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シン・薩長同盟②~龍馬はやっぱりすごかった~

ゆたをです。
前回の記事に引き続き、薩長同盟で龍馬が果たした役割を見ていきます。

※本記事も前回同様に、町田明広氏著作の『新設 坂本龍馬』(インターナショナル新書) (集英社インターナショナル)を参考にさせていただきました。

情報のハブとなる龍馬

薩摩藩の意向を受けて、薩長融和に向けた情報収集を担うこととなった龍馬。
長州藩だけでなく、一部の幕臣とのコネクションなど、幕府側の情報も持っていた龍馬は、まさに情報のハブとして全国を飛び回る大車輪の活躍を見せます。
これは僕の推測ですが、当時を生きた人物の中でも、龍馬が持つ情報量やネットワークの広さはトップレベルだったのでは?と思います。
龍馬を介して薩摩、長州の要人に情報がもたらされ、龍馬がいたからこそ、伝達がスムーズにできた点は間違いなくあると思います。

そして、「薩長同盟」が締結される

龍馬の尽力もあり、1866年1月いわゆる「薩長同盟」が締結されました。
ただ当時の日記などの史料から時系列を整理すると、木戸孝允と薩摩の要人(小松帯刀・西郷隆盛)の間で同盟に関する6か条の内容が議論されているその場には、龍馬は立ち会ってはいなかったようです。
とはいえ、龍馬は同盟の内容について間違いないというお墨付きをつけるため、木戸からの求めに応じて、盟約の内容を記した手紙に裏書をしています。

龍馬の裏書(参照元ページ:https://www.kochinews.co.jp/article/detail/513336)

"越境"する龍馬

土佐を脱藩していわばフリーランスとなっていた龍馬。薩摩藩に召し抱えられてはいましたが、藩など所属へのこだわりやしがらみが少なく、状況を俯瞰して見られる立場にあったと思います。
フラットに情勢を見極めて、薩摩・長州など様々なステークホルダーの間を"越境"できるフットワークやコミュニケーション能力は当代随一ののもだったでしょう。
僕もサラリーマンの身として思うのは、仕事ができる人・成果を出せる人に共通しているのは、自部署だけでなく、他部署にも積極的に足を運んで関係性を構築しているという点です。
社会にインパクトを残す仕事をするためには、自分ひとりだけでなく、多くのステークホルダーとのコラボレーションが不可欠であることを自覚し、積極的に越境する姿勢がいつの時代においても重要なのだなと思います。

龍馬のメタ認知力の高さ

フラットに情勢を見極められるといった要素にもつながりますが、龍馬は今風に言えば"メタ認知力"も高かったのではないかと思います。
青年時代に剣術修行で初めて土佐を飛び出して、江戸の地を踏んだ龍馬。大都市江戸の華やかさなど、それだけでも龍馬にとっては刺激的だったと思います。そこに期せずして、黒船来航にばったり遭遇。否が応でも、海外技術の恐ろしさを痛感し、「世界の中の日本」を意識付けられたと思います。この青年期の衝撃的な経験が、志士龍馬を生み、土佐という小さなナワバリを軽々と超越した高いメタ認知をもたらしたのではないかと考えてしまいます。

このあたりは僕の想像の域を超えませんが、なんだかんだ坂本龍馬はやっぱりすごかった…!というのが僕の所感です。
龍馬から学び取れる、「越境力」「情報のハブとしての役割」「メタ認知力」を少しでも自身の生活に生かしていきるよう、まだまだ精進して参ります。

記事をご覧いただきありがとうございました!

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