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【ゆのたび。】 08:鹿児島温泉旅② 冠岳温泉 ~徐福伝説が残る霊峰を眺めてひとっぷろ~

線状降水帯にも休憩は必要なのか、空は相変わらず厚く曇ったままではあるが雨はぴたりとやんでくれていた。

夏は日が長くていい。時刻がそれなりに経過しても、外は長い間明るさを保ってくれる。

曇った空ではその明るさも半減だけれど、しかし反対に熱い直射日光を和らげてくれるので、ある意味それは利点でもある。

おかげで湿気を含んだ重たい空気に周囲は満ちてはいるけれど、肌と目を焼く日光にさらされるのとどちらがいいかと聞かれたら……ふむ、どちらともいえない。

しかしやはり日光の暑さはなかなかにきつい。多少の涼しさを与えてくれる曇りの方が、今の私にはちょうどよかった。


温泉が好きだ。

そういう意味では、この国は随分と恵まれている。

源泉数や湧出量もさることながら、温泉を愛する文化が社会に根付いているというのは実に素晴らしいことに思う。

この国は火山の国だ。世界にある活火山の1割がこの国にある。

火山は様々な災害をもたらす。しかし同時に、同じかそれ以上の恵みを私たちに与えてくれる。

温泉の多くは火山のたまものだ。そのため、火山の近くでは豊富に温泉が湧く。

桜島を始め名のある活火山を有する鹿児島は、それゆえ数多くの湯が湧いているのだ。

温泉が好きだ。

だからこそ、私は鹿児島を訪れた。

今日も湯を求めて、である。


いちき串木野市の市街地を抜け、山の方へと車を走らせる。

ここがどこなのか私は分からない。ただカーナビの指示に従い、私はアクセルを踏み、ハンドルを握る。

どうしてそこに行こうかと思ったのか……ただ、地図で目に留まった、それだけの理由だ。

留まったからってすぐに目をそらしてもいい。世の中なんてそんなことばかりだ。

でも、一時になってしまったら心の中から私にささやく声が聞こえてくる。

「いいのかな? そのまま無視をして。後悔するかもしれないのに?」

行かなかったことを後悔するのか。名前しか知らないそこに、わずかに湧いた興味に従わなかったことで未来に自分が後悔するというのだろうか。

そう、きっと後悔する。根拠なく、そう思える。

そもそも旅なのだ、己の興味に一番に従わないでどうするというのだろうか。

そういうわけで、私は車を走らせる。


のぼりが目印


看板が見えた

やがて冠岳温泉の看板と、のぼりが見えてきた。


冠岳温泉

冠岳温泉の正面玄関

冠の山、か。なんとも格好いい名前だ。

その名をつい一時間前まで知らなかった私は、入口に掲げられた布の看板に書かれた文字を見てそう思った。

いちき串木野市の海沿いの市街地から山に入るのこの温泉はある。

冠岳とは、いちき串木野市と薩摩川内市の間にある山だ。

標高は最高516mと高い山ではないが、昔から人々に信仰される霊峰である。

冠岳は古代山岳信仰の発祥の地であると同時に、なんと秦の始皇帝の命を受け不老長寿の薬を求めて徐福が訪れた伝説があり、冠岳の名は徐福がそのときに景色の美しさに感動して自らの冠を頂上に捧げたことによる説がある。

さまざまな信仰で人々に慕われる、なんとも不思議な低山だ。

まさに、山高きがゆえに尊からず、である。

近くには徐福の伝説から影響された中国風の庭園もあり、秋には紅葉の名所であるようだ。

そんな意外な見どころを横目で見ながら、私は湯へと向かった。

私はそう、湯に入りに来たのだ。


無人の野菜直売所も併設


ちなみに近くには無人の野菜直売所がある。

野菜にも地域の色が現れる眺めるだけで楽しい。


山を眺めて、湯で整って

料金はおとな420円。

受付を挟んで男女に分かれた浴室への暖簾をくぐり、衣服を脱いで浴室へ。

浴室は大きな浴槽と水風呂が一つずつ。サウナも備え付きだ。外へと続く扉もあり、露天風呂もある。

湯はアルカリ単純泉とのことで、つまりはぬるぬる系の温泉ということだろうか。

ぬるぬる温泉は大好きだ。体を流して、ウキウキしながら湯へと沈む。

ちょうどよい温度の湯だ。湯の吹き出し口が水中で勢いよく湯を出していて、やたらと水面をボコボコと波立たせている。

別に水圧マッサージ用にも思えないし、用途は私には分からない。ただ、楽しい。

電気風呂のエリアもあり、温泉に浸かりながら筋肉もほぐすことができる。電気風呂は好き嫌いが分かれるが私は好きなので嬉しいところだ。

実は今回は、美山の温泉からのはしご風呂である。本日2回目の入湯だ。

そのためか、せっかくのぬるぬる温泉なのに肌がぬるぬるしてきてくれなかった……最初の湯で、肌が綺麗になってしまったのかもしれない。

さあ、外に出よう。露天こそ、温泉の魅力の一つである。

露天からは正面に冠岳の大きな山体を見上げることができ、標高が500mほどとはいえ、近くで見るとそれ以上の大きさに見える雄大な姿を眺めて湯に浸かることができる。

湯船には木製の屋根が付けられ、雨に万が一降られても体を雨に濡らすことなく入浴ができる。

さらに近くには椅子が置かれ、サウナや入浴で熱く火照った体もリラックスしながら外気で冷やすことができる。

整う、ができるのは素晴らしい。

実はサウナで私はしっかりとした『整う』を経験したことがない。

水風呂がどうにも苦手で……至高の心地とサウナーたちが言うのだから、私もそのうち意を決して『整って』みたいと長いこと思っているわけである。

景色は語る必要もなく素晴らしいものだ。あいにく曇っていたけれど、山自体は雲に隠れてはおらずしっかりと堪能することができた。

きっと晴れていれば、また季節が違えば、より良い冠岳の姿も見せてくれるに違いない。

それに夜間には満天の星空を眺めることができるとも聞いている。

空が晴れていたら、夜の冠岳温泉に浸かれるまで長風呂もやぶさかではなかった。なんとも残念である。

一期一会とは旅の醍醐味だ。人であろうと、温泉であろうと。

やはり自分の心に従わないといけない。従ったからこそ、温泉からの冠岳を私はこの目で拝めたのだ。

かつてもしかしたら徐福が見上げたのと同じように。



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