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思い出の人1~下柚木のアパートの人たち①H川君~

大学生活を送るにあたって最初に入居したのは、八王子市下柚木にある大学が斡旋してくれた「協力アパート」でした。

「協力アパート」とは、大学側が大学の周囲にあるアパート(大家さん)と協力(契約)し、その大学の学生のみを入居者として受け入れ、相場よりも安い家賃で貸し出すものです(確かそんな感じのシステム)。
入居者は全員が同じ大学の学生となることから、学生寮の雰囲気も少しあります。

ちなみに、このアパートに入居する頃の話やアパートでの思い出の書いた記事は、次のとおりです。

今回の記事では、この八王子市下柚木のアパートの住人、すなわち大学の先輩や同期についての思い出を書いてみようと思います。

そうそう、まずはこのアパートにはどんな人たちが入居しているのかを知るのは、大家さんが毎年4月に自宅で開催している「歓迎会」に参加したことがきっかけとなりました。

H川君についての記憶1

以前の記事でも書いたとおり、入学式当日のバス停で、スーツの上着に仮糸が付いたままになっていて、それを私の父に取ってもらったのがH川君。
これが私とH川君の最初の出会いとなり、卒業式終了後にアパートに帰宅した際に、お互いが隣同士であることを知りました。

H川君は三重県の四日市市出身。私と同じ年齢で、高校時代は剣道部だったとのこと。関西弁のようなイントネーションで声が大きく、明るく元気な人でした。ちなみにH川君の学部は文学部でした。

地方から出てきた同じ年齢の新入生が隣の部屋同士ということは、お互いにとても心強い存在になったので、暇なときには部屋に行き来して話をすることが多かったです。

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H川君のことで強烈に記憶に残っていることは二つあります。

その一つは入学式が終わって数日後、当時、トップアイドルだった岡田有希子さんがお亡くなりになったときのことです。

その日は新入生はまだ授業がスタートしてませんでしたので、私は部屋で過ごしていました。テレビを見ていたら岡田有希子さんの件で速報があって、特にファンではなかった私も非常に驚きました。

その後、用事があってアパートの通路に出たら、ちょうど買い物から戻ってきたH川君とバッタリ会いました。
そのついでに岡田有希子さんの速報について伝えました。

すると、H川君はその場で、両手に持っていた買った物で満杯のレジ袋を落とし、ものすごい大声で「嘘やろ~っ!!嘘や~っ!!!」と叫びながらひざまずいて泣き出してしまいました。

聞けばH川君は岡田有希子さんの大ファンだったとのこと。
H川君がショックのあまり大声をあげて崩れ落ちる姿は、忘れられない記憶として残っています。

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H川君についての記憶2

もう一つ記憶に強く残っている話をします。

大学1年の夏休みが終わり、後期の授業が開始されると、私の通学はバスから原チャリになりました(9月中旬頃)。

そのため、バス通学を続けていたH川君を見かけることもなくなった状況になり、私は同級生と遊ぶ機会がかなり増えたこともあり、H川君とはお互いの部屋を行き来して話す機会もすっかりなくなっていました。

そんな状況が約2か月くらい経った11月のある日。
隣人ということで宅配便の荷物を代わりに預かってしまい、H川君に渡さなければならないことになりました。

約2か月ほど会ってない(見かけてない)ものの、H川君の部屋のドアの横には空のペットボトルや空き瓶がビニール袋にたくさん入って置かれているのは目にしていました(さすがに生ごみはありませんでした)。

その日のたしか午後5時頃(だったような記憶)、H川君の部屋のドアが開閉した音が聞こえてきたので「H川君が帰宅した」と確信してH川君の部屋に内線をかけてみました(私の住んでいるアパートには外線が1回線と各部屋に通じる内線がついた電話が設置されました)。

内線後、荷物を渡すためにH川君の部屋のドアをノックしました。

そして・・・ドアが開くと・・・。

なんと!!今でいうと「くまモン」の着ぐるみでも着たかのような物凄い体格、力士のような図体の人が姿を現しました!!!

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H川君は身長約170センチで、やや痩せ型の体型だったのですが・・・。

姿を現した人の顔は、目や鼻も「肉にめりこんでいる」感じで顔全体が膨らんでいます!!

一目見ただけではH川君とは判別できません!!!

しかし、声はH川君で間違いないので、私は驚きながら(笑いをこらえて)「どうしてそんなに太ったの?」と尋ねました。

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すると、H川君は「毎日毎日、ジュースを飲みまくり、お菓子を食べ、弁当を食べまくって・・・たまに大学に行く程度で、あとは部屋でテレビや漫画ばかり見てゴロゴロしていたら、こうなってしまったんや。服も入るのがなくなって大変なんや」と答えました。

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私は「人間は、短期間にここまで太ることができるんだ!」ということをH川君から学びました。

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H川君についての記憶2のオマケ

このH川君の短期間の激太りの話は、まだ続きがあります。

年末年始に実家(三重県)に帰省したH川君は、ご家族はもちろんのこと、友人たちに「どうしてそんなに太った?」「やばいよ、お前」「中に入っている人、出てきてくださ~い」などなど散々言われたそうです(後日本人談)。

H川君は年末年始の帰省からアパートに戻ってきたH川君は、一念発起してダイエットを決意したそうです(後日本人談)。

ジョギングしたり、腹筋したり、食事制限をしたり・・・いろいろと頑張って・・・意地になって・・・ムキになってやったそうです(後日本人談)。

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また、2月中に私がアパートのすぐ近くにあるオレンジマートに買い物に行ったとき、マスターが私に言いました。
「あなたの隣の部屋のH川君、この前、店を出た瞬間に倒れこんで動けなくなってしまたんで、部屋まで肩を貸して連れて行ってあげたよ。ダイエットしてて豆腐しか食べてないと言ったから『ちゃんと栄養は撮らないとダメだ』と言ったんだよ」と。

どうやらダイエットに励むあまり、食べ物は一日に豆腐を一丁だけの食生活をやっていたようです(後日本人談)。

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「(後日本人談)」と書いていますが、実は私は11月に激太りしたH川君を初めて見てからは春休みが終わった4月上旬頃なるまでの間、H川君を見かけることがなかったのです。

1月下旬に学年末試験が終わった日から事実上の春休みが始まり、2月中は同級生と1か月間の短期アルバイトに精を出し、3月中は秋田に帰省していたので、H川君と「再開」したのは帰省から戻ってきた4月上旬頃でした。

再会したH川君は、見事に痩せていました!!
あまりにも激太りで膨らんでいたせいか、太る前よりも痩せてみえました。

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本人によれば太る前は65キロだった体重が約100キロまで増えていて、今も激太り前の体重には戻っていないものの、増える前の体重の近くまでダイエットしたとのこと。約2か月で35キロ太り、これまた約2か月で30キロくらい減らしたとのこと。

短期間での増減というか膨張と収縮というか、その大きさに驚かされつつ、私は「痩せてよかったな!」と言いました。

すると、H川君は「いやぁ、確かに顔のぜい肉はだいぶ落ちたけど・・・ほら!見てみい!」と上着を一気に捲り上げました。

私の目の前には異様な光景が飛び込んできました。

そして、私は、あまりにも太り過ぎて伸びきった筋肉(ぜい肉)は、体重が減っても簡単には消滅しないということをH川君から学んだのでした。

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H川君とは私がこのアパートを引っ越しする1988年の2月初め以降、会ったことはないままです。当時、将来はスポーツ新聞の記者になりたいと言っていたH川君。今、どうしているのか気になります。








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