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人に期待するなど

きっかけは逆オファー

 まさか、9割5分大学院進学を学部卒業後の進路に定めていた僕が新卒採用文脈で開催されているインターンシップにエントリーすることはおろか、参加することが起こるなど想像もしていなかった。そしてインターンシップに参加してこれほどまでに進路に悩まされる時が来ることなど考える余地もなかった。

 8月に参加することになったのは、パーソルキャリアが開催する4DAYSのインターンシップ。「BRIDGE」という名前が付いており、新規事業立案を行い、プレゼンするというもの。4DAYSとは名ばかりで、DAY1-2が行われる日月曜日からDAY3-4の日月曜日まで1週間が空き、まるでその空き時間にユーザーヒアリングを行えと言わんばかりで、結局1週間のほどんどをこのインターンに捧ぐことになった。

 そもそも、このインターンにエントリーすることになったきっかけは逆オファーだった。アカウントを消そうか迷っていたWantedlyに届いた1通のメッセージだった。最初は無視しようと思っていた。パーソルキャリア。人材業界を否定的に見ていた僕にとって返事をする意味などなかった。

 風向きが変わったのは数日後。やはりスカウトメールということだけあって、僕の自己肯定感を一時的に上がっていた。もう一度メッセージを開き、一緒に送られたプログラムをwebページを見て、載っているメンター陣を見て、興味が湧いてきた。おまけに4日間のインターン参加で4万円がもらえるという。この時の僕は本当に4日間のみ参加すればお金がもらえると思っていた。気づくとパーソルの新卒採用ページから24卒用のアカウントを作成していた。さらに、条件は一次選考(webテスト、適性検査)免除で、二次選考の面接からで良いと言う。例によって全く準備をしないまま当日を迎えた。 

 二次選考も思いの外あっさり通ってしまった。若干眠そうな人事担当者と髭にマンバンの全く受かりたい意欲を見せない大学3年生が過去の経験を語っていた。1週間以内に合否の連絡をすると言われたので気長に待とうと思っていたが、翌日の朝に選考通過の連絡が来た。

 最終選考はビジネスプランの立案とその動画プレゼンだった。少し前から温めていた教育プラットフォームのアイデアをPowerPointに落とし、動画は提出日の午前中に撮ろうと先延ばしにしていた。歯車の狂い始めをたどればここが最初の誤算だろう。動画提出はある日曜日の夕方。その前々日の金曜日に安倍元首相が亡くなった。改めて人間の命が永遠ではないこと、自民党支持ではないにせよ、今までの人生の中で最も長期に渡ってテレビの向こうで時に饒舌に、時に感情的に論戦を繰り広げていた人物が亡くなったことのショックは大きかった。寝起きよりも低いテンションで無理矢理動画を収録し、これで合格の道が閉じたことを覚悟した。

 とは言え、合否の連絡は気になった。動画を提出してから1週間が過ぎたある日の午前、合格を知らせるメールが届いた。

高学歴に囲まれて

 僕レベルが手抜きに手抜きを重ねて受かるインターンなどたかが知れていると思っていた。自分と同じレベルかそれ以下の大学の学生が集っているのだろう。適当に議論して4万円がもらえるなら安い。確かにそう思っていた。4DAYSに含まれない、0日目のオリエンテーション、そこで東の京の大学や東の北の大学、筑波にある大学の大学院など、錚々たるメンバーに囲まれたチームに入れられた僕は、唯一の私立大学の学生だった。

 血の気が引いていったのをあそこまで鮮明に感じることはこの先の人生でも起こらないだろう。見た目の雰囲気も相まって、同じチームに振り分けられたメンバー達が皆、ロジックで武装に武装を極めた特殊部隊員に見えた。zoom画面に映る自分の姿はあまりにも寂しかった。

 人生の中で、「自分を自分で褒めたい」という言葉が1度だけ使えるのならば、ここまでにベストなタイミングはないと思う。そんな精鋭に紛れて選考を通過できたこと、一度に多様なバックグラウンドを持つ優秀な学生と濃い時間を過ごせる経験はそうないはずだと前向きに捉え直し、自分の持つ全てを出し切り、無知の知を暴力的に(もちろん比喩)、苦しみながら体感できる最良の機会だと思えた。

n回目の体調不良

 僕は病気をして以来、何事も無理をし過ぎることをやめた。無理をすること自体を否定するわけでもないし、時にそういうことが必要なことは理解している。それでも、自分の身体を過度に追い込んでまで打ち込むことなどないような気がして、良くも悪くも執着を適度に手放す人間になった。だから、DAY2が終わりDAY3まで空いている約1週間は当然なにもしないものと思っていた。しかし、僕の予想とは裏腹に、あまり進捗を作ることができなかったことから、本気で優勝を狙いにいく覚悟から、DAY3までの期間は諸々のリサーチ、ユーザーヒアリングなどの時間に変わった。

 今思うと、あのキツさは文化祭直前の興奮と焦燥感に似ているのかもしれない。「自分たちならできる」、「絶対に優勝する」という魔法の言葉が睡眠さえも忘れさせる魔法の薬に変わっていた。

