見出し画像

突然の心臓疾患でサッカー選手の夢を絶たれた僕が、23歳でスポーツと健康の会社を立ち上げた話【TENTIAL創業物語】

プロのサッカー選手になること。小学生1年生で本格的にサッカーを始めてから、それが僕の大きな夢でした。

高校では地元の強豪校に進学し、3年生の時には目標だったインターハイに出場。運良くサッカー関連のメディアで、注目選手として取り上げていただいたこともあります。

もしかしたら、本気で夢が叶うかもしれない。そんな時、突然「狭心症(心臓疾患の一種)」を患い入院することになったのです。

幸い、大事には至らなかったのですが、卒業後の進路に大きな影響を与える3年生の夏に病気になってしまったことで、プロサッカー選手への夢を断念することになりました。

あれから11年。僕は今、TENTIAL(テンシャル)という人々の「健康」にまつわるスタートアップを経営しています。インソールやリカバリーウェア(BAKUNE)を通じて、心身のコンディショニングをサポートする会社です。

2023年の2月で、創業から丸5年が経ちました。東京・神泉にある家賃9万円のアパートでスタートしたTENTIALも、今では約80人のチームに。少しずつ仲間が増え、ようやく会社らしくなってきました。

さらなる成長に向けて採用活動をすごく頑張っているのですが、最近ではTENTIALに興味を持ってくださった方から「どういった背景で創業したのか」「なぜ健康領域で事業をやっているのか」を聞かれる機会も増えてきました。

高校生まではサッカーひと筋。起業とはほど遠かった僕が、なぜ健康領域のスタートアップを経営するようになったのか。良い機会なので、これまでのことを整理してみたいと思います。

起業やスタートアップに関心がある方にとって、このnoteが少しでも参考になると嬉しいです。


前半のパートはTENTIALを創業するまでを振り返った内容になります。創業後の話を知りたいという方は「家賃9万円、自宅も兼ねたアパートの1室からのスタート」から読んでいただくのがおすすめです。

突然告げられた狭心症で絶たれた、サッカー選手の夢

「地域の選抜には選ばれるけれど、その中では下から数えた方が早いレベル」

それが子どもの頃の、僕のサッカーの実力です。周囲ではサッカーが上手いと思われていましたが、いざ地域の選抜に行けば、自分よりも優れた選手がたくさんいました

トップクラスの選手の中には、中学生になるとJリーグのクラブのジュニアユースチームに進む子も多いです。でも僕はそこにいくことができませんでした。

その差を逆転できるくらい、もっとうまくなりたい。それが大きなモチベーションになっていました。

高校は、地元・埼玉県の強豪校でもある西武台高校に進学しました。青森山田や市立船橋といった超名門校ではありませんが、少し上の先輩方はインターハイで3位に輝き、卒業生の中にはプロになった選手もいます。

入学時の僕は、少し調子に乗っていたと思います。なんとなく、自分もプロになれるんじゃないかと高を括っていたんです。

プロになった後の具体的なビジョンがあるわけでもなく、「早く経済的に自立したい」「モテたい」くらいにしか考えていませんでした。

そんな僕がすぐに活躍できるほど甘くはなく、1年目は試合に絡むことすら、ほとんどできなかった。厳しい現実を突きつけられたことで練習に打ち込むようになり、2年生になってようやく出番が増えていったんです。

それが少しずつ結果にもつながっていって、3年生ではインターハイにも出場することができました。サッカー雑誌で紹介してもらう機会もいただきました。

頑張ったら夢にも手が届くかもしれない。少しだけ希望が見え始めた頃、体に異変を感じるようになりました。突然、呼吸が苦しくなるようになったのです。

病院に行った結果、医師から告げられたのは「狭心症」だということ。心臓疾患の1つで、カテーテル手術をして、入院することになりました

高校3年生の夏は、進路に大きな影響を与える1番大事な時期です。それまでに輝かしい実績を残していたわけではない僕にとって、その時期に一切プレーできないことは、最後のチャンスを失うことを意味します。

