 しかし、資本主義の父・渋沢栄一に言わせると、じ

《ブログよりぬき》 夢は土蔵の疲れだ(談志師匠の鼠穴)

「おら、あんまり鼠穴のことを気にしてたもんだから」 「ははあ、夢は土蔵の疲れだ」 「鼠穴」は人情噺。 蔵の鼠穴から火が入って焼けたのは、ぜんぶ悪い夢だった。 五臓の疲れという慣用句は近頃はあまり言われないし、土蔵も酒蔵や味噌蔵や古い屋敷にしかないけど、これは五臓と土蔵をかけた地口落ち。 なぜ現代人は、五臓の疲れと言わなくなったのか? 東洋医学を信じなくなったから。五臓六腑よりロキソニン、ドグマチールにパキシルてなぁ、オツじゃないね。だから、鍼灸や整体や漢方薬には保険

20世紀のストレイシープ(古舘伊知郎トーキングブルース2000年大晦日年越し公演)

「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう」 (ルカによる福音 15:1-7) 過去を遡って、20世紀の終わりの日。 私は、お江戸日本橋にいた。 古舘伊知郎トーキングブルース「何を見

綾波レイちゃんのヒップホップ

テレビ版エヴァンゲリオンの最終回で、使徒も人類補完計画もエヴァンゲリオンもない世界が描かれる。 そこで漫画やアニメの定番パターンを、綾波レイちゃんと碇シンジくんが演じる。 食パンをくわえて「遅刻、遅刻〜」と走る女子高生のレイちゃんと、普通の高校生のシンジくんが曲がり角でぶつかるのだ。ここではレイちゃんは普通の人間であり、シンジくんにとっては母親とそっくりな転校生。シンジくんも機能不全家族のアダルトチルドレンではない。「シン・エヴァンゲリヲン」と同じように、「すべてがじつは

エヴァを捨てよ、恋をしよう

映画「シン・エヴァンゲリオン 劇場版𝄇」を観ました。 1995年にテレビアニメーションとして始まった「新世紀エヴァンゲリオン」の物語の、最終的な作品です。 レイちゃんが村で生活して、でも彼女が普通の人間でないことが、まるで壊滅後の福島第1原発のようなネルフ基地の廃墟の前で、悲しく露わになったとき、私は泣いてしまった。 しかし、シンジくんは、傷を負った初恋の人アスカや、母の学友である時を超えたマリ、そしてカオルくんの幽霊に励まされ、運命に立ち向かう。 24年間の長きにわ

丸亀製麺のたべかた

【ブログよりぬきシリーズ】 ※この記事は、ブログ「かざせ、たいまつ♡」からの転載で、元の題名は「れいゆは丸亀製麺をおぼえた!」です。 🍠 🍙 🍵 丸亀製麺がむずかしかったけど、おぼえました。 まず、《丸亀の横歩き渓谷》に入る。 お盆を手に取る。 お箸を取る。 そして、お皿を取る。このお皿が何のお皿かはあとで判明する仕掛けになっている。 一歩、横に歩く。 お店の人に、どの丸亀製麺を食べたいかを言う。 そして、どれくらいの量を食べたいかを言う。 それから、温

無我プラスワンVS自我イマジナリー

※こちらはホームページのブログのよりぬきです。 ブッダは自我なんてなく無我なのだと言う。 キリストは肉体を超えた霊性があると言う。 明治になり、日本人は自我を植え付けられた。それまでの江戸時代の価値観(差別構造のほかに、お城、ちょんまげ、混浴、同性愛、女将さん、巻物、かみさま、妖怪、おむすび、小判、下駄、襟のない服、江戸幕府etc)を恥ずかしいと感じ、西洋的価値観を主軸に置こうとした。しかし、それは「江戸に西洋ぶっ込んだら明治」と言うような無茶なコラボだった。 そ

1998年4月8日の高田渡

※こちらはホームページのブログのよりぬきです。 1998年4月8日、「笑っていいとも!」を見ていた。 テレフォンショッキングで、タモリさんが「昨日の井上陽水からのご紹介…高田渡さんです」と言うと、その人は現れた。 タモリ「神様と言われてた人なんですよ。神様と言われてた人なんだから、俺は当然、年上だと思ってたんですよ。そしたら年下なんですよ、この人」 観覧客「え〜っ」 タモリ「見えないでしょ?」 観覧客「見えな〜い」 タモリ「50いってないんですよ!」 観覧

