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人生における相対性理論

4ヶ月という時間は長い、ようで短い。

今回の留学は4ヶ月。8月の末にこっちに来た事を考えるとものすごく昔に感じるし、今日12月1日を迎えてみるとあっという間だったようにも感じる。

日本で大学に研究にアルバイトにそこそこに忙しい日々を過ごしていた時は時間はあっとう間に経っていた。特に大学院に入ってからの3年間(今が三年目ではあるけど)はものすごい勢いで過ぎていった気がする。その三年目の途中で国を飛び出して来たフィンランドはなんだか時間がゆっくり流れているように感じて、今日に至るまで時間が長くなっているような気さえする。この時間がゆっくりとか長く感じる要因としては二つ考えられる。

一つ目は以前から何度か書いているように太陽の仕業。日本にいる時はなんとなく日の光で時間がわかるけれど、こっちはすぐに真っ暗になるから時計を確認しないと何時かわからない。こっちに来てから時間に追われる生活をしなくなったせいか、腕時計は身につけないようになった。それもあって時間の感覚が鈍くなっている気がする。日がないとなんだか外にいる時間も短くなって、家にいる時間が長くなりグダグダと時間を消費している気がする。まさに精神と時の部屋。暇には慣れたけど、最近少し飽きてきた。生活に刺激が欲しくなる。

二つ目は写真をとる事が増えたことと関係している気がする。日本にいる頃は写真はほとんど撮らなかったけれど、こっちに来る事を機にカメラを買ってみたりして、どこに行くにもカメラを持ち歩くようになった。カメラで写真を撮るのは楽しい。この時何をしていたか、どこにいたのか、誰といたのかが思い出しやすい。それだけ記憶が鮮明に残るという事だ。日本の日々の生活ではわざわざ写真を撮るような事もない生活が延々と続いていくのだから、毎日は毎日として流れていって、特に記憶には残らない。この正味3ヶ月がものすごく濃く記憶に残っているのはきっと、カメラと写真のおかげでもあると思う。

人生論?でよく歳をとると時間が早く感じられる。というものがあって、最近の自分はそれを感じていたけれど、この3ヶ月は例外で特別。一つの説としてはだんだんと新しい事が減っていき、同じ事の繰り返しになるから。というものがある。なるほど、確かにこの3ヶ月は知らない場所知らない人の中で生きてきたわけだから、新鮮さというか得体の知れなさみたいなものをものすごく感じてきた日々だったんだろうなと。自らの体験から考えるとおそらくその説は当たっている。しかしこれがまた日本に戻るとものすごいスピードで歳を重ねていってしまうのだろうかと、その時間の流れに逆戻りしてしまうのかと思うとそうなりたくないと思ってしまう。

この時の流れの速度は変えられるのだろうか。この3ヶ月、留学すべての4ヶ月通しての長さ、濃さで人生を生きられたらどれだけの事を成し遂げられるのだろうと思う。実際これまで生きてきた学生時代(今もだけど)は確かに新しい事で満ちていて一年一年濃厚な時間を過ごしていたと思う。時間の流れが相対的なものであるとするなら、気の持ちよう?意識の仕方?で割となんとかなる、というか無意識に忙しさに身を投げる事をしなければきっと濃厚な時間の長さを意識して生きる事ができるのかもしれない。それには毎日を全身全霊で生きて何か新しい事や刺激に満ち満ちた環境に身をおく事が、いや環境を作り出す事ができれば実現できるかもしれない。日本に戻った後自分がどんな人生を送る事ができるのかで、今回の留学の成功もしくは失敗だったのかは価値付けられるんじゃないかと思っている。少なくとも今の自分はそうありたい、そうやって生きていきたいと願っている。頑張れ、数十日後の自分。留学のスタート地点はむしろそこからなんだと思う。

(写真は今日フィンランドのラーメン屋で見つけたもの。という事はスープは愛という事…?)

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