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小説「銀河列車、大阪行き。」

 神戸のバーにて。今日も呑みまくった。
 「やれやれ、終電逃しちゃったな」
 世の終電を逃して悲しむサラリーマンたちへ。僕たちの時代になると、もう心配は要らない。自家用車は環境保護の観点から禁止されてしまったが、“闇の銀河列車”が夜明けまで運行されている。銀河列車は呼び出せばいつでも来てくれるし、タクシーのように運賃の上昇を気にする必要もない。

 「銀河列車、召喚っと」
 しかし、面倒なのは、この電車がいつも上司たちで超満員なこと。よっぽど部下を連れ回したがるのか、よっぽど仕事が出来ないのか。
 実際、今日の五百二十号車も酔いつぶれた上司たちでいっぱいだ。ただ、この五百番台の車両は、つり革を掴めさえすれば、あとはストレスフリーで目的地まで連れて行く。
 僕が電車に乗ると、赤ネクタイを頭に巻いた男が僕にこう話しかけてくれた。
 「今日もお疲れさんです」
 「ありがとう」
 それにしても、今夜はワンカップの日本酒の匂いがひどい。僕が呑んだのはワインなのに、おそらく電車を降りる頃には日本酒の匂いでいっぱいになるだろう。
 車内を見渡せば、明らかにこの場に不似合いな女性たちが集団で座っている。さっき僕に話しかけてきた赤ネクタイの男は、今度は女性たちをナンパしようとした。
 「お姉ちゃん、ちょっと一杯どうだい?」
 女性たちは眉を顰め、赤ネクタイの男に背を向けた。気持ちのいい、完全黙殺。それでも、赤ネクタイの男は怯まなかった。
 「今日のつまみは上物の温州みかんだよ」
 「えっ?」
 「温州みかんですか!?」
 この時代になると果物は貴重品だ。環境汚染の影響で果物は缶詰がほとんどで、生の果物は滅多に手に入らない。最初は不機嫌だった女性たちも、赤ネクタイの男の誘いに興味が出始めたようだ。
 僕は赤ネクタイの男と女性たちの会話を“傍観者”として聞いた。最終的に、女性たちは赤ネクタイの男の誘いを受けたようだ。もうすっかり意気投合している。
 「ぐいっと行きましょうよ」
 「良いですねー!」
 「大阪の良い店、私、知ってますよ」
 はっきり言おう、この新しく出来た集団の会話がうるさい。僕はつり革のボタンを押し、カバンの中からヘッドマウントディスプレイを取り出した。
 今乗っている最近登場したばかりの五百番台車は、無料でWi-Fiが使える。高速通信だと通信量が嵩むし、逆にWI-Fiなしだとお話しにならない。僕が長年愛用しているこのデバイスは、超がつくほど扱いやすい。
 「豊臣秀吉が木下藤吉郎だった頃……」
 今日のブラゼルは往年の忍者モノをチョイスしてくれた。“ブラゼル”とはデバイスに付いているAIのこと。膨大な作品の中から、僕に合った作品を選んでくれる。
 「なんと、あのねずみ色の怪物が巨大化したではありませんか」
 相変わらず、この作品のナレーションは大仰だ。だが、これがいい。どこかパンチのある番組が減ってしまった今だからこそ、僕はオールスター作品を求めていた。
 しかし、これから忍者が怪物と戦おうとしている時に、後輩から電話がかかってきた。
 「マスター、お電話です。お取りしますか? それとも、居留守を使いますか??」
 電話の内容はわかっている。どうせ、「仕事が上手くいかない」とか、つまらないことだろう。僕は時間外労働が嫌いだ。だが、後輩をそのままにしておくのは可哀想なので、とりあえず出てみることにした。
 「はい、佐々岡。どうした?」
 「佐々岡さん、決まりましたよ!!」
 ……正直、電話の内容は予想外だった。普段は失敗ばかりの後輩が珍しく明るい声だ。よっぽど良いことがあったらしい。
 「兵庫と大阪間の行き来が五年後に再開します。そして、我が社がこの独占運行権を獲得しました!!」
 「ほんとか。良かったな!!」
 ひとつ言っておこう。僕は普段、とある旅行会社の社員を務めている。三十年前、現代日本では最初の内戦が淀川で発生し、兵庫県と大阪府の県境に巨大な壁が出来た。その壁は高さ八百メートルで本州を二つに分断し、今も停戦協定の代わりに巨大な壁が戦乱を防いでいる。
 「先輩のおかげです。また連絡しますね」
 「おう!」
 この電話の後、後輩が一気に誇らしくなった。あんなに頼りなかった後輩が、これほどの大仕事をやり遂げるなんて。実を言うと、僕は『兵庫・大阪間の通行許可獲得プロジェクト』が失敗すると踏んでいたから、後輩に企画の実行部分を任せ切っていたのだ。
 「ブラゼル、今日は『セプテンバー』をかけてくれ。家に着いたら祝杯をあげようじゃないか」
 神戸でのやけ酒が一瞬で引いていく。あんなに酔っていても、喜びはすべての身体的異常を打ち消してくれる。さあ、もうすぐ淀川だ。

