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2年間、NPOカタリバでやってきたこと

 タイトルの通り、2019年7月にインターンとして参画したNPOカタリバを21年9月いっぱいで卒業しました。できたこと、できなかったこと、様々な想いも含めて、卒業文集的に、今感じていることをできるだけ正直に言葉にしておこうと思います。ここからの内容は個人の感想なので、いかなる団体・組織の意見ではないことをご理解ください。

NPOカタリバについては下記のサイトを参照してください。

不登校だった自分に手を差し伸べられる自分になれるように

 僕がNPOカタリバへ参画するずっと前、教育に興味を持ったきっかけは、高校時代に慶應義塾大学の中室牧子先生の「学力の経済学」を読んだことでした。
 入学後半年で高校を不登校になったものの、環境に恵まれたおかげで高校を中退しカナダの高校へ留学することができた僕は、自身が持つ選択肢の数と手札によってその人の将来が大きく変わってしまうことに強い悔しさと、自分が恵まれた環境にあることの罪悪感をこの本を読んで抱き、教育からこの社会へインパクトを与えられる人になりたいと強く思うようになりました。

「教育を変える」

漠然とした想いを抱きながら、どうしたら自分が大人になった時に、自分のような境遇にある高校生が、置かれた家庭環境に大きく影響されずとも自分にとって良い選択ができるようになるのかと考え、大学では政治学(Political Science)を学び、その後に各分野の専門家を集め、学校をつくることを目標に夢を追いかけ始めました。

カタリバとの出会い

 政治学を学ぼうと、高校のあった州の大学に出願し、無事にビジネススクールの政治学専攻に合格できました。しかし、合格通知書が届いて以後、高校卒業後すぐに大学生となることに不安を感じるようになりました。アメリカのオバマ前大統領(当時)の娘がギャップイヤーを取ったニュースを偶然読み、大学進学を半年後ろにずらし、ギャップイヤー(高校卒業→大学入学の間を半年〜1年程度空けた期間のこと)を半年取ることに決めました。決めて以降、「どこで何をするか」を考えていた時に頭に浮かんだのが、東京都文京区にある「b-lab」でした。文京区内の中学校に通っていた僕は、当時開館直後のこの青少年施設を訪れ、泣くほど感動しました。子どもの言うことに真剣に耳を傾け、子どものやりたいことを全力で応援する人たちの存在は僕にとって心強い、社会の中にいる味方でした。人見知りだったこともありヘビーユーザーとはなリませんでしたが、この施設の運営元であるカタリバでインターンはできないかと考え、当時広く開かれていなかったインターン採用をこじ開けるべくメールを送り、2ヶ月後、晴れてカタリバのカタリ場事業部でインターンをすることができることになりました。高校に行けなくなった時のように、<今>に生きづらさを感じている高校生の本音を守ることのできる人間になるためにインターンを始めました。

一人ひとりが生きやすい社会へ

 カタリバへ参画し、適応することは決して容易ではありませんでした。高校を卒業したばかりの無職(大学入学予定)だった僕は何かしらの結果、成果を上げることに必死でした。そして、他の皆と同じように、方向は違えど熱い想いと信念を持ち、周囲との考え方の違いによる衝突も頻繁にありました。ロジック武装し、「論破すればいい」とさえ考えていた僕は、3人の偉大な先輩と少しの本当に仲間と思える人達に出会い、懲りずに向き合ってくれたおかげで真っ当な人間であることを続けられたと思います。今でも感謝してもしきれません。それと同時に、「教育ボランティア」が、承認欲求を満たす絶好の機会となってしまうことへの疑問、違和感も抱くようになりました。
 そんな僕が初めて出張授業のリーダーとして初めて企画を持った時、初めて自分が1人で生きてもいけなければ、何もできないということに気付かされました。当日に向け、何十人もの人が僕を信用し、高校生のために集い、共に時間を創れたことは今でも良い思い出です。そこで本当の意味で人を信頼する、頼ることの大切さを学んだように思います。
 学びは出会った高校生からもらい続けました。中でも印象的なのは同じく初めてリーダーとして迎えた企画で、日本語が話せない高校生と対話をした時、

“Do you think I’m loser?”


