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心声

目を背けた方が早く前に進めるからと、ずっと気づいていないふりをしていた。早く進んでいるはずだったのに、なぜかバランスが取れなくなって、安定して進むための力が無くなってしまった。基礎練習を怠ったのだ。自分の原点に戻る作業。心の声を聴く作業。進め、進め。周りの声、理想の自分が叫ぶ声、色んな声にかき消された小さな本心は、最初から無かったものかのように、小さく、小さくなっていった。

相手の心理をコントロールするための手法が溢れる世界で、そんな教科書に載らないわたしの感性を信じてみたかった。わたしは何かが違うのだと、信じたかった。信じられるぐらい、頑張ってみたかった。頑張らなくても生きていける世の中で、わたしは不自由な生活を続けていきたかった。

仕事、音楽、自然、人との会話、すべてにおいて言葉を、文字を追っている。言葉は不完全で不格好だ。言葉で表せない感情が、なにかが、溢れる、けど追いつかない、心が先走って文字が置いていかれる、あの瞬間がたまらなく好きなのだ、わたしは。

なにが売れるとか、なにが偉いとか、なにが格好いいとか、一般論にぐるぐる振り回されるのはもうごめんだ。わたしはわたしでいい、裕福じゃない、偉くない、格好よくない、でも、幸せだ。幸せはいつだって、そこにあるから、それを見ていられるわたしがたまらなく好きなのだ。ちゃんと生きられなくて、よかった。

わたしはずっとカメレオン。わたしの知らないわたしがたくさんいて、でもどれもわたしで。わたしの中に作り上げた偶像になりきる、そのわたしをまた別の知らないわたしが見つめている。わたしはいつだって、知らないわたしを演じている。その自覚がだんだんとなくなっていって、薄っぺらいわたしだけが残った。そんな人生は、やっぱりいやだよ。

人に対する感度を磨きすぎて、自分の心に対する感度を鈍らせた。社会を上手く泳ぐためには必要なのかもしれないけれど、求めている自分からはずいぶん遠ざかってしまったな。今は、折り返し地点。

心の声を聴いてみたい。と思う反面、きっと心はなにも訴えてなんかいなくて。見えないものを表現してみたい。わたしはただそれだけなんだ。

心の声がきこえたとき、わたしはきっと満たされて、また何かが満たされなくなるのでしょう。

いつか青い鳥になって、あなたの下へ幸せを届けます。