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パイドン 81a

真正の仕方で知を求めてきたそのままにと言うことであり、また真に心休んで死にきることを習ってきたそのままにと言うことなのだ。それとも、どうかな、知を求めること(哲学すること)とは、まさに死の練習である、としていいのではないだろうか。

我々が知を求める(哲学する)ということは、死の練習である。知を求めるということは、心休んで死にきるということである。知を求めるということは、死の練習という言葉が引っかかる。後になって説明されるが、その時に読んだ立場で観照してみることにする。練習という言葉は、上達させるために行うことである。知を求める(哲学する)という練習。泰然自若に死ぬための準備なのかもしれない。哲学をしている人が死んだとき肉体を離れた後も知を求める。真正な仕方とは、本来純粋なる魂を汚さないためには、真正なる方法で行わなければならない。


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