【ゆのたび。】 07:鹿児島温泉旅① せせらぎの湯 花水木 ~焼物の里のそばの川沿い温泉~
線状降水帯が待ち構える鹿児島へと私は降り立つことになった。
空港から見上げた空はずいぶんと重たい色をしている。
気温はやたらと高く、湿度もきっと100%に近いと分かるほどに空気は重たい。
予定を変えたい。しかし予約した飛行機を変えるわけにもいかない。
晴れてはくれないだろうか……遠く霧島神宮の祭神である瓊瓊杵尊に祈りを送ってみたりする。
ふだんそんなことなんてしないのにこんな時ばかりは神頼みせずにいられないのだ。
温泉が好きだ。
そういう意味では、この国は随分と恵まれている。
源泉数や湧出量もさることながら、温泉を愛する文化が社会に根付いているというのは実に素晴らしいことに思う。
この国は火山の国だ。世界にある活火山の1割がこの国にある。
火山は様々な災害をもたらす。しかし同時に、同じかそれ以上の恵みを私たちに与えてくれる。
温泉の多くは火山のたまものだ。そのため、火山の近くでは豊富に温泉が湧く。
桜島を始め名のある活火山を有する鹿児島は、それゆえ数多くの湯が湧いているのだ。
温泉が好きだ。
だからこそ、私は鹿児島を訪れた。
今日も湯を求めて、である。
大雨にて山は登れず、焼物を見て湯に入る
実は鹿児島訪問の本来の目的は登山だった。
九州の日本百名山を制覇したいという友人の希望に私も相乗りさせてもらったのだ。
日本百名山は作家の深田久弥が自らの登山経験と独自の基準から定めた日本各地の山100座であり、登山をしない人も名前くらいは聞いたことがあるはずだ。
九州には日本百名山が6座ある。そのうち鹿児島には3座がある。
霧島の韓国岳、指宿の開聞岳、そして屋久島の宮之浦岳だ。
このうちすでに友人は鹿児島以外の3座と宮之浦岳を踏破しており、残るは韓国岳と開聞岳だった。
私は友人の足元にも及ばなくはあるが、一応山登りをする人間として末席を汚している者だ。
かねてから開聞岳については登ってみたい気持ちでいた。そういうわけで、登る機会が来たと思い、私は今回鹿児島を訪れたのである。
しかし、前日の天気予報ですでに旅程日の天候が最悪であることがほぼ確定となってしまい、登山の予定はほぼ不可能となってしまった。
一滴ほどの期待を込めて登山の道具は持ってきてはみたが、どうやらただの重荷になりそうである。
しかたなし、別のプランで鹿児島を巡ろう。
というわけで、鹿児島の焼物である薩摩焼を見るため美山へと向かった。
あらかた焼物を見終えた私は、汗でじっとりと衣服を湿らせていた。
雨の予報だったのに雨は降らず、しかしとても高い気温と湿度でずっしりと空気は重く、ただ外を歩くだけで汗がとめどなく毛穴から噴き出してくる。
しかも湿度が高いので、その汗は空気に乗って飛んで行ってくれない。なのでひたすらに心地が悪い。
辛抱たまらなくなってしまった私だが、そんなときふと看板が目に入る。
どうやら近くに温泉があるようだ。
これは重畳だ。こんな湿って汗臭い体は温泉にて洗い流してしまうのが一番だ。
これ幸いと車を走らせる。
そこが、『せせらぎの湯 花水木』だった。
せせらぎの湯 花水木
山の中をうねる道路の先の川沿いに建物はある。
古風な門構えだ、大変好みないで立ちをしている。
駐車場には車が結構停まっていて、どうやらなかなかに繁盛をしているようだ。
「あんたどこから来たんだい?」
「自分は……」
建物の写真を撮っている私が物珍しいのか地元のご老人に話しかけられつつ、中へと入る。
入浴料はおとな420円。このくらいの規模にしては安めの値段だ。
衣服を脱いで、浴室へ。内湯と露天風呂があるようだ。
体の汗と汚れを流してから、まずは内湯から入ってみる。
内湯には水風呂、温度の熱い湯、ぬるめの湯、さらに電気風呂に腰かけ風呂があり、サウナも併設されている。
長湯もしたいので、最初はぬるめの湯から。肩まで湯に浸かり、手足を思う存分に広げる。
ぬるめとはいえしっかりと熱さのある湯は無色透明で、わずかに硫黄の香りがする。
湿度の高い外気でべっとりと汗ばんだ体を、この熱さと香りがぬぐってくれる。
ああ、本当なら涼しさを暑い日はほしくなるところなのに、熱い湯に包まれるのはどうにも完璧には拒否できないものがある。
それもきっと、外気の涼しさを浴びることが楽しみで仕方ないからだ……私は湯から出て、いよいよ露天風呂に行く。
やはり温泉の魅力の一つは露天にあり。壁に囲われていない湯に浸かり、また外気で火照った体を覚ます心地よさは代えがたいものだ。
石が組まれてできた露天の湯からは、すぐそばを流れる川を見下ろすことができる。木陰もあり、日光がまぶしいのならそちらに逃げ込んでみるのもまた趣がある。
浴槽は深い部分と浅い部分とに分かれ、特に深い方は椅子に座った姿勢でも顎くらいまで沈むことができる。
普段日常の中で取るその姿勢でそのまま湯に入れるのは、ただそれだけでも特別感があるように感じる。
と、湯に入ってふと湯を見つめてみて気が付く。なんとなく、湯が青白い色をしている気がするのだ。
手にとっても湯の色は透明だ。しかし、浴槽にたまる湯は、その透明さの中にわずかばかりの青みを含んでいるように見える。
よく見ると、浴槽の底が白みがかった色をしている。水面から上の石の表面とは色が違う。もしかしたら、湯花が表面に付着しているのだろうか。
おそらく差し込む日光がその色をした石の表面を反射することで、湯が青みがかって見えているのかもしれない。ちょうど、白い砂浜な南国の海が、エメラルドブルーと称されるようなあざやかな青色をしているようにだ。
真偽はともかく、なんとも清純な色合いの湯である。ふわりと香る硫黄の香りが少しのアクセントだ。
その清らかな湯を私の汗と垢で汚してしまうのは少々引け目を感じてしまう……なんてことは嘘だ。
存分に私から流れ出るものを洗い流してほしい。そのために湯は湧いている。そのために湯は透明であるのだ。
川のせせらぎを聴きながら、私は自分の体がこの湯の清らかさに多少でも近づくことを願うなんて殊勝なことをすることなく、湯に体をたっぷりと沈めたのである。
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