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【ゆのたび。】 14:鹿児島温泉旅⑧ 日当山温泉郷 日当山温泉センター ~太古から湧き続け、西郷どんも愛した湯~

 「~行の飛行機は空港周辺の悪天候のため欠航になります」

なんだって? 私は茫然と、混み合う客たちの間で立ち尽くす。

空港内に響くアナウンスは、無情にも私に帰宅不可能を言い渡してきた。

いやな予感はしていた。が、多少の遅延はすれども結局は飛んでくれるだろうと根拠なく信頼を寄せていた。

だが結果は、今のアナウンスの通りだ。私は自動的に、鹿児島から出られなくなってしまった。

新たに飛行機を取るなどすれば今日中での帰宅は可能だろう。

だが、航空券の当日購入は席が余っているか不明なうえに料金も非常に高い。

航空券は早くに予約するから安く乗れることが多いのであって、電車やバスのように当日に購入すると想像以上に高かったりする。

実際はその料金こそ航空会社が設定している通常料金で、私がたいてい利用するときの航空券代は割引価格だ。実際は高いのではなく、普段が安いのである。

しかし安さに慣れている身としては、高い普通料金を気軽に払えるような羽振りのよい人間にはまだなれない。

ならば1日、しかたなしに滞在してから翌日、航空会社のサービスに従って本来乗るはずの便と同じ便に乗せてもらう方が安上がりなのだ。

そう、仕方なしだ。仕方がないのだ。私がもう1日鹿児島に滞在せざるを得ないのは不本意なことなのだ。

ああまったく、しょうがないことだ。帰れないなんて残念だな。

まったく仕方がないことなので。

良し、温泉に入りに行くか。

鹿児島旅、アディショナルタイムだ。


温泉が好きだ。

そういう意味では、この国は随分と恵まれている。

源泉数や湧出量もさることながら、温泉を愛する文化が社会に根付いているというのは実に素晴らしいことに思う。

この国は火山の国だ。世界にある活火山の1割がこの国にある。

火山は様々な災害をもたらす。しかし同時に、同じかそれ以上の恵みを私たちに与えてくれる。

温泉の多くは火山のたまものだ。そのため、火山の近くでは豊富に温泉が湧く。

桜島を始め名のある活火山を有する鹿児島は、それゆえ数多くの湯が湧いているのだ。

温泉が好きだ。

だからこそ、私は鹿児島を訪れた。

今日も湯を求めて、である。


あこにもそこにも温泉がある霧島の街へ


いったん鹿児島市へ戻るのも私は考えたが、バスで片道1400円(2023年現在)と結構かかるので鹿児島市行きはパス。

せっかく鹿児島滞在が1日伸びたからといっても、全くの想定外だったので予定なんて考えていない。

それに移動やらなんやらをしてお金を使ってしまっては、ともすれば別の便を購入して帰った方が安上がりだった、なんてこともあり得る。

私は金欠だ、貧乏だ。悲しいことに。

なので、お金を余計に使うわけにもいかない。

そう考えて、しかし空港からは離れないと何もできないのでどこか移動が安く済むところはないかと調べてみる。

そこで、霧島市なら移動費も抑えつつ街歩きもできることを知ったわけである。

それに、霧島市にはとても温泉が多い。山の方だけでなく、街の中にも数多く存在している。

ならば、せっかくの機会ということでそれらを味わってみたい。

ということで私は、バスに乗り込んで霧島市の中へと向かう。

目指すは日当山温泉センターだ。


日当山温泉 日当山温泉センター



現地に来るまで読めませんでした

にっとうやま? 私はこの地名の読み方が分からなかった。

ひなたやま、と読むのが正解らしい。初見で当てるのは結構は難しい読み方に思う。

日当山温泉は霧島市の平野部の少し北側にある。鉄道の駅もすぐ近くにあり、空港と霧島市中心部を結ぶ路線バスで近くに降りることができる立地だ。

日当山温泉は西郷隆盛――西郷どんが足しげく通った温泉としても有名で、そのことを知ってから、私はかねてよりここへ訪れてみたかったのだ。

西郷どんが愛した湯、いったいどんな湯なのだろうか?

