#9 幸運だよなって話

今となってはあの時自分が壊れてしまったのは、本当に幸運だったと思う。生き方を仕切り直せた。あれは一回死んだのだと思ってる。実際、死のうとしたのだ。あれが絶望っていうやつだったと思う。あれがなかったら私はきっと昔の私のまま生きていっただろう。受け身で、誰かが助けてくれると信じていて、その甘えた思考と腐った性根を綺麗なお洋服で着飾って生きていたと思う。

私が私の価値観で何か話をするとき彼は、ゆーちゃんの話はまるで建造物だと言って面白がったから、ちょっとびっくりした。自分の考えの基礎がしっかりあって、その上でいつも話すねって。構造があって話しているのが見える、そんな人あまり出会ったことがないと面白がった。

私が昔、地の底に落ちて壊れた時に脳裏にはっきりと見た、価値観のビル群の崩落。信じて疑いもしなかった私の正義は、価値観は、全て母からの植え付けだと知った。私には母そっくりの加害者要素がある事を思い知らされた。ビルが全部崩れて荒地になっていくのを見ていた。絶望した…。でも私はそれを『建て直そう』と決めて、ずっとやってきた。だから今の私の中身が『建造物』と表現されたのを、すごくびっくりした。

あんな立派な(見せかけだけの)街が壊れて、一からやり直し……。嫌でも時は進んでいってノープランのまま新しく仕切り直しの人生は始まって、私は慌てて実家を逃げ出して仕事をして忙しくもにこやかに努めていたけれど、心の中では遠くを見てただ突っ立っていた。再構築……何をすればいいかわからなかった。それに、とてつもなく弱っていた。

辛かったけど勉強し続けた。昔と変わらないならば死んだ方がマシだと思って、向き合ったし、教えてもらったし、考え続けた。その積み重ねで私の中に造られた新しい価値観はまだ、骨組みも不完全だけど、それを建造物みたいだと言われたのは、なんだか感動してしまった。

私が病気になったのはもう私にとってさほど問題ではない。これはただの揺り戻しなのだ。振り子を無理に端に留めていたら、抑える手が力尽きてしまったあとは大きく揺り戻す。激しい揺れを作ったのは自分自身なのだ。でも下手に触らず放っておけば、揺れに身を任せていれば、そのうち緩やかになるんじゃないかな。疲れているならそのまま止まるのを待って休もう。力が沸いたらまた漕げばいい。それだけのことだ。病気だから何だ。

意味もなく生まれたんだ。だから別に意味もなく生きてる。それ以上の事柄は全て幸運ではないかという気がしてくる。家族がいることも仕事があることも当然の権利と言われていることもすべて、何もかも幸運だと思える。あの時私は死んでいたはずなのにこうして生きている。27歳で一回死んで、それ以降の私の人生はおまけだ。ボーナスタイム。そう思える。そう思うとそんなに怖いものもない。なかったはずの今を生きているのだから。あぶくのよう。でも、あぶくも大切にしたら一つくらい残るかもしれない。

まあ、言い過ぎか……。でもあの時一度壊れてしまったのも、それであの時死ななかったのも、とんでもない幸運だと思う。病気に関しては後遺症みたいなもんだろう。いらないおまけだけど、そんなものより自分が幸運だったことの方が大きい。もう二度と昔の私に戻る事はないとしかもう思えない

学ぶ機会を与えられたんだ、とかは思わない別に。病気になってよかったとかでもない一切。辛かった。ただあの事故がなかったらこの新しい価値観を得ることはできなかったと思うので、ただただ、ラッキーだったなって。そう思う。

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