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分かり合えない、自分とは違う人とでも協働すること自体は可能である

先日、知人が「人と人は分かり合えない」ということが真理であり、その前提で相手との関係を築くことが大事であると言っていて興味深く思いました。

私自身を振り返ると「人と人は分かり合える」というのをどこか期待しているところがあります。

ですが、私のように「分かり合える」と期待していると、それが叶わないとき、相手に対しての失望・怒り・イライラを招き、相手との関係性を悪化させる原因になるというのです。

確かにそうだなと思います。

「わかりあえる」という前提でいる人は、実際のところ「自分の考えをわかってもらう」ということにばかり意識が向きがちになります。そのことで、相手を知ろうとしなかったり、相手の立場を顧みず、無意識に相手の考えを変えようとしてしまうことがあるように思います。

たとえば、「若手は上司の言うことを敬い、聞くべきだ」という考えを
もっていたとします。

その考えが強くあると、そうでない人を見たときに、「なぜこの人はそんな態度なんだろう」、「なぜそんな発言をするのだろう」とイライラで頭がいっぱいになり、ふと一歩引いて、その人の背景を知ろうという気持ちになれません。

結果、相手を変えようと説得するも、理解してもらえず関係がこじれるということが起きてしまいます。

そう考えると、冒頭の「人と人とはわかりあえない」ということを前提に人と付き合うということが大事なのかもしれません。

その上でまず、自分とは異なる相手の行動・発言の背景にある考え、価値観はどのようなものか、知りにいく行為が必要になります。共感できなくても、どういうことか把握することが必要です。

その意味で、「伝える」のではなく、「聴く」という行為が最初にすべき行為となります。

自分が理解されるのは後、相手を理解するのが先と言われますが、
この順番が肝なのだろうと思います。

その上で、相手の考え、価値観が自分とは相いれないものであったとしても、相手を変えることはできないと、ある意味諦めることができるかが大事な分かれ目になると思います。(ここで申し上げているのはあくまで価値観の話で、業務上必要な指導とは切り離していただければと思います)

これがなかなか難しいことです。
ですが、ある種諦めるスタンス、分かり合えないというスタンスが、
多様な価値観を尊重することにつながるように思います。

一方で、そのことがイコール価値観が異なる人と協働できないということでもありません。

実のところ、自分と相手がそれぞれ違い、お互い変えられない価値観があることを認識しあった上であれば、建設的な話し合いができるという側面もあります。

仕事であれば、共通の目標がありますので、たとえば、この売上を達成するために、お互いに何が協力できるのかを話し合い、合意することはできます。

話し合いにおいてどちらか一方の考えを「こういうものだ!」と強要しようとすると揉めてしまいますが、相互の違いがあること、譲れない、変えられない線があることを前提条件にすれば、その上でどうすべきか、冷静で生産的な話し合いにつながっていきます。

相手とわかりあえないことを前提にするという考え方は、実は組織運営においてとても大事な共通認識であるように思います。

また来月もよろしくお願いいたします!

2022/8/27 VOL141 sakaguchi yuto 

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