 しばらく音楽を聴いていると、その音に割り込むように車掌のアナウンスが鳴り響く。
 「みなさま、大阪府に入りました。まもなく本梅田駅です」
 あと少しで、この怪しげな銀河列車が役目を終える。兵庫と大阪を超えるのに、わざわざ異次元を通る必要もなくなるのだ。もうすぐ、県境の壁も取っ払われるだろう。
 僕はずっと付けていたデバイスを取り外した。大阪府に入った頃、眠そうにしていた乗客たちの表情が一気に明るくなった。
 「本梅田、本梅田でございます。M星雲行きの列車は百三十五番乗り場から、ニューヨーク行きの超高速列車は七十三番乗り場から発車いたします。なお、乗り換え電車を乗り過ごしましても、当社の“乗り過ごしヘルプサービス”により、発車三十分後までは瞬間輸送システムを利用した瞬間転送がお使いになれます。ご安心ください」
 相変わらず、本梅田駅のホームは薄暗い。ピー、という音が鳴ると、乗客たちは一気に降りていく。一緒に乗っていた赤ネクタイの男と女性たちは、隣の三十六番乗り場に消えた。
 彼らが乗り場へ消えるのを確認すると、僕は自宅付近まで連れて行ってくれる“ホーム急行”を目指した。やはり、この駅は多様性の塊だ。宇宙人やら、漫画人やら、ありとあらゆる生き物が蠢いている。
 これは当然というべきか、僕の酔っ払った身体ではホーム急行の駅に着くまでかなりの時間がかかってしまった。私も下梅田駅に着くと、僕はすっかり息切れ。長い列の最後尾で、僕は思わずこう呟いた。
 「それにしても、遠かったなあ」
 ホーム急行の列では、いつも暇を持て余す。銀河列車の駅は次元を無理やり捻じ曲げて形成しており、外部からの攻撃を防ぐためか、Wi-Fiが一切入らない仕様になっている。鞄の中から取り出したお茶を飲むと、まるで煙草を吸うかのように「ぷはーっ」と息が飛び出した。
 その息は前の女性に届き、女性は一瞬スマホの手を止めた。
 僕が「あっ、すみません」と平謝りすると、女性は「大丈夫ですよ」と微笑んだ。後ろ姿だと大変気難しそうだった女性は、話してみると意外と気さくだった。冗談が好きで、初対面の僕にもこの前会った外国人をネタにしたエピソードを聞かせてくれた。

 深夜二時半。ホーム急行の乗車口でその女性とも別れ、僕は独りで自宅への道のりを歩いている。今朝出会った女子高生は元気にしているだろうか。電車の中の男女は無事にバーに辿り着けただろうか。先ほどの女性は家に帰れただろうか。今日で出逢ったすべての人に思いを馳せてみる。今日はやけに夜空が綺麗だ。普段はちっとも見えない星々が、こちらにお辞儀をしている。摩天楼の彼方に聳え立つ壁はもうすぐ役目を終えるだろう。もう誰にも遠慮する必要はない。僕らはやっと、自由に甲子園へ行けるようになる。僕は自由の有り難みを改めて、この思い出たちと共に噛み締めた。

 2020.3.19
 坂岡 ユウ

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!