と言われたことです。彼女には僕が同情の眼差しを向けているように感じたそうです。思えば、かわいそうだなどと思っていないと言いながらも、その高校が定時制であること、英語でコミュニケーションを取れる相手が学内に少ないこと、自分も海外でマイノリティとして生活した経験があったことなど、ある意味での同情に近い感情を持って接していたことは否定できないと思います。その時に、本当の意味で対話するとは何なのかという問いを突きつけられました。今でもこうですというように答えが出てはいないけれど、決して「対話」と言う言葉の意味を理解し、血肉へと変え続けることを諦めてはいけないと教わりました。
 幸いなことに、出張授業カタリ場以外での機会も多くありました。「川崎ワカモノ未来プロジェクト」にメンターとして参加させてもらったり、マイプロの関東サミットでファシリテーターを担当させてもらったり、「キッカケプログラム」でもメンターに挑戦させてもらえたり、島根県は益田で行われているカタリ場にも参加することができました。こうした機会で出会った人達にも時に励まされ、勇気をもらい、失敗し、ぶつかりながら、たくさんの経験と学びをすることができました。
 そしてそれらの経験は、選択肢とそれらに出会う機会が豊かにあり、一人ひとりがより自分らしく生きていくための挑戦ができる社会をつくりたいという一つの大きな、生き方のような、それくらい大きな夢へと変化しました。

悔しさと意地

 そんな紆余曲折ありながらも前に進んでいた僕には転機がありました。インターンを始めて1年と少しが経った頃、突然病気になったことです。後になってそれが難病で、当分治ることがないと判明したのですが、入院生活は様々な意味で現在の自分へと方向転換する分岐点でした。ちょうどその頃、病院の外では徐々に新型コロナウイルスが国内に入り始めた時期でした。自分がリーダーを担当する予定だった、福島県の高校へのバス企画がなんとかギリギリ開催されたものの、以後の企画は実施されることはありませんでした。そうした中で、自分が何かに焦り、生き急ぎ、本当に大切にしたいものや大切にすべきものの存在を見失っていたことに気づきました。
 コロナがついに全国を覆い尽くし、学校に一斉休校の号令がかかってから、カタリバとしての僕の活動の舞台はオンラインへと変化しました。正直、最初は本当に嫌でたまりませんでした。時折、素敵な出会いがあったものの、小学生の面倒を見たり、まだまだ幼い中学生の相手をすることが「なぜ僕がやるのか?」という目の前の疑問を取り離せず、辛いものがありました。今まで一緒に活動していた学生ボランティアがどこかへ息を潜めていったこともフラストレーションを増幅させました。
 その中でも辞めずに続けたのは、高校生に向けたサービスを立ち上げることになったからだと思います。これでやっと本当に「僕が」届けたい相手にリーチできると期待を膨らませていました。それと同時に、今まで諸先輩方が築き、破壊と創造の繰り返しの結果としての「カタリ場」という授業であり、コミュニティをどうにか、コロナから人が解放された時、再びボランティアが集い、高校生に火を灯す場であるように守りたいという想いがあったからです。
 それでも現実はそう甘くはありませんでした。僕らがいいものだと思っていても、それが伝わらなかったり、伝えることさえもできなかったり、最前線にいるからこその課題感が、現場を見ずに判断を下す側に伝え切ることができなかったり、創る楽しさよりも苦しさを感じることが多い場所でした。それでも、オンライン授業が異質なものでなくなった世界で、オンラインで高校生の心に火を灯そうと創意工夫を続ける努力をすることができたのはやはり上述した想いがあったからだと思います。

