言い切れない何か

 直近でゴリゴリに動いていたプロジェクトが一段落して何の罪悪感もなく余暇時間を過ごすことができるようになって色々溢れてきたものの、わざわざ「言葉にする」ということが好きになりきれていないなりに半身で最近感じてることをできる限り人に伝わる文章で書いてみたくなったけど、全体に特に一貫したストーリーはないので気になったところだけ読んでくれたら嬉しかったりします。人と会うとなんだかんだバイトの話が出たり、欅坂のあれこれの話が出てきて、意外と読んでくれる人がいるもんだぁと混浴温泉に入る直前のような気持ちになります。混浴温泉に入ったことないんですが。言い訳のような、読まれる恥ずかしさを誤魔化すような前置きを書きながら、僕は一文がクソみたいに長いなと気付きました。まさにこの文もなんですが。谷崎潤一郎の下位互換ということで許してください。

・一言近況

 最近は欅坂ブーム(脳内)の影響で、乃木坂工事中・欅って書けない?を見漁っていたんですが、その影響で乃木坂の齋藤飛鳥・山下美月・梅澤美波が主演の「映像研には手を出すな!」を4回映画館で観ました。劇中の「足要らねぇですな」という齋藤飛鳥のセリフ(下のリンクのとこ)と、「我々はモラトリアムに守られているんですよ。失うものなんてない、ノーリスクですよ。」という梅澤美波のセリフを映画館で聴きたいがために行きました。

・入学半年でやらかした

 ご存知の通り(?)僕は4月に大学に入学して、東洋大学の1年生をやっているんですが、僕の声の小ささと昨今のマスク文化のせいで「とうようだいがく」が「とうきょうだいがく」に聞こえる事があるようです。まあハッキリ話せよということなんですが、「え、東大生なの!?」と聞かれた後に「あ、いや、東洋の方です」というと、「あ、そっか」とお互いに気まずくなるシチュエーションに遭遇することが月に1回くらいあります。僕は性格上「あ、そっか」の意味をずーっと考えてしまい、その後の会話もままならなくなってしまう。別に誤魔化そうとしてないから、なんか学歴詐称しようとしたと思われるのは侵害だし、勝手に驚いたのはそっちだし、と頭では想いながらも、今この人どういうイメージ持ってるんだろうなとずーっと考えてしまいます。
 そんなことはあんまり関係なくて、ひょんなことから大学の公認サークルの代表に入学半年にしてなりました。半ばサークルを乗っ取った形に近いので、正直あまり良い話ではない気もするので関係者は是非タブを閉じてほしいんですが、そういうことでHult Prizeの学内予選を責任者として取り仕切っています。参加チームが欲しいので、Hult Prizeで扱うSDGsに関する授業をやっている先生にメールでガンガン連絡を取っていたらなんと学生部なる謎の事務から口頭で注意を受ける羽目に。大学の公式サイトにデカデカとSDGsに取り組む大学的なページを作っていたので、そこで色々話していた先生(学長)にメールしたら、どうやら怪しい団体と思われて学生部に繋がれ、そこから注意という流れになったと思われる。いやーSDGsや何やと標榜しておきながら、いざ学生が取り組んでいるとなるとここまで事務的な対応をするのかと。社員と社長ならまだしも、自分が頭の学び舎に集っている学徒に対してここまで「冷たい」対応をされるとは思わず。学術会議の一件に抗議する民衆ならまだしも、大学に利がある活動を法を遵守してやっているだけなのになと。学生と対話しないみたいな批判をすると何が起きるかわからない時代なので、批判はしません。太字で抑えておきます。