退院後にすぐ本調子を取り戻せるわけでもなく、この病気をきっかけに、僕はプロサッカー選手への道を断念することを決めました

僕自身が病気で夢を断念したことが、「健康」領域の事業に挑戦することを決めた原体験にもなっています。(写真は社会人になって入院した時のもの)

人生を変えた1本の動画

サッカーしかしてこなかった僕にとって、サッカーは自分の唯一の存在意義でした。

それだけに、病気になった直後は、あまりにもショックが大きかった。気力を失い「自分はサッカーで評価されてきた人間だから、サッカーを取ったら何も残らない」と本気で遺書を書くほど、追い込まれていた時期もありました。

ただ結果的に、この期間が自分の人生を見つめ直すターニングポイントにもなったんです

入院中は時間がたくさんあったので、さまざまな小説や哲学書を読み漁りながら、これからの人生について真剣に考えることができました。

思い返せば、ずっと自分のことばかりを考えていて、家族やお世話になった人達に対して何もできていなかった。自分の人生においても、何もやり遂げられていない。そんなことに気付けたのも、この期間です。

とはいえ、すぐに立ち直れたわけではありません。正直、腐っていた時もありました。高校卒業後は大学に進学することもなく、フラフラ過ごしていた時期もあります。

それでも時間が経つにつれて、「サッカー以外のことで結果を出したい」「自分はもっとやれるはず」という思いが強くなっていきました。

何か自分の熱量を向けられるものがないか。それを探し続けていた時、たまたま開いていたYoutubeで1本の動画が目に留まりました。当時アメリカの大統領を務めていたバラクオバマ氏のスピーチの動画で、「プログラミングの可能性」について語られていたものです。

「これからアメリカの未来を背負っていく若者たちには、ビデオゲームをやるのではなく、作る側に回って欲しい」。そのような言葉が印象に残りました。

もともと子どもの頃から何かの「仕組み」や「構造」を考えることが好きで、図鑑を見るのにハマっていました。意外と言われるのですが、1番得意な科目も数学です。

プログラミングは自分でも興味が持てそうだし、これからの時代においても重要なスキルになるのではないか。そう考えた僕は、プログラミングにのめり込んでいくようになります

書店で書籍を何冊も買い込み、「ドットインストール」という学習サイトを参考にしながらプログラミングに熱中していました。

高卒・19歳でスタートアップの創業メンバーに

インフラトップ(現・DMM.com グループ)の創業者である大島礼頌さんと出会ったのは、それから数カ月後。19歳の時でした。

全く面識はなかったのですが、プログラミング学習を軸とした事業を始めようとしていることを大島さんの知人の方のTwitterで知り、3人で渋谷のカフェで話をしました。

プログラミングを学ぶ中でスタートアップに興味を持つようになったこと、何よりビジョンへ共感していたことが、このプロジェクトに惹かれた理由です。

自分自身がプログラミングと出会って新たな一歩を踏み出せたので、プログラミングを学んで人生を変えられるようなきっかけを広げたいと考えていました。

こうしてインフラトップに創業メンバーとして参画したわけですが、高卒1年目でビジネスのことなんて全くわからない僕にとっては、何もかもが初めての経験。在籍していた約3年間は、とにかく忙しない毎日でした。

そもそもプログラミングスクールは講師がいなければ成り立たないですし、カリキュラムや教材も必要です。

エンジニアの知り合いがたくさんいるわけでもなかったので、Twitterでプログラミングの経験が豊富な方を見つけてはDMを送り、講師の依頼やカリキュラム作りの相談をする。そんなことから始めました。

少しでも可能性のありそうな方には連絡をしていたので、送ったメッセージの数は正確には覚えていません。ただ、スルーされることや断られることの方が圧倒的に多かったことだけは覚えています。時には事業内容を根本から否定されるようなこともありました

それでもやり続けていると、中には熱心に協力してくれたり、親身になってアドバイスをくれたりする人も出てくる。それが励みになって、少しずつ自信を持てるようにもなりました。

創業期のスタートアップは特にリソースが限られているので、最終的には自分で何とかするしかない場面もたくさんあります。

事業責任者を任されていたこともあり、講師のリクルーティングやカリキュラムの開発と並行して、受講者向けのガイダンスやマーケティング、地方拠点の開拓など事業成長に繋がることは何でもやりました。

