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オリンピックと競技活動②:お金に苦労した時代

今回は、実業団やプロは除いた話になる。

私の時代はとてもお金に苦労した。
シーズン終わりには、ざっと次のシーズンに必要な活動予算を計算してみる。家賃、光熱費、栄養、用具、合宿、移動費、通信、etc…

営業


必要な金額を集金するため、電話帳の「あ」行から電話をかける。アポ取り…撃沈。アポに行って…撃沈。
営業経験もない無名な競技者のアポ取り成功率はほんの数%だった。

活動計画や予算、協賛メニューをまとめた資料を常に持ち歩いていた。

法人向けには1口数十万円から。金額に応じてサイト上や制作物に企業ロゴを載せたりSNSやブログで紹介したりする。個人向けには一口1万円からで、口数に応じてステッカーやTシャツなどを差し上げる。また、メーカーや小売店向けにサプライヤーと称したカテゴリーを設けて、オフシーズン中にまとめておいた欲しいものリストの中から、物品の提供頂ける先を探していた。

広告

協賛を募るにあたり大きなネックなっていたことがある。
競技連盟の規定で試合用ユニフォームに掲載出来る広告の上限数があるのだ。当時は4社まで。私達のような一口数十万円で協賛を募っている選手にとって、4社では圧倒的に足りない。そこで私は、平等性を保つ為ユニフォームの広告掲出をそもそもやめた。そもそもカラフルな広告はユニフォームデザインを崩すし。

自分なりに、自身が出た新聞や番組等におけるユニフォーム広告の露出度を測った。大した露出も広告価値もなかった。それ以上にホームページやSNSで紹介したり、YouTubeで動画を見せた方がよっぽど魅力が伝わり易いと考えた。ユニフォームには広告の代わりに自身のウェブサイトに誘導するURLを記載した。当時は斬新だったので少しは目を引いた。試合に出る度にウェブサイトの閲覧数が伸びた。
だから私のユニフォームには広告が一社もない。

現役時代のユニフォーム


お金を作るのに時間がかかった時代

当時お金を集めるのはそう容易ではなかった。いわゆる外回りだけでなく、積極的にイベントや行事に出たり、ウェブサイトやブログ、SNS(当時のトレンドはアメブロとFacebookとYouTube)を日々更新したり、グッズを販売したりもした。その為にコーディング(プログラミング)を学習したり、イラレや動画編集ソフトの使い方を学んだりもした。今ではそんなことをしなくてもiPhone一つあれば誰でも秒で完了出来る。当時はホームページにクレジットカード決済を持たせるのは複雑だったし、アメブロ上に独自のパーツを埋め込むにはソースコードいじる必要があった。一瞬たりとも暇な時間がなかった。
全ては活動資金の為だった。

価値が伝わりやすくなった時代

今はそこまで時間と労力を費やさなくも文明の利器と知恵をうまく使うことで最速最短でお金を集めることが出来る。お金を集め易くなったと言うより、自分の存在と価値が伝わり易くなったと言える。

必要なものは、スマートフォン。
必要なスキルは、ほんの少しのプレゼン力くらい。
自身の価値が言語化出来れば良い。

若い選手は信じられないだろうが、当時はブログやSNS(まずSNSと言う言葉が浸透していなかった)で発信すること自体に、一部批判の声があった。ネット上で練習風景から活動予算まで全部曝け出し、協賛権を販売していたわけだから、とにかく怪しい奴だったに違いない。


つづく


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