 当然、無理のない生活を維持していた僕にとっては精神的にも体調的にも不安定になることが多々あった。ただでさえ、自分の能力の天井が見え始め、それに手が届きそうで、周りのメンバーの天井が自分のそれよりも高く見えている状況下で常にフルパフォーマンスを発揮できるわけもなかった。それはさらに自分のプレッシャーへと変化し、無限ループに突入していた。熱がでることもあれば、なぜか突然涙が出てきそうになることさえもあった。それでもそんな時、露骨に機嫌が悪くなったり、周りに怖く映る僕にも優しい言葉を最後までかけ続けてくれ、最終日にフィードバックとして伝えてくれたメンバーには感謝してもしきれない。

 そこで改めて、自分はスタートアップのような、寝食を捨ててでもプロダクトという生活スタイルや遅くまで残業し、くたびれた顔で23時台の丸の内線に乗るような会社員にもなりたくないということを実感した。やはり僕は、常に金銭的な不安を抱えながらも、社会学や哲学の文献に囲まれ、学術的な成果(まずは学位)を追求する生活の方が苦しみの中にも生きがいを見いだせるような気がした。

チームメンバーからもらったもの

 チームの雰囲気は総じて良かった。もちろん、刹那的に緊張が走ることや理詰めしている瞬間があったことは事実だが、メンバーそれぞれがチームの雰囲気をポジティブなものに、ハッピーオーラ(けやき坂の曲が由来)を大切にしようと意識し続けた努力の賜物だと思っている。

 だからこそ、最終プレゼンが終わったあとも、その後のチーム振り返りも凄く良い雰囲気で迎えることができた。成果としては、当初からの目標であった優勝を勝ち取ることはできたものの、出資の判断は下りず今これを書いている時も自主的にチームでブラッシュアップを続けている。

 このインターンに参加したことで得られた最大のことは、凄く濃密な時間を過ごしたメンバーからもらえた忌憚のないフィードバックだと思う。ポジティブなものとしては、人と向き合い続ける姿勢や、内側にある声を引き出す姿勢、チームに笑いをもたらし続けていたことを評価してもらえた。正直に、前の2つは全く想像もしていなかった。これは後半で詳述したい。

 ネガティブなものはテンションの落差、言語化を諦めることという、自分でも課題意識を感じていたことらずばりだった。ただ、改めて率直に聞くことができたのは初めてだったと思う。だからこそ、他者に対してどのように映っているのか、リアルな声をもらうことができた。特に態度は本当に出やすい。怒っている時はそれを見て発言を萎縮させることもあった。一番必要なのはアンガーマネジメントだと思う。怒りという感情をアイデアや意見、感想に変換し、できるだけ雑味を除去した上で適切に相手に伝える練習が必要だ。

人に期待するなど

 改めて、人に向き合う姿勢に対してリスペクトをもらえたことは自己認知に大きなゆらぎをもたらした、僕はやっぱり人が嫌いなはずだ。特に対話をする意志のない者、対話ができるだけの素養を持ち合わせていない者に対して向き合い続けることは諦めた。バイトをしている時は、リスペクトのない口調で話してくる客が嫌いだった。サークル活動をする上では、水準の低いメンバーに何度も何度も同じ話をしたり、成長を促すことは苦痛以外の何物でもなかった。一方で、僕は自分が置かれている環境に対して問題意識を醸成しやすいタイプだし、それを原動力にチーム内の環境改善にコミットできる人間なのだとも思う。だから、今回のビジネスプランのユーザーに対してある種の愛情を持っているように映ったのだと思う。

 僕は、人に裏切られることが怖い。課題をやる約束をしたのにやっていないばかりか平然と嘘をつく中学生、できないことをできないと言わず、分からないことを分からないと言えないまま、後戻りできないタイミングで白状する大学生。僕は愛を持って接した他者に失望することが何よりも怖く、苦痛なのだと思う。だから、人が嫌いと言い続け、人と向き合うことを放棄し、斜に構えた態度で批評家を気取るゲス野郎ポジションを確立しようとしていた自分大好き人間の一人だ。

 それでもきっと、僕の原動力は人の苦しみや痛みなのだとも思う。以前所属していた強い思い入れのあったチームがコロナを経て変容した。大切にしていたカルチャーは徐々に蔑ろにされ、太い柱だったメンバーは次々と去り、自分がなぜそこで頑張り続けるのか分からなくもなり、新参メンバーともコミュニケーションにズレが生じ、そのズレは解消されることもなく、僕は何もできないまま愛しさを憎しみに変えてその場を去った経験がある。

 そう遠くない未来、僕は人に期待し、失望し立ち直る経験を経てもなお人に愛を注げる人間になるために大きな絶望を経験する必要がある。それがいつなのかは分からないが、論理で解決できないその先にある世界を目の当たりにし、それでも愛で包み込むことができるようになりたい。この覚悟をくれたのは他でもない、全幅の信頼を置いたメンバーからもらえた率直なフィードバックのおかげだと思う。「人に期待するなど…」と斜に構えていた僕自体が、メンバーからの信頼によってメンバーを信頼し、期待した結果多くのものを手にしている。次は僕が目の前の誰かを信頼し、信頼を勝ち取る番。人に期待するなどの後に、どんな台詞が付くのか。未来の自分に期待を持つことができるようになったインターンだった。

 それはそうと、「短期・インターン」という言葉が「自粛・要請」のように聞こえてしまうのは僕だけだろうか。

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