寝る以外の時間は全て仕事に費やすような毎日でしたが、新しいことの連続で、得られたものも多かったです。「創業期のスタートアップのリアル」を経験できたことは、自分がスタートアップを立ち上げた際にも、すごく役に立ちました。

22歳でリクルートに“中途入社”する

自分で事業を作りたい。インフラトップで仕事を始めて約3年が経った頃から、明確に起業を考えるようになりました

プログラミング教育もやりがいのあるテーマでしたが、自分の原点でもある「スポーツ」や「健康」の領域で挑戦したいという思いが強くなったんです。

特に感じていたのが、アスリートやスポーツ経験者が輝ける場所がもっと必要だということでした

アスリートとして活躍していたのに、スポーツの道から離れた途端、モチベーションを失い、人生を楽しめていない——。自分の周りだけでも、そのように見える先輩や同級生が何人もいました。

その度に「この人はスポーツ以外の領域だったとしても、絶対に活躍できるはずなのに」と、煮え切らない気持ちになっていました。自分自身が健康上の理由でサッカーを諦めた後、道に迷った経験があったことも大きかったです

そこで最初はものすごくシンプルなプランとして、「アスリートのセカンドキャリア」を支援する求人メディアや人材事業などで起業することを考えていました。

ただ、そのアイデアを投資家や起業家が集まる場などで話してみると、期待していたような反応は得られませんでした。少なくとも“スタートアップのビジネス”としては全く評価されなかったのです。

「社会的な意義はあると思うけれど、スポーツはマネタイズが難しく難易度が高いのでやめた方がいい」

「(スタートアップとして)メディア事業に挑戦したいのであれば、金融など他の分野の方が絶対に良いと思うよ」。

少なくとも20〜30人の方にお話をしたところ、ほとんどの方からそのようなフィードバックをいただきました。

それを繰り返しているうちに、ビジネスプランの問題だけではなく、自分の実力不足も感じるようになっていったのです。

創業期のスタートアップで事業責任者を務めていたものの、上場前のベンチャーや上場後の組織を経験したことはない。起業したことを想像してみても「成長した後の会社の姿」を思い描くことができなかったんです。

成長企業で一度修行してから、起業した方が成功確率が高くなるのではないか。そう考えるようになったタイミングで、偶然にも声をかけていただいたのがリクルート(当時のリクルートキャリア)でした

なぜ興味を持っていただけたのかは謎だったのですが(笑)、大学4年生と同じ年齢で事業責任者としてスタートアップで働いた経験があったことや、僕のバックグラウンド自体が「ちょっと変わっていて面白そう」と思っていただけたようです。

結果的に僕は“22歳でリクルートに中途入社する”という、少し特殊なキャリアを歩むことになりました。

「Windows」が使いこなせない

少しでも早く圧倒的な成果を残して活躍しよう。そう意気込んでリクルートに入社したわけですが、初日から予想外のところで苦戦しました。

それまで僕が使っていたパソコンはMac。一方で配属された部門で支給されたのはWindowsのPCです。Windowsの使用経験がほとんどなかった僕は、エクセルやパワーポイントの基本的な使い方すら、怪しい状態でした

簡単な作業でさえ、操作方法を逐一調べて、ギリギリ対応できるレベル。会議で「議事録をお願い」と言われた時には、冗談抜きで「終わったかも」と思いました...。

Windowsの使い方はさておき、リクルートはスタートアップとは全く違う環境で、発見ばかりでした

僕は「キャリフル」という新規事業を担当するチームで、主に企画職(MP・メディアプロデューサー)として働いていたのですが、大きな違いを感じたのがオペレーションとガバナンスです

それまでの僕は、パワープレイで何とかすることが多かった。初期のスタートアップでは人手が足りていないことが普通だったので、量をこなすことで補うのが当たり前になっていました。

でもリクルートは、そうではありませんでした。かつての自分に比べて働いている時間が少なかったとしても、成果が出るような仕組みが設計されていたのです。

ガバナンスも同様でした。スタートアップであれば、良くも悪くもノリや勢いで事業を進められる部分もあります。

一方でリクルートは上司やチームメンバーを納得させることができなければ、施策を起案したところで承認されず、前には進めません。プロジェクトを成功させるためには、時には他部署の方々も巻き込み、協力を得ることも必要です。

