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圧縮されたストレスの行方

 人生初の主催したトークイベントで、ゲストがホワイトボードとプロジェクターを使い、トークを進めるのに対し私は進行役を務めていた。ゲストにあいづちをうちながらコメントし補助する役目だ。

人生初で、さらに見切り発車の本企画なので、進行役の役目も理解せず、ゲストがどんな展開で話をするのか打ち合わせもしなかった。

たとえどんな話しであっても、もっていける根拠のない自信があった。

ところがどうだろう。

もともと緊張しいで調子こきの私は、事前告知で散々煽っておきながら聴衆を前にして初めて、本番をイメージしきれていなかった事を思い知った。

ゲストとは親友で、2時間の電話も平気でするほどで、いつの会話も詰まることがなかった。しかしここは聴衆の面前。いつものふざけた切り返しが思うように繰り出せない。

コメントが思い浮かぶたびに、

「みんなは理解できるコメントか?」「自分達にしか通じない言葉じゃないか?」などが頭をよぎり、緊張がほぐれず言葉が出ない。

大した切り返しもできずにストレスを感じ続け、ついに2時間。トークイベントは終了しました。

強烈に圧縮されたストレスとともに。

私は、見切り発車してしまったことを後悔し何が原因なのかを分析しながら、時が経つにつれ、緊張と同時に大量に出たアドレナリンをもう一度欲するようになっていた。人に物事を伝えるということは、時として中毒になると感じた。

 数日後、たまたま別の友人から人に物事を伝えなければいけない役目を授かった。今までならただ話を伝えるだけなのに、10名程を前にして、大きなホワイトボードを使い、伝える内容を図と文字で描き準備し始めた。

伝えたいことがある時、聴衆の前で話し始めると、事前にイメージしていた展開は音もなく消え去り、軸がぶれぶれになってしまう。

先日のトークイベントで痛いほど味わった感覚を払拭するかのように、ホワイトボードに伝えたい事、忘れてはいけない事を描きなぐった。そして、強烈に圧縮されたストレスがここに来て爆発した。

話し始めてから1時間の間、私はまるで水を得た魚のように、物事を伝え続けた。心が躍り、口車が止まらなかった。まるで言葉をため込んだ子どもが、一気に話し始めたかのような感覚だった。

見切り発車せずに準備して、失敗することがなかったとしたら。ここまで心と体に刻み込まれる学びは無かっただろう。

圧縮されたストレスは大きな学びを生む。

時には我が子にも、助言せずにただ見守ることが、成長する為の最高のプレゼントになると思った。




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