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思想が異なる人との関わり

社会としては、多様性を受け入れる社会であって欲しい、いやあるべきだとすら思ってしまう。

しかしながら、私、一個人に落とし込んだときどうだろう。

自分すらをももてあます、少しがっかりするほどの器の小ささでは、到底多様性なんて大きなものを受け入れることは難しい。

となると多様性を受け入れるとは何か?を考えてしまう。

仮に街中で新興宗教の勧誘をしてる人を見て、彼らは彼らなりの正義のもと、布教活動を頑張ってるなんて素晴らしい。

私も多様性を受け入れるために、一緒に宗教に入って布教しよう…とは考えられない。

真夏に路上でゴミ拾いをしている方を見て、地道に社会貢献しているなんて偉い!

ぜひ、私も一緒に手伝おうと実際に手伝う人がどのくらいいるだろうか。

そんなことを考えると、多様性を受け入れるではなく、多様性を排他しないという言葉が良さそうだ。

これなら、関わらない、視界からフェードアウトさせることを多少なりとも正当化できる。

そうして、あの方はあの方の好きなことをしているのだから、無論、私も私で好きなことをさせてもらうよ…といった基本スタンスが出来上がるのである。

時間が有限である以上、あるものを受け入れたらあるものは受け入れられない。

そんなことをふと考えながら、過ごす1日の終り。

#創作大賞2023

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