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自分がADHDとASDを受け入れた時

こんにちは
ADHDとASDとAPDのユウです。

今日は自分がADHDとASDであることをなかなか受け入れられなかった話をします。

無理矢理連れて行かされた病院がきっかけ


私が最初に行ったのはブレインクリニックという脳波でASDの診断をする病院でした。(木下優樹菜さんが行かれてましたね)
結果はASDとADHDの可能性が高いというものでした。

ただこの時点では信用することができませんでした。
両親に無理矢理連れて行かされたというのもあって心情的に嫌だったのもありますが、お医者さんが検査をした後に営業マンが来て「今後の治療には40万前後費用がかかる。だからお金が多少かかっても受けるべきだ」と言われました。
ぼくは元商社営業マンなのでマニュアル営業はすぐ分かります。
精神的に参っている患者に高額の営業をする病院と言う時点で信用なりませんでした。信用よりも疑いが強かったのが正直な感想でもちろん断りました。

後に精神科医の医師3名に聞いて分かりますが脳波によってASDと判断することは出来ず、可能性がある程度にしか分かりませんし、その可能性もエビデンスが乏しいとのことでした。
結果的に自分はASDとADHDでしたが、ブレインクリニックとは何度もトラブルがありました。この話は後日…。

お金欲しさに病院で検査を受けた。その結果…

そのあと私は別の精神科医に通いASDとADHDの検査を受けます。

ホントは行きたくなかった。
きっかけは検査費用を両親が払ってくれたことと、障害年金の存在です。
障害年金は体や脳に障害がある人がもらえる年金のことをいいます。
お金が手元になかったぼくはダメもとで動いてみました。

早速病院に行き検査を受けました。
空間認識や関連性を見つけるもの、記憶力、情報処理能力を判定する検査もありました。

内容はゲームみたいな感じでしたがかなり時間をかけてしまいました。
時間はだいたい2時間くらい。

こちらも結果はASDとADHDの可能性が非常に高いという結果でした。

検査結果は残酷なもので自分の能力値は全て平均を大きく下回る数値でした。自分に障害があるということよりも能力が低い自分を自己嫌悪したり、過去の失敗を繰り返し思い出していました。
この時にはASDとADHDをまだ受け入れられませんでした。

障害年金のために動いただけ、やる気はなかった。

次に別の精神科医に行き、診断書を書いてもらいました。
自分の人生や何故ASD・ADHDだと思ったのかなど話しました。

診断書を書いてもらってもまだ特に意識していません。
ASDやADHDにもランクがあり、重度のものや軽度のものがあると調べて分かったからです。調べてみると明らかにじぶんより重度な方がいて、「自分は障害者ではなく、能力が低いだけの人間で本当はもっと努力するべきなんだ」と思っていました。

そうはいっても乗り掛かった船だったので2週間で診断書をもらい市役所ですぐに申請しました。

3ヶ月後、精神障害年金2級を所得して障害年金を受け取ることができました。

お金を貰って感じた重さ。自分の立ち位置

ぼくは自分が障害者だと受け入れられたのはこの瞬間です。
国から認められてお金がでてしまったからです。
ぼくはどうせ障害年金がでないと思っていたので衝撃でした。

国の税金からお金が出て初めて自分が障害者として生きていくしかないんだと自覚しました。

少なくとも診断書を書いてくれた医師には重度に見えて、国が税金で手当てを支払う基準を満たしていると判断したんですから。

障害年金は年間で約79万円。
これだけでは生活は無理だけど懐に余裕ができるというだけでだいぶ気持ちが楽になりました。

ぼくは自分がASDとADHDであることを受け入れました。でもまだ信じたくない気持ちもどこかにあります。
普通に働いて、普通に一人暮らしをして、普通に結婚して、普通の家庭に築きたい。

今ぼくは就職活動中です。がんばります。

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