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連載《教え子32~塾講師と生徒~淡くてほんのり苦い物語~》 休日出勤-1

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 そろそろ新年度最初の定期テストがあと三週間でチラホラ始まるので、対策テキストを作らねばならない時期になった。
 こちとら慣れない教室長業務をしながら向かえるとなって、いよいよ猫の手も借りたい切羽詰まった状態に陥ってきた。
 この困難を乗り越えるには、物理的に時間を作り出すか、猫の手を借りるか、あるいはその両方を選択するしかない。
 俺はこの校舎を開校半年で黒字化すると塾長に宣言した手前、土日も返上して時間確保すると決めた。
 彩子は、週に三回、(月)(水)(金)とバイトに来てくれている。高校では相変わらずトップの成績を維持。本人曰わく「だって沢崎先生にナデナデされたいんだもん」とウルウルまなこで言ってくる。チョーかわいい。部活は高い身長を見込まれてバレー部に引き抜かれた。でも本人曰わく「みんなやる気ないんだよねー。だから試合とかもあんまないし」と猫背気味につぶやいてくる。チョーらっきー。
「あのさあ、今度の土日、空いてる?」
「・・・っ! どっか連れてってくれるの?!」
「バーカ、ちげえよ、テキスト作るの。猫の手も借りたいんだよね、今」
「ここで?」
「当たり前だろ」
「ということはあ、二人っきり?」
「うん。まー、そーだーねー」

 しばし沈黙。コーヒーをすする。

 俺はついに耐えきれず、
「ま、空いてなかったらなんとかするよ」
「全然空いてるんですけどー!」
「なんだよー、早く言えよー、なんだこの沈黙ぅ」
「だってさあ、二人っきりってえ」
「勘違いすんなよ。俺は教室長、彩子は生徒だかんな」
「わかってるって、わかってるよお」
 彩子は下からのぞき込むように俺の顔をガン見してきた。ウッ、ヤベッ、見透かされてる。
「じ、じゃあ、バイト代も出るしお昼もおごるから、12時にここで」
「うん、わかった」

 金曜日、俺は彩子に明日の確認で念を入れた。
「おつかれさまでした。じゃあ、玉城さん、明日はよろしくお願いします」
「はあーい、こちらこそ、よろしくお願いしまーす」
 その夜。眠れなかった。目を閉じると彩子のウルウルまなこが、彩子の笑顔が、彩子の優しさが、俺の鼓動を速くした。結局眠りについたのは朝方で空が白んで来た頃だった。

「おつかれ! ちゃんと来たな、ヨシヨシ」
「ふぁー、眠ーい」
「どしたん?」
「先生、昨日眠れた?」
 ドキッ。
「な、なんで?」
「私ね、目をつぶると先生が出てきて眠れなかったの」
「俺をお化けみたいに言うな」
「そおじゃなくてえ、ドキドキしてさあ」
 俺と一緒じゃんか。
「実は、、、」
「へ? 先生も?」
 小さく頷いた。
 突然のことに俺は何もできなかった。彩子がフワッと飛び跳ねて、俺に抱きついてきたからだ。
「彩子・・・」
「先生じっとしてて? このまま」
「彩子、俺、きちんと言わないでいたけど、、、」
「ダメ。何も言わないで、お願い」
 多分、彩子は気づいている。俺たちは、好きとか嫌いとか、付き合うとか付き合わないとか、言葉に出してしまったが最後、今の関係ではいられなくなる。きっとどこかの歯車が狂いだして、どちらかが去らなければならなくなる。彩子はそう固く感じているからこそ、遠回りに《眠れなかったの》などと言って俺への気持ちを伝えているんだ。ところが俺も眠れなかったと聞き、気持ちが決壊してたまらず抱きついてしまったんだ。
 愛おしいと思った。
 先生と教え子の関係でなかったらどんなに楽なことか。
 俺は言った。
「教え子が高校を卒業して社会に出るなり、大学生になるなりしたら、胸を張っていられるさ。待てるかい?」
 胸の中で頭が小さく頷いた。
 休日出勤、恐るべし。

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