卒業

 卒業をいつから考えていたのか、正直自分でも定かではありません。「卒業」という言葉自体は、インターン生活が1年を過ぎたあたりから常に頭の片隅にはありました。それでも続けていたのは「続ける理由」ではなく、「辞める理由」が見つからなかったからだと思います。それでも、コロナによる状況、環境の変化は無視できるものではありませんでした。チームのメンバーと同じ空間を共有しながら議論を進めたり、アイデアを形にしていくことがなくなっただけではなく、向き合う先の高校生も画面の向こうにしか見えなくなりました。口下手というか、特に初対面の人と話すときに誤解を与えやすい僕にとっては、シンプルに、強烈にオンラインで他者と話すことがしんどかったです。そして、誤解を与えないよう、話が進むようにと自分を自分で演じることに強烈な嫌悪感を抱きました。そして誤解する人ほど、多様性や個性の尊重という言葉を多用することが不愉快以外の何でもなかったのもまた事実です。
 少し脱線しますが、基本的に誰と話す時も態度、言葉遣い含めて変わりません。それは人によって態度を変えることをしたくないからです。ある意味での僕なりの誠意であり、リスペクトです。人に合わせて態度を変える人ほど怖い人間はいないと個人的には思っています。が、語彙の選択、話し方のために相手に誤解を与えてしまうことがあります。相手がどう思うかを常に考えながら行動し、発話することは僕にとっては苦痛です。相手の感情を読み取ることが苦手だからです。苦手で片付けるつもりはありませんが、それを分かろうともせず、一方的にフィードバックと称して何かを言われることは凄く悲しい出来事の一つです。
 話を戻すと、「カタリ場」から「カタリバオンライン」へと変わり、チームの機動力を得る代わりに失った「重さ」の正体が分からないまま日々を過ごしていました。届ける相手が変わったわけではありません。やり方は「カタリ場」と違えど大きな方向性はブレていませんでした。それでも徐々に自分の燃料切れを感じたのは寧ろ、内側に対する、得体の知れない違和感を無視することができなくなったからだと思います。一人一人の高校生としっかりと向き合い、数字では現れないかもしれない質的な変化や成長はいつしか、一つ一つの評価項目へと変化し、数字に現れる量的な変化や成長により重きを置くことへの漠然とした違和感です。どちらが大事でどちらが大事ではないという話ではないし、webサービスとなった以上、それらを無視して質だけを追うことは現実的にできなかったのだと思います。頭では理解しています。
 チームにも変化が生まれました。「効率性」がより重視され、余白は徐々になくなり、不必要なコミュニケーション、つまりマスト以外のつながりが猛スピードで無くなっていきました。当然、「議論」と呼べるようなものはなくなり感情が表出する場面が減りました。もっと僕が頑張れたことはあるのかもしれません。余白を生むこと、心理的安全性のある環境。ただ次第にそれらを頑張る意味さえも分からなくなりやめました。必要としていたのは僕だけではなかったと思います。僕の最大の反省点はその意図と目的をメンバーと共有し、共通のものにし、全員が意識するということができなかったことにあります。
 そうして急減速した僕はもう頑張れないことを悟り、卒業することを決めました。こうして読むと、否定的・批判的に見えるかもしれません。どうか僕の文章力を許して下さいください。今もこれからも最前線で高校生と向き合いながら価値の創出に頑張っているメンバーを尊敬しています。僕は無理でした。でも彼らがいるからこそ届けられ続けている価値があります。そして同時に、この卒業は自分の進むべき新たな方向を知れたが故のポジティブなものになると信じています。

これから

 今、僕が時間を割いて取り組むプロジェクトが本当に「教育」であるのかということを考えるための時間が必要だと悟りました。少なくとも現時点の僕が興味関心を抱くのは別の場所にあるということです。その上で将来的に大きく2つのことに挑戦しようと思っています。
 1つは、「労働からの解放」をキーワードに探究し、卒論を書き、大学院というより専門性の高い場所で探究し続け、社会に実装していくことに挑戦したいと思っています。まだまだ解像度は荒く、簡単にロジックは崩れてしまうけれども、焦らず、まだない概念を作り上げていけたらと思っています。努力することが苦手なので、努力して何かをなし得たと自信をもって言える時間を過ごしたいと思っています。加えて、人文・社会科学軽視が止まらないこの国で、人文社会科学をある程度の水準まで探究した人が社会に存在する意義を感じています。そしてその一人は僕であるべきだと思っています。
 何よりも、がむしゃらに努力して何かを成すことへの憧れと悔しさを感じることができたのはカタリバでの経験があったからだと思います。何の努力もせず、運だけで21年間を過ごしてきた僕は、死ぬほど努力して結果を取りに行く経験がある人を本当に羨ましく思っています。だからこそ、大学院入試・修士論文経験はまさにこの努力によって成すものだと思っています。このある種の「コンプレックス」を克服しない以上、この執着を心から引き離すことはできないと思います。
 もう1つは、自由な言論空間・日常生活の半歩先にある空間としての「本屋」を開き、本で人々のゆたかな生活に貢献できる人になることです。不要不急から漏れはしたものの、僕は入院生活、自粛生活で改めて本の面白さを知りました。そうした本との出会いを楽しみたい人、出会いを探している人にとっての憩いの場でありたいと思っています。院は奨学金を借りる予定なので学部生でいる間にできることから少しずつ、実現しようと思っています。「奨学金」と「借りる」の2つの言葉が並んで使われることのない社会を目指したいものですが。
 カタリバでの活動や経験とこの2つの夢は決して直線でつながるものではないと思います。ですが、カタリバで動けるだけ動き、多くの高校生やインターンの「仲間」と呼べる大切な人たち、尊敬する職員さんと対話を繰り返した中で、必死に努力をして、その努力を実らせる経験を渇望している自分、恥ずかしげもなくひたすらに夢のために努力をすることから逃げている自分に気づきました。そしてそれは自分を見つめ直す最大のきっかけになりました。勝手に背中を押してもらったので、次は自分の足で前に進む番だと思っています。

2年と少し、本当に多くの方に出会い、お世話になりました。今後もどうかよろしくお願いします。

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