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たぶん私は、これからもラムレーズンサンドの話をすると思う


私のTwitterのアカウントは、ライターらしくないのかもしれない。(ラムレーズンサンドと、言ってる時点で間違いないと思う)

Twitterを開けばフォローしているアカウントのツイートが並ぶ。私がフォローしている人はライターさんが多いので、それぞれの色がでていて見るのが楽しいし勉強になる。そして、みんな凄いなと思う。

ライターになるためのノウハウとか本の紹介とか、得意な分野を中心にツイートしている。(私も毎回お世話になっています。ありがとうございます)

ラムレーズンサンドをツイートしている私とは大違いだ。


私も最初は「何か有益な情報を発信しなきゃ」とか「ライターらしい発信しなきゃ」と焦っていた。実際にしていた時期もある。見よう見まねで、頑張ってツイートしていた。

でも、日に日に苦しくなって、何をツイートすればいいのかわからなくなっていった。

強い思いがあって、続けていたら真似ごとじゃなくなるのかもしれない。でも、私の場合「しなきゃいけない」と思ってやっていたから、それ以上にはならなかった。

いつまでも「やらされている」と思ってしまうことは、それ以上になることはない。


そして、気づいたその日に、私は有益ツイートぽいものをやめた。

自分が感じたことや思ったことを零す。あとはnoteを更新した時とか「ラムレーズンサンドが食べたい」だとか、誰の得にもならない情報が大部分を占めている。


それでも、noteが好きだと言ってくれる人。
ライターを始めるきっかけにしてくれた人。
お互い頑張りましょうと励ましてくれる人。

有益な情報ぽいものを発信している時よりも、いろいろな人から嬉しい言葉をもらえた。


だから、私はこれでいいと思っている。自分に負担をかけてまで、有益ぽいツイートをしなくてもいいと。たぶん、自分が苦しいと思うものは長くは続かないから。





最後まで読んでいただきありがとうございました。