オペレーションの力やガバナンスの大切さ、メガベンチャーの論理といった当時の学びは、組織が拡大してきた現在のTENTIALを経営するにあたって「大きな経験値」となっています。

家賃9万円、自宅も兼ねたアパートの1室からのスタート

リクルートで働く中でも、起業への想いが枯れることはありませんでした。入社数カ月には休日の時間を使って自宅で仲間と集まり、事業の準備に取り掛かるようになりました。

TENTIALは東京・神泉駅の近くにある、アパートの1室で始動しています。間取りは約6坪(21平米)の1K。家賃は9万円ほどでした。

実はこの物件、リクルート時代から住んでいた当時の僕の自宅です。

将来起業することを見据えて、オフィス利用が可能な部屋を、自宅兼オフィスとして借りていました。ちなみに隣にはシューマツワーカーさんも入居されていて、仲良くしていただいてました。

現在のTENTIALはコンディショニングにまつわる製品の開発や販売が主軸になっていますが、もともとはWebメディア事業からスタートしています。

中長期的にものづくりに挑戦すること自体は創業前から決めていました。その頃、僕が言い続けていたのが「ナイキを超えるような会社を作りたい」ということです。

​​スポーツが好きだからこそ、スポーツに関連する事業を通じて収益を生み出し、その収益を再びスポーツに還元したいという想いがありました。

そのためには、社会的に意義があるだけではなく「しっかりと収益を生み出せる事業」を作る必要があります。

世界的なスポーツ企業を何社も調べてみてわかったのは、ナイキやアシックスを代表するように「メーカー」が多いということ。自分たちもそのような企業を目指すのであれば、ものづくりに挑戦することは必然だと考えていました。

でも、創業直後のスタートアップがいきなりメーカーを目指すのは、あまりにもハードルが高すぎます。豊富な資金やものづくりのノウハウも、当時の僕たちにはありませんでした。

そこでリソースが限られているスタートアップでも取り組みやすい、Webメディアから始めてみることにしたのです。

共同創業時のメンバーの中にはメディアスタートアップ出身者がいたため、自分たちの経験を活かせる分野でもありました。

Webメディアから始めた理由

Webメディアから始めた理由は、他にもあります。

当時はスポーツやトレーニングに特化したサイト自体が珍しく、検索エンジンで表示される情報の中には、匿名の個人ブログや信頼性に欠けるようなものもたくさんありました。

もっと内容が充実したコンテンツや、情報が正確で信頼できるコンテンツが増えると良いな。そのように感じたことが何度もありました。

もしアスリートやスポーツ経験者がトレーニングの方法、テクニックの習得方法、スポーツの楽しみ方などを解説してくれたコンテンツがあれば、スポーツに関心がある人のプラスになるかもしれない。

TENTIALの祖業である「SPOSHIRU(スポシル)」は、まさにそのアイデアをかたちにしたものです。

まずはメディアを通じて、スポーツやコンディショニングに関心のある人へ役立つ情報を届けていくことから始める。

メディアが成長すれば、よく読まれている記事などを分析することで、ユーザーが困っていることや必要としている製品を知ることもできます。将来的にはそのニーズを満たすような製品を、自分たちのブランドで作っていくことができれば面白いのではないか。

そのような構想を描いていました。

手探りのメディアづくり

ローンチ初期のイメージ。当時のサービス名は「Spochi」

数カ月間の準備期間を経て、2018年2月に会社を設立し、TENTIALとしての活動が本格的に始まりました。

最初に取り組んだのが、コンテンツの制作に協力してくれるアスリートやスポーツ関係者の仲間集めです。僕を筆頭にTENTIALの初期メンバーはスポーツ経験者が多かったこともあり、まずは知人を中心に20〜30人の方に声をかけました。

相手からすれば、知り合いとはいえ「聞いたこともない会社の、よくわからないメディア」の話をいきなり聞かされるわけですから、不安もあったと思います。そのような方々の協力がなければ間違いなくスポシルは立ち上がらなかったので、本当に感謝をしています。

