私は、稚拙だった。と反省したこと
先日、ご指摘を受けたことがある。
学びになったので、シェアしようと思う。
学びになったこと
学びになったのはここからだ。
どんな学びかというと
「相手がどんな人間かというのを色眼鏡で見ている人には、いくら言葉を尽くしても理解はしてもらえない」
ということである。
興味がある方は、読んでもらえれば。
そして、そんなこと知ってるよ、という方は読まなくても大丈夫。
全く経営には関係ない。
フォローしている方がツイートされた。
これに対し、リプを。
こんなふうに返す。
するとツイ主様から
こんな風に返ってきたので、オネエさんと言っても色々な好みがあるよなと思い
こう返したのだ。
ツイ主様は
このように返信されてやりとりは終わった。
これを読まれた方はどんなふうに感じただろう。
少なくとも私は、
以前note
に書いたように、男性と女性という性別に関しては曖昧に捉えている。
1人の人間には、外見がどうであろうと、いわゆる男性性と女性性と生物学上分類される性質がどちらもあり、そのバランスは人それぞれ異なると考えている。
だから、オネエさんと呼ばれる、男性の身体で生まれていることに対しては、肯定的でありつつ、女性性を強く持つ自分を自覚したり、あるいは、
現代までの間に定義された「女性性」にあるたおやかさを好み、表現する人のことを、最初のツイ主さんは書かれているのだと判断していた。
問題は次の日に起きた。
このようなご指摘をいただいたのだ。
最初、指摘された意味がわからなかった。
いや、勘違いされていると感じた。
そこで慌ててこのように返す。
私のアカウントはビジネスアカウントである。
顔を出していて、事業をしている場所も内容も出している。
分かり合えないなら仕方がないが、出来る限り相手を不快にした理由が勘違いなら、正さないと、と考えた。
さらに、丁寧に言葉を紡げば、理解してもらえると考えていた。
なぜなら、自分は、性差があって当たり前だけれど、それが単なる「生物学上の記号」であり、「言葉を社会生活の中で理解し合うための定義」に過ぎないと考えているのだから。
そこでこんなふうに返ってきた。
元のツイートを読んだ、心は女って何?の返答に、私は、違和感を覚え始める。
ここら辺でその違和感の正体が掴めそうな、気持ちになっていた。
このリプライがついてようやく分かったのだ。
この指摘をしている方は、1人の人間の「性別」は1つであり、絶対なのだ、と。
1人の人間の中には両方の性質があって、それぞれを分けて考えたときに、男性性と女性性という。
なんて私のように、まどろっこしいことは考えていないのだ。
だから、その絶対的な性について語られていると感じたのだ。
これはどうやら、分かりあうことはない、と感じた私は、こう返信する。
すると執拗に私のリプライはリツイートされる。
さらにリプライもつく。
もう黙っておこうと思ったのに、
「海」や「水」からきたの私は考えている「たおやかさ」意味としては「しなやかさ」のはずなのに、「劣っている」「おしとやか」「従順」という全く別の意味をつけられて書かれたことに、驚いてリプライしてしまった。
これに関しては、稚拙な自分を感じて反省している。
ただ、自分が言ったことを、否定されたり、批判されるのは良いが、言っていないことで批判されるのは腹立たしい。
論点をすり替え、文言を変え、最終的に私の意図するところとは別物にされている。
それが我慢ならなかった。
とはいえ、反省だ。
最終的には、「黒人は足が速く、ダンスが上手い」という表現が問題だという話に変えられている。
ちなみに、ツイートご指摘と私のリプライは全てここにアップしたので、私が「差別的な表現をしたい」と思っていないことは、読んでいる方に伝わっているだろうか。
さらに私は「女性」についても「オネエさん」に関しても、こうあるべき、という意見も書いておらず、いろいろな人がいるよね、という内容を書いている。
これを読んだ方の中でもご指摘されているように感じる人もいるかもしれない。
そう感じる人がいるのは仕方がない。
しかし、思うのだ。
このご指摘されている人は、私がBであったり、私の家族がオネエさんであったり、LGBあるいはTまたはQである可能性を全く無視し、ひたすら最初に見た「心は女」という言葉について、
この女性は女は女らしくするものと考えている性差別主義者だ
と考えて、リツイートとリプライを繰り返している。それは、このご指摘された方が、
人間には絶対的な性があり、それはこんなものだと押し付けられるのは嫌だ、と考えているからではないか、と。
であれば、最も性を押し付けているのは誰だろうか。
これが、私の最近の学びである。
元々のツイ主様は、内容が見えなかったらしく、ひたすらいいね、やリツイートと通知だけ来ているそうで、謝った。
するとツイ主様からも、謝られ、お互いの学びを再確認しあった。