ビートたけしと初代市川團十郎

※こちらはホームページのブログのよりぬきです。 破壊と再生、死と笑い、道化と権威、悪と善、コントと歌舞伎。 他殺と自殺のヤクザ、暴行と恫喝の刑事、生徒を殺し合わせる教員、絵画と妻しか頭にない芸術家、新興宗教の幹部、昭和の凶悪事件の犯人、そして菊次郎。 黄泉の海岸に、花火が上がる。 ビートたけし(北野武)は、戦後芸能史の象徴であり、そして実際に多くの芸人やタレントたちの面倒を見る大親分だ。 この国の芸能を寿ぎ、そして国際的な映画界の重要人物でもあるビートたけし。彼

坐る放哉、飛ぶ山頭火

12年くらい前の写真。 種田山頭火が好きで、真似して、じぶんの俳句を詠んでいた。 てづくり句集を、ニヒル牛や井の頭公園で売ったりしていた。 以下は、昔の私が詠んだ句です。 ゲル状の浮世こそ愛はとこしえに 宿なしの朝は早く 教会を飛び出して革命に挫折した とか何とか言わず (当時の最高傑作) 女(ひと)に逢えば我が身を呪い呪いけり 日が暮れた 小鳥の影をそっと踏む それくらいの傷は呑み込みなさい 山頭火の宛てのない旅をしながら詠まれた俳句とともに、山頭火の

春日三球・照代のメタ地下鉄漫才

地下鉄漫才で昭和の演芸界の花形だった、春日三球・照代師匠。 「地下鉄はどこから入れるんでしょうね?それを考えると、夜も眠れない」と言う三球さんに対して、妻の照代さんが「あなた、そんなこと考えてるんですか。おかしな人ですね」と応える。 三球さんは、「まず地下鉄をつくって、それを埋めといて、そのあとに駅をつくる」という推察をする。 「何をバカなことを言ってるんですか」と、常識の立場からツッコミを入れる照代さんの存在に、お客さんは安心して二人の不思議な会話に笑う。 しかし

光の速さで運動する

「この地球上で死んだ奴なんかひとりもいないんだよ。消えてった奴はいるけど」 「人間は死なないんだよ。死ねないんだ」 2014年6月14日、当時通っていた半蔵門で2週に一度の女性ホルモン注射の用事が済むと(現在は投与していない)、千鳥ヶ淵の小さな公園でチキンカツ弁当とごぼうサラダを食べて、それから早稲田大学の會津八一記念博物館で開かれていた荒川修作さんの展示を見に、地下鉄に乗り込んだ。 そのあいだ、ずっと、インターネットで見つけた、荒川修作さんが2006年5月に東京藝術

高田渡はいま何を考えているのか?

写真は、「季刊ユジク」という雑誌の創刊号、高田渡のインタビュー。「高田渡けんきゅう会」を旗揚げし、いろんな雑誌や資料をあつめている。 「何にせよ歌っていればいい」「いろんな考えの人がいていい」と言う高田渡だが、やっぱりじぶんの考えや主張を言わずにはいられない。「季刊ぐるり」および「高田渡読本」という本で、豊田勇造さんが「彼はもっと自分のことを知ってほしかったんじゃないか」というようなことを語っている。「レコード・コレクターズ」という雑誌では、鈴木慶一さんがやはり「彼は自

たいまつ

がんばる。生きる。寂滅。偏在。ぺったんこ。死んだ目で戦闘態勢。ばかばかしいお笑いを一席。はじける虚無。誤魔化せないのに、ぐっすり眠れることが罪悪感。都市の空気、軋む命。アイデンティティを繰り返し捨てるポイ捨て音。自分を人間だと思っていたら、いつまでも間の人にはなれない。花になれ。石になれ。植物になれ。人だとしても言葉も火も知らなかったときを思い出せ。宇宙はご丁寧にもカラフルなブラックホールたたえている。何もかも忘れることで思い出せ。そうしてはじめて人間のふりができる。やっ