見出し画像

海外に住んでも劇的な変化が起こるとは限らないと思った話

初めて海外でオンラインショッピングしてみると先週注文した商品が届き、日本の即日配達はやはりすごいなと思わされました。

さて、今回は海外に住んでも文化の違いを経験しても何か変化が起こるとは言いにくいよね、と感じた話を書いていきます。

今まで海外旅行好きな人に会ったり、友人の海外旅行の話を聞いてもイマイチ惹かれなかった理由がなんとなくわかった気がしたので、その辺も踏まえて書いていけたらと思います。

(ちなみに海外に住んでも意味ないよね、というわけではなく、むしろ経験しといたほうがいいんじゃね?派なので、挑戦すべきでない、ということを書きたいわけではないです!)

・海外に住んでも変化が起きにくい理由

結論から言うと
思考法や観点が変わらないから
ということだと思っています。

海外に旅行したり住んでみたりすると、周りの人間や価値観、考え方が全く違う人たちの方が多く、特に日本のように日本人しか周りにいない環境に比べれば周りの情報量や新鮮味が圧倒的に増えます。

私自身、性格が若干変わってきたと思ってまして、「自分の我を通す」ような性格になってきました笑

しかし、これはかなり表面的な変化だと思っていて、劇的な変化を体験しているかというとそんなことはありません。

この理由が最初の「思考法や観点が国に影響しないから」だと(今の所)考えています。

思考法や観点は、私たちが生まれ育つ過程で育んできたものであり、非常に強固なものとなっています。

よく帰国子女が誰に対してもフレンドリーだったり、大学のうちにたくさん海外旅行行ったりしている人が活発だったりするのは、考え方がまだがっしりと固まる前にいろんな影響を受けるからであり、

反対に一度固まってしまうと、どこに行っても「その人の視点」というフィルターが強く影響してしまうと感じました。

私も新しいことや文化の違いを絶賛経験中なんですが、物事の見方が固まっているなと感じることが度々あり、

思考法が固定されていると、新しい物事を自分なりの解釈によって咀嚼するため、感受性の面で新鮮さを受けず何か劇的な変化は見られていないというのが感想です。

たくさんの異文化と交流したりいろんな人と常に話していますが、あくまで表層的に多様な経験している話は聞きますが、内面的な部分においての多様性はあまり感じていないのは自分の人との接し方が固定されていることもあるかなと。

この解決方法というのがそもそもあるのかは不明ですが、いろんなことをとにかくやってみるしかないかな〜と、きままに思ったりしています。

ニュージーランドに行って人生を変えよう!と意気込んでいないため、その辺のふわっとした精神も影響してそうですが、

語学学校でスタッフに相談したときは「なにかピンとくるものがいつかは来るんだけど、それがいつかはわからないから、とにかく淡々とその日が来るのを待つしかないんだよね〜」ということを言われ、かなり納得したことを思い出しました。

・終わり

飽き性で客観的に考える癖があるのであくまで個人的見解ですし、また別の国に行けばとてつもない大きな経験をすることだってあると思います。

しかし、世界どこでも自分という固定観念があると物事の視点というのは変わりにくく、そして何か大きな変化も生まれにくくなってくるんだなと思い始めた最近ですが、とりあえず1年様子見ながら過ごしそうですね笑

では、また次回!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?