路線バスを下車して、地図を頼りに歩く。

帰る予定だったので滞在用の荷物が入ったリュックを背負っていて体は重かった。湿度も気温も高いからムワッとした空気で体がすぐに汗ばんでくる。

早く湯で、この汗を洗い流してしまいたい。

川のすぐそばに目的地はある。橋を渡り、川沿いの細い道に入ってさらに奥へ。

少し奥まったところに、『日当山温泉センター』はある。


日当山温泉センター

白いコンクリート製の建物……どこか小学校や中学校を思わせるような、なんだか懐かしいような佇まいだ。

一目見てだけではすぐに温泉と気づきにくいかもしれないが、しっかり玄関には看板も付けてくれている。


分かりやすくほしい情報が書かれている看板

玄関にある看板が、なんとも客に優しい書き方で好感を持てる。

ほしい情報しか書かれていない。シンプルイズベスト、看板とはこうあるべきだろう。

営業時間は朝の8時から夜の10時まで。朝風呂も仕事帰りの立ち寄り湯もOKな、風呂好きにも嬉しい時間設定だ。

料金はおとな300円。ここもずいぶんと安いな。

私が入ってきた湯だけのことなのかもしれないが、なんだか鹿児島の湯は全般的に料金が安い印象だ。

私の感覚として、湯に入る料金はたいていおとな1人500円くらいが一般的だ。

そして500円より高いことはあれど安いことは結構少ない。

ひなびた浴場だったとしても、やっぱり料金は1人500円ぐらいするものだと私は思っていた。

鹿児島はどうしてこうも料金が安いのか……不思議に思っていた私だが、後に調べてみると、もしかしたら鹿児島県の施策が関係しているのかもしれない。

令和元年10月1日に施行された『公衆浴場入浴料金の統制額(最高額)の指定について』でおとな料金は1人420円に統制すると定められているのだ。

安さの理由はこれが1つなのかもしれない。違っていたらごめんなさい。

後は例えば、源泉温度が高いので加温のコストがかからないからとか、そもそも地元民向けなので収益を考えていないからとか理由はあるだろうが、それらが合わさっての低価格提供なのだろう。

何であれ、素晴らしい湯にお安く入ることができるのはありがたいことこの上ないのである。


内部は宿としても利用されているらしく、宿泊もできるとのことだ。もちろん、日帰りの利用もOKである。

通路を進むと、突き当りに温泉の浴室がある。


渋い構えの浴室入口


味のある行燈だ


山奥の旅館を思わせる、渋い見た目の入り口だ。ここが街中にあることw一瞬忘れてしまう。

脇に置かれた行燈には『源泉かけ流し』と手書きの字が。

ああ、やはりこの国の人間として、温泉にはまさにこういう雰囲気がよく似合う。

更衣室はよくあるシンプルな造りで、少々古ぼけたところのあるのがむしろ雰囲気があって良い。

透明なガラスの引き戸からは浴室が丸見えで、汗をかいたこんな日には早く湯に入ってしまいたくなってくる。

ちょうど、私以外に客はいない。これは運がいい、自由で大胆にこの湯を楽しませてもらおう。

衣服を脱いでさっそく浴室へ私は入った。


ワイルドな岩風呂で古代人と同じように入浴!


突然現れる、雰囲気抜群の岩風呂

そして入って速攻思う、「なんだこの内湯は!」

巨大な岩を壁として大胆に積み上げた、ワイルドな岩風呂だ。

岩は男女の浴室を仕切る役割をしている。が、岩自体が不規則な形をしているから、ちょっと低くなった隙間から向こう側が見えてしまいそうな、そんな気配がする。

あれ、もしかしたら……なんてわずかな期待をしてしまう。

私も男だ、いや申し訳ない。

少年漫画のお風呂のお色気シーンにはロマンを感じずにはいられないのだ。

実際は身長が2m50cmとかなければ覗き込めないぐらいなので、そんな高身長な身ではない私ではそもそも不可能なのだが。

床とは色の違う小さい石を敷き詰められまだら模様になっていて、透明な湯には随分と映える。

なんだか遠目で見ると、トレビの泉のようにコインの投げ込まれた池のようである。

体を流し、湯の中へ。湯は無臭で無色透明、ちょうどいい温度をしていて肌が熱さでピリピリしてくることはない。

若干ヌルヌル感も湯にあり、美肌になりそうな気配がいっぱいだ。

浴室の端には、温泉では珍しい気もする打たせ湯のような場所があり、上から湯が一直線に落ちてきている。

その下で、体の病んでいる場所に湯を当てればたちまちに良くなってくれそうである。

大風呂の奥には源泉が滔々と注がれていて、新鮮な湯を存分に味わうことができる。

湯の鮮度とかを敏感に感じ取れるような感覚は私にはないけれど、魚と同じで鮮度が良い方が温泉も質が良いのだろう。

きっとそうなのだ、そう思っておけば無問題である。

長風呂してもすぐには湯あたりしなさそうな気がするのが嬉しいところだ。私は結構のぼせやすい質なので、のぼせの辛さはできれば味わいたくはない。

西郷どんもこの湯を好んだのも分かる気がする。私もすぐに好きになってしまった。

で、湯に入っていて1つ気が付いたのだが……湯の水面下の岩の表面が、黒緑色をしている。これは岩本来の色ではない。

いったい何だろうと思って軽くこすってみると、なんと爪にその黒緑の物体がこびりついてきた。

温泉の成分が析出したものだろうか。なんだか藻のようにも見えてくる。

温泉は地下からの贈り物だ。1つとして同じ湯は無いし、こちらが想像もできないような奇妙な姿を見せてくることもある。

泉質はもちろん良く、加えて特徴も兼ね備えている。街中にあるにはぜいたくな温泉だ。


ここ周辺は古代から人の集まる地域だった

浴室にはここら辺の歴史が書かれた看板が置かれている。

かつてこの地には熊襲や隼人と呼ばれた一族がいて、彼らは当時の大和朝廷と対立をしたと伝えられている。

古事記や日本書紀に書かれるような、はるか昔の人々だ。

彼らもまた、私と同じように湯に入って日々の疲れを癒していたに違いない。

当時とは、私たちと言葉遣いも違えば文化も違っている。見た目や考え方も違っている。

でも湯治の心地よさは、今も昔も変わっていないだろう。

時を超えて共通のつながりがある気がして、私はロマンを湯の透明さに見たのだった。


……さあ、明日になったら帰ろう。

明日にはさすがに飛行機は飛んでくれる。

またの機会に、鹿児島。

これにて鹿児島の温泉旅、終了である。








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