会社の創業期はとにかく事業が最優先ですから、しばらくの間は自分自身でも元アスリートとして記事を書いていました。

とはいえ、実際に書いてみると思っていた以上に時間がかかり、学生インターンのメンバーにお尻を叩かれながら、なんとかこなしていたというのが実態です。

せっかく入社してくれたインターン生が数カ月でやめていく

創業期のTENTIALは学生インターン生の活躍によって支えられていた、といっても過言ではありません。ただ、インターン生が育つ仕組み作りにおいては、失敗もしました。

当時の僕は、インターン生全員に幹部として活躍できる人に育って欲しい、もしくは新卒で入社した会社でエースになれるような人に育って欲しいと考えていました。

そのために、15分ほどの単位でインターン生のタスクや行動を「マイクロマネジメント」していたのです。

これが、ほとんどのインターン生から不評でした。「そこまで管理されたくない」「怖い」と思われ、せっかく入社してくれたインターン生も、数ヶ月後にはほとんどやめてしまうような状態でした。

いきなり「全部自分で考えて行動して」と伝えるのは不親切だろうと考え、マイクロマネジメントを取り入れたのですが、思い返してみれば想像力を欠いたやり方で、完全にやりすぎでした...(もちろん、現在は仕組みや体制もかなりアップデートされています)。

一方で現在活躍している社員の中には、創業期にインターン生として飛び込んできてくれたメンバーもいます

執行役員として事業をリードしている石川は、1人目のインターン生として創業時(正確には会社の創業前)からTENTIALに携わってきました。

内定先の新聞社に入社するタイミングで一度は卒業することになったのですが、それから数カ月後に正社員として戻ってきて、今では事業を牽引する存在になっています。

実は彼を含め、1人目から4人目のインターン生は全員が一度別の企業に就職したのち、再びTENTIALに参画し、活躍してくれています。創業期から会社のことを知っているメンバーの存在は、僕にとっても心強いです。

わずか1年半でサービス名と社名を変更

事業に関しては創業前から時間をかけて構想を練っていたのですが、会社の経営にあたっては準備不足が原因で、思いがけない壁に直面することが多かったように感じます。

「社名」や「サービス名」のネーミングもその1つです。

僕たちは創業から1年半のうちに、社名(創業時はAspole)とサービス名(当初はSpochi)の両方を変えています。どちらか片方だけではなく両方を変更しているのは、スタートアップでも珍しいかもしれません。

サービス名の変更は「商標」が原因でした。Spochiを立ち上げてから数カ月が経った頃、別の企業が同名のメディアをやっていること、その会社がすでに商標を取得していることを知ったのです。

最初は「商標の区分などを踏まえると大丈夫なのではないか」と甘く考えていたのですが、専門家の方に話を聞いてみると、今後のことを考えるとリスクがあるとおっしゃる。

思い入れのあったサービス名ではあったのですが、ドメインなども含めて全てを刷新し、0からメディアを作り直すことを決めました。

不幸中の幸いだったのは、比較的早い段階で、自分たちからその事実に気がつけたこと。とはいえ、リソースと時間が限られるスタートアップとしては苦い経験となりました。

なお社名に関しては、ある投資家の方との会話の中で「Aspoleという創業時の名前が海外のスラングの発音に近い」ことが発覚したのが変更の理由です。

メディアを分析してわかった「足の課題」

そんな失敗を経験しながらも、アスリートの方々の協力やメンバーの活躍もあり、スポシル自体は数カ月で月間数十万PV規模のサイトに成長していました。

ニッチな領域だからこそ、巨大なプレーヤーがいるわけでもなく、スタートアップでも戦える余地がある。創業前の仮説が当たっていた部分も大きかったように思います。

SPOSHIRUとしてリスタートしたメディア。ローンチから約1年半後に⽉間100万PVを突破

メディアが育ってきた中で、2018年の秋ごろから「ものづくり(ブランド立ち上げ)」に向けた準備も始めました。

その際にヒントになったのも、メディアの「検索ワード」です。

スポシルの分析をしていると、検索エンジンで「足の悩み」を解決する方法を調べ、記事にたどり着いている人が多いことがわかりました。そこで接骨院の先生と連携して、LINEで足の不安を気軽に相談できる「足の相談所」を開設しました。