・人の言葉の重み

 よく、座右の銘と聞かれてよくも知らない経営者(スティーブ・ジョブズ)の日本語でもないquoteを卒業文集に載せる人(自分)がいますけど、直接触れた人の言葉の重みは違うよなぁと実感する。今の生き方の指針を作ってくれたのは確実に、某私立高校のブラック労働によって自ら生きることを辞した先生の「自分が進みたい方を見ればいい」っていう言葉と、カナダの高校時代に僕を物理・化学の2科目で苦しめたものの、カウンセラーとしてお世話になった先生の"Choose what you love, and stick with it."の2つだ。この言葉のおかげで今こうして生きているし、これからも変化しながらもこうして生きていくだろう。
 これは僕の中のマクロな話で、もっとミクロな話になると、最近の僕の関心は社会思想的なところにある。社会学徒で良かったと感じる瞬間だが、そのキッカケは社会学とはまた違った方向を見ていた時にあった。去年、カタリバにインターンとしてジョインして直後にあった私立高校でのカタリ場授業の帰り、打ち上げへと向かう列から離れ、翌日に迫った筑波にある某TKB大学の入試のために帰っていた時に国分寺駅(確か)で出会った熱心な共産党員のおばさんだ。ちょうどその頃、参議院選挙の直後(はず)で、駅前には演説する党員や何某の署名に奔走する党員がいた。例によってそのうちの1人に捕まり、急いで帰ったはずが2時間以上も話し込んでしまった。
 血気盛んだったので、「そもそも共産主義を謳う党が日本にある事自体が以上で、その人達が民主主義について声を上げる事自体が違和感」という話に始まった 。相手方の党員も今まで出会った党員とは段違いの優秀な方(恐らく某国立H大学出身)で、民主主義的な共産主義を主張してきた。その方はいわゆる主流派ではなく、色々あって街頭の署名募集の人をやっているそう。
 その人と話し込んだことで中3か高1の時にカッコつけて読んだ資本論やた共産党宣言の話と繋がりが見えて、民主主義と共産主義が混ざった様式ってなんや?的な問いを形を変えながらここ1年と数ヶ月生きてたりする。
 他にも色んな人の色んな言葉で今ここにいるなと思うと僕は僕という膨大な量の引用をしてる論文なのかもしれないと気持ち悪いことを言いたくなった。もう午前2時を過ぎているので許して欲しい。

・帰国子女のあれ

 たかだか2年半ちょいいたくらいで帰国子女を名乗るなと言われるとそれはもう全力で土下座をするんですが、大学入試上の定義ではそうなるのでそういうことで書くんですが、まあジレンマ的なあれってあるなと実感。スーパーグローバル大学なんぞに選ばれている割には大したことない大学故に別に英語が話せる人が多いわけではないので、英語の授業がひたすらにつまらない。なんか一部でめちゃしゃべる奴がいると話題になってしまったようでやりにくさを感じる。やりニクソンというつまらないギャグも浮かんだ。
 あと、カナダの高校時代に割と好きだった中国の女の子が"Jessie"っていう名前で、その子の"sie"の発音が中々できなくて友達にめちゃくちゃ練習相手になってもらった。元々それなりに耳が良いことと、そのことがあって発音厨と化した。とは言え自分の発音も完璧ではないし、別に直接発音悪いって言う性格の悪さはない。特に"th"の発音が気になってしまう。"think"が"シンク”でも気持ち悪いし、韓国英語によくある"チンク"にも耳触りの悪さを感じる。"I think something~~~, anything~~~"などと"th"渋滞した時には聞くことさえも阻まれる。とは言え、僕も"r"系の発音は苦手なので人の振り見て我が振り直せということで頑張りたい。

・僕は何だかんだ恵まれている

 「今更かよ」と実家のある駒込辺りから聞こえてくるような気がしないでもないが、色々な意味で恵まれている/いたことを実感する。例えば、今の自分だったら絶対に聴かないような音楽を耳にできていたこと。関係を一方的に断っている父親を称賛するようで気に食わないが、実際に幼少期から少しのクラシックやレゲエ、多くのThe BeatlesやQueen、わずかのBilly Joelに触れられていたことは世界を広くしてくれた。明確な意識を持ってからは専ら、アニメやらアイドル界隈に生息していただけに、半ば文化的な教養と化したそれらに触れられていたことでそうした文化の背景や当時の歴史などに関心を持ちやすくなった。
 ひとり暮らしを始めてから実感するのは、自分の直接的には求めていない、「不要な情報」に触れることが圧倒的に減ったことだ。実家に生息していた時は、朝起きれば「おはよう日本」が流れていて、民放に変えることはご法度だった。しかも朝夜は基本的に家族全員で食卓を囲んでいた。夕食時にはこれまた「ニュース7」に始まり、9時台のNHK、10時台の民放ニュース番組と大して日本経済やら世界経済に詳しくなければいけない職業に従事していた人がいなかった割にはよくニュースを見ていた。だから、小学生の頃から親と政治や経済について話す機会は多かったし、そうした視点を早くに持てたからこそ、親の政治観と徐々に離れていく自分に気付いたし、違ったからこそ話すことをより面白いと感じた。通っていた小中は特に文化資本豊かな、両親ともに大卒なボーイズアンドガールズばかりだったのであまり感じることはなかったが、色々な小さな社会に足を踏み入れてどうやらそれが当たり前でないことが分かってきた。
 なんだかんだ恵まれていながらも、どこかで弱者の顔をして生きていたことを恥じた。大人は何もしてくれない、何も分かってくれないなどと言うのは簡単だけども、それに気付いているならやることは分かっているはずで、何もしないで指を咥え、誰かが何かを起こすのをじっと見ている自分を斜め上から眺めて嫌悪を感じた。


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