春が来たよ
おはようございます。
始発を待っている時にnoteでも更新しようかなと思い立ったりすることが多いです。
文章を書いていていつも思うのですが、映像制作をする僕からすると、文章というのは本当に偉大。創作の原点にして頂点。
映像作品においては、視覚聴覚をフルに活用し昨今ではCGも多様して説明に説明を重ねて情景を描きます。文字という記号のみで読者の想像力を掻き立てる文章表現は本当に凄い。
noteも含め、文章が上手い方への尊敬の念がやまないです。
さて、まだまだ寒い日が続きますが季節は春になりました。皆さんにとって春ってどんな印象ですか?
僕にとって春は結構しんどい季節です。
毎年春になると引っ張られないように毎日意識的に気を張って過ごしています。気温差、花粉、気圧の差、あと環境の変化もあったりして何かと心労が多い季節ですし、なんだか期待と絶望がセットになっている印象です。
それでも学生生活ではなんとか騙し騙し暮らせてきました。人も環境も良かったのかもしれません。でもある出来事をきっかけに、春への苦手意識が高まりました。
17歳の誕生日辺りに初めてパニック発作を起こしました。なかなか寝れない夜、突然閉塞感が襲ってきて、いてもたってもいられず深夜に家を飛び出し小一時間くらい近所を走り回りました(明らかにやばいやつ笑)
その時は走ったら発散できそうという理由で、とりあえずヘトヘトになるまで走りました。疲れ果てて家に帰ったんですが、なぜか帰って来た感じがしなくて、精神的にずっと緊張している状態でした。
その日から今も僕は外に飛び出したまま帰れてないのかな?なんて思ったりします。
安心感とは何か?その日からいつも考えていました。安心感というのは、自分が存在していてもいい理由が明確である、ということだと思います。
僕は無償の愛みたいなものに対しての不信感が多分元々あって、だから家族という場所への所在無さを感じるのかなと。(年子の長男あるあるな気もします)
愛される理由が明確にそれも自分が能動的に起こしたアクションによって存在しているのであれば、それは何よりの安心感です。
頼ってもらえると安心する。
だから、僕に帰る場所は無くても、僕自身が帰る場所になれればいいんだと思います。
やはり自分の安心できる場所は自分で切り拓いていかなければいけないんだな…面倒くさいけど、そうやって人は生きているんだと思います。
春になるといつもそんな事に思いを馳せています。
ちなみに桜は好きです。春の匂いも好き。
自分が生まれた季節だし、いつか本当に好きな季節になればいいなと思います。
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