すると、このLINEアカウントに1日に数十件の相談が寄せられてきたのです。時には想定を大きく上回る相談がきて、運営が回らないような状態にまでなりました。

足の悩みを抱えている人が多いことはわかっていたものの、改めて調べてみると『浮き指』という病名があることや、足の状態が悪いと肩こりや腰痛に繋がるメカニズムになっていることなどを知りました。

「足の課題」を知るきっかけになったLINEアカウント

足の状態が改善されるだけでも、さまざまな方々のコンディションが良くなるのではないか」。この領域に大きな可能性を感じました。

足の課題解決からスタートすることは、自分の思い描いていたプランにも合致しました。

目標にしていたナイキを始めとしたスポーツメーカーの歴史を辿ってみると、「シューズ」から始まっている事例が多かったからです。

ものづくりのことは、専門家に聞くのが1番良い

足の悩みを解決するブランドを立ち上げることを決めたものの、当時のTENTIALには大きな課題がありました。

ものづくりや小売の知見を持ったメンバーが、1人もいなかったのです。

Webメディアの運営には自信がついてきたけれど、ものづくりや小売に関しては素人の集まり。周囲にも詳しい人はほとんどいませんでした。

そこで頼りになったのが、さまざまな領域のプロフェッショナルに相談ができるスポットコンサルサービス「ビザスク」です。

かつてインフラトップで事業責任者をしていた際の反省点として、先輩の経営者や事業家の方々に、もっと積極的に相談をすればよかったと感じていました。

そこでTENTIALでものづくりに挑戦するにあたっては、専門家に積極的に頼ることに決め、現場で働いている方に話を聞くことにしたのです

メーカーに勤めている方を中心にビザスク上で連絡を取り、ものづくりについて基本的なところから教えていただきました。TENTIALを知っている方は1人もいませんでしたが、それでも10人以上の方が協力してくださり、丁寧にアドバイスをくれました

当時ビザスクで送っていたメッセージのイメージ。専門家の知り合いもいなかった自分たちにとって、現場の方の声を直接聞ける貴重な場所でした

専門家の人に聞けば聞くほど感じたのは、当時のTENTIALにとってシューズの難易度が高すぎるということでした。

通常シューズは0.5センチごとにサイズが分かれるため、1つの製品を作るだけでも、たくさんのSKUを用意しなければなりません。例えば6種類のサイズを10個ずつ用意するだけでも、60個の在庫がいるのです。

加えて、それだけの在庫を保管するためのスペースを確保する必要もあります。

初期のスタートアップにとっては、とにかく負担が大きい商材でした。

足の課題の解決策となるものを作りたいが、シューズは無理かもしれない...。そこで打開策となったのが、第一弾の商品に選んだ「インソール」です

インソールならシューズほど細かいサイズに分かれていないので、用意する在庫の数は抑えられます。シューズと比べて容量も大きくないので、在庫を管理するために広いスペースを確保する必要もありません。

「アスリートにも納得してもらえる製品」を作る

最初のプロダクトとなったインソール(写真は現在のもの)

インソールに注目した理由は他にもありました。シューズ作りのパートナーを探しに展示会に参加していた頃、インソール開発のパートナーとなるBMZ社とたまたま出会ったのです。

BMZ社は主にアスリート向けの高機能インソールなどを開発している群馬県の会社です。同社が手がけるインソールの品質の高さに感動し「この会社と一緒に、ものづくりをしたい」と考えるようになりました。

BMZ社との出会いもあり、TENTIALでは自社ブランドの第一弾としてインソールを開発することを決めました。

インソールの開発にあたってはBMZ社に加えて、アスリートにも協力してもらいながら数パターンの試作品を作っています。

健康やコンディションに気を配っているアスリートに納得してもらえる製品ができれば、自ずと一般の人にも喜んでもらえるものになるのではないか。そう考えてのことです。

実際に販売をしたのは、試行錯誤を重ねた上に開発した3代目のものでした。

手書きのメッセージカードを同封、自社でフットサル大会を主催

完成したインソールを広めていく上で、正式販売に先駆けてクラウドファンディングにも挑戦しました。

とはいえ、その時点でTENTIALの存在を知っているのは会社の関係者くらいです。普通にクラウドファンディングでインソールを売り出しても、プロジェクトが成功する確率は決して高くはありません。

