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地球の裏側から世界を眺めてみた。



 荒涼とした大地とは、まさにこういうことなのだろう。平野には埃と塵と多種多様な形の石が転がり、緑豊かで肥沃な大地とは程遠い。私は今メキシコのとある街に住んでいる。メキシコシティから飛行機で一時間ほどで着く。煌びやかな首都とは対照的に、この街はしっとりとした雰囲気を身に纏っている。とはいえ、荒野ではあるのだが。
 私は四月にここに来た。家族を日本に置いてだ。そして、五月に娘が産まれた。待望の第一子だ。故に、寂しさに襲われる瞬間がある。仕方のない事だ。家族が増えて、頭の中にポップアップ表示される言葉が少し変わったように感じる。時々それはスペイン語であったり、英語、日本語だったりするのだが、大体コンテンツは似通っている。

長生きしたい。

不思議だ。弱冠二十代の身分で、なんだか老獪な人間になったような具合だ。家族と長く暮らしたいと思うのは自然な事ではあるが、こんなにも考えが変わるものなのか。

 そのうちに、父と母の顔が浮かんだ。きっと彼らも同じようなことを毎日考えているに違いない。メキシコに飛び立つ時、母は泣いていた。あまりにもイメージし難い土地かつ、身体的な距離感があったからだ。
 二つの家族が描くベン図の中心に私がいて、妻がいて、娘もきっとその中心にいつかなる。そんな未来を考えた時に、絶え間なく移ろいゆくこの世界が愛おしいと感じる。川のせせらぎに耳を傾け、嫋やかな音色に気持ちを重ねた時、ふとした望郷の念に駆られるように世界と自分が優しいグラデーションを描いていく。 

 顔の皺が増えた時に、今より素敵な未来があってほしいと願っている。世界のどこにいても、この地球は人類の大きな家だ。自らの家を綺麗に保つのは至極当然の摂理だ。どうも最近までは、家の掃除すらままならなかったのが我々人類のようだ。SDGsの理念が普及し始め、本当に僅かながら、住む家が綺麗になって行こうとしている。地球の裏側のメキシコでは、まだまだSDGsという考えが普及していないのはやや気になるが、日本が先鞭となり、世界をリードしていけばいい。
 美しい日本、とは手垢がついたフレーズではあるものの、SDGsと元々親和性がある国が日本なのだと思う。クリーンな未来を、次世代に。そう思いながら、これからも世界の果てで頑張ろうと思う。

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