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自他と向き合う事

アテネからヘルシンキに戻ってきました。

戻ったのは昨日で真っ暗だったんですけど、今日は珍しく晴れていました。昨日の夜に雪が降ったので、地面は雪で空は晴れているフィンランドにしては珍しい景色でした。この先はもっと雪が降って積もるんだろうけど。

自分に才能めいたものがあるとすれば人に恵まれることだと本気で思っています。今までいろんな場所で生きてきて自分を助けてくれる人にたくさん出会いました。もちろんうまく向き合いきれずにそのままお別れになってしまった人もいるんですけど、自分には「居場所」と言えるものが必ずあって、今回の留学に関してもそれを強く感じることが幸いできています。それは日本人だけではなくそれ以外の国の人でも同様だったことはとても嬉しいというか幸せなことだと思いました。

最近面白いと思うのは自分と全く意見が合わない人と話すことです。いろんな場所からきている人が一箇所に集まるのだからそれは意見が合わないことがたくさんあって。同じ日本出身だろうが、考え方には違いがあったりして、それもすごく刺激になると思っています。どうしても普段自分の周りにいる人はある程度は思考が似通ったりするのですが、そうでない人と話をすることがなんだか楽しい。どうしてこの人はこう思うんだろうとか、ハーバーマスがいうようにコミュニケーションは合意形成のプロセスだというのは本当にその通りだと思っていて、昔ほど苦手だと思うような人であっても避けずに向き合おうと思えるのはこの言葉、大学時代に向き合わざるをえない状況で、逃げずに向き合ってきたからだと思っています。その経験がなければここまでやれてなかったんじゃないかと。人と向き合う勇気をくれたのは間違いなくその時々で向き合ってくれた人たちのおかげだと思います。自分一人ではできない事。

人と向き合うは(他)人のみならず自分自身の事も指すと思っています。向き合わざるをえない自分の側面としては「正しい」事、厳密にいえば自分が思う「正しさ」といかに折り合いをつけていくべきなのか、という事です。この年齢まで学生をしていて思うのは、やはり自分の思う「正しさ」を曲げずに証明してやりたいみたいな事をずっと思っていて、学問で言えばそういった「正しさ」と向き合い続ける事が必要になるんじゃないかと思っています。「社会に出て働く」もその一つの道かもしれませんが、自分にとってはこの場所でフィールドで戦い続けていく事が一番求められている事なんじゃないかと思います。その「正しさ」も持ち続けていくのは根気強さとある種の楽観性が必要かもしれません。きっと他の人はとっくにそれを捨てて別のベクトルに移行している気がするのです。しかしながら自分にはそれができずにここまできてしまった感じがとてもします。というかこっち来てからそんな事ばかりを考えています。ここで自分が折れるのか曲げるのか、貫き通すのか、そのままいくのか。堂々巡りし続けている気もしますが、少なくとももう一年は、貫いてみようかなと思います。

研究者や学者なんてのは多少偏屈でないとできない仕事なのかもしれません。だからこそ必要とされているのだと。新しい何かを作り続けるという点で言えばクリエイター、自分の思いを表現するとすればアーティスト。この二つの要素をもって自分は生き続けていきたいと思っています。それがどんな職業であれ。

フィンランド全く関係なくなってしまった。けど何もないところだからこそ考えられているのかな…?と思いたい。

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