そこでメンバー総出で、家族や友人、知り合いにひたすら協力依頼のメッセージを送りました。あるメンバーは「友達が減ったかもしれません(笑)」と口にするほど、必死で連絡をしてくれていました。

その甲斐もあってか、ギリギリではありましたが、目標金額の100万円を集めることもできました。

インソールローンチ時に挑戦したクラウドファンディング

インソールは第一弾の製品だったため、発売当初は信用も実績もほとんどありません。僕たちが唯一伝えられるのは、プロダクトに対する熱量くらいです。

ちょっと熱苦しいかもしれませんが、当時は購入いただいた方全員にメンバーの手書きのメッセージカードを同封していました。

潤沢な資金があったわけではなかったため、メッセージカードだけでなく、限られた予算の中でやれることを考えて試行錯誤を繰り返しました。

例えば初期によくやっていたのが、フットサル大会の開催です。自分たちで大会を主催し、試合の合間や試合後にインソールを紹介する。これなら余計な広告費などをかけずとも、TENTIALの存在を知ってもらうことができます。

「D2Cブランド」と聞くとデジタルマーケティングのイメージが強いかもしれませんが(もちろんTENTIALでも取り組んでいます)、インソールは実物を手に取ってもらうことが大切なので、オフラインの施策にも力を入れてきました。

購入者の方々をオフィスに招いてヨガイベントやランニングイベントを開催したり(継続が困難で3回で断念)、地方のゴルフ場から街のサイクルショップまで、様々な場所でポップアップを実施してみたり

上手くいかなかった施策もたくさんありますが、地道な活動を積み上げていくことが、事業の成長には欠かせなかったと思います。

製品ページやデジタル広告に使用するクリエイティブ用のモデルも、当初は社内のメンバーが務めていました。「広告で自分の顔が表示されて恥ずかしい」なんてこともよくあったのですが、それでもたくさんのメンバーが積極的に協力してくれました。

スポーツと健康を循環させる

インソールから始まった、TENTIALの「ものづくり」の挑戦。ブランド立ち上げから3年半が経過した今では、扱ってきた製品は50種類を超えるまでになりました。

特に2021年2月から販売を開始したリカバリーウェア「BAKUNE」は、シリーズの累計販売数が20万枚を突破し、TENTIALの主力製品へと成長しています。

BAKUNEのストーリーまで書いてしまうと、とてつもなく長くなってしまうので(笑)、また別の機会に紹介できればと思います。

2021年2月から販売を開始したリカバリーウェア「BAKUNE」

最後に1つだけ、TENTIALが「スポーツ」と「健康」にこだわる理由をお伝えさせてください。

僕たちが創業時から掲げているテーマの1つが「スポーツと健康を循環させる」ことです。

スポーツで培われた知見や経験が、人々の身体の状態を整えることに活かされ、結果として今よりも健康に前向きになれる人、自分のポテンシャルを発揮できる人が増えていく。

「スポーツと健康とポテンシャルは全てつながっている」という根本の想いは今でも変わっていません。

むしろTENTIALの事業を通じて、その可能性をより強く感じるようになりました。自分たちの取り組みを通じて健康に前向きな人が増えれば、日本の大きな社会課題である「健康課題」の解決にもつながると考えています。

全ての人が健康に前向きで、挑戦を続け、本来のポテンシャルを発揮できる社会の実現に向けて。これからもTENTIALではスポーツと健康を循環させる役割を通じて、健康に前向きな人が増えるようなチャレンジを続けていきます。


最後までお読みいただき、ありがとうございます!TENTIALの挑戦は始まったばかり。思い描いているような社会を実現するためには、もっと多くの仲間の力が必要です。

採用活動にも力を入れているので、少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ気軽にご連絡ください!


励みになります。