コロナ禍の大学1年生

7月30日、木曜日。

大学生として初の夏休みがやってきた。

まだ提出していないレポートがあるからまだ手放しでは喜べないけど、
朝起きてからの手持ち無沙汰な気分に妙な高揚感を覚えた。

それはそうと、入学からの半年間(実際は半年もない)は驚きを超え、もはや異様だった。

異様の始まりは入学式の中止だ。
そうして僕は「入学した実感」を得ることもなく、履修登録についてあれこれ聞く術もないままに履修登録をし、キャンパスに一度も足を踏み入れることなく遂にはオンラインでの授業が始まった。

被害者面をする資格は誰にもない。
地震や大雨のように、回避することはできない自然災害のようなものだと思う。
もちろん、もっと早くに入国制限措置をとっていたら、とかもっと早くに緊急事態宣言を出していたら、とか人それぞれ言いたいことはあるだろう。特に今年の大学1年生の中には卒業式さえも出来なかった人もいるだろう。
それでも、僕らは誰かの責任にしてただ責め立てるようなことでは何も解決しないことを頭の片隅に入れておきたい。

今回の「国難」は教員陣にとっても経験のないことだろう。
そもそもデジタルテクノロジーの疎い先生もそう少なくないはずだ。
そんな中でも1学期間学生のために、少しでも質の高い授業をと奔走してくださった先生方には感謝でいっぱいだ。

とは言え、じゃあ全てが良かったかと言えばそうではない。
学期始めには「学費返還運動」が全国各地の大学で盛り上がりを見せた。
その後知ってか知らずか、多くの大学でデジタル環境の整備のため、学びの継続のためとして学生に数万円が支給されることとなった。
「学びの機会を」と言った声が収まることはそれでもなかった。

事態が急変したのは7月に入ってからだろうか。
今度は「課題、レポートが多い」という声が大きくなり始める。
今まで「学び」を経験したことのない学生にとっては酷以外の何ものでもないだろう。
大きな声を上げて勝ち取った学びの機会を今度は #大学生の日常だって大切だ という主張で手放そうとする。
僕にはどうしても理解が出来なかった。

そんなこんなで、既に夏休みに突入した大学や、これから突入する大学も今週か来週ですべてが終わるだろう。
そうして大学生は不完全燃焼な夏を過ごすことになる。
感染者数ばかりを取り上げて騒ぎ立てるメディア、批判が怖いのか耳を傾けすぎて幾度となく方針転換をする政府。
こうした「大人」によって世界が回っているという事実を改めて突きつけられた半年だった。

きっと、今回のこの世界的流行は教科書に載るだろう。
世界中で経済が止まり、動き。人が死んでいる。
こうした自国の利益に直結する事態が国を跨いで協力できることも知った。
だからこそ環境問題は以前として「問題」のままなのだろう。

だからこそ、そんな時代に生きていることを楽しみたい。
数十年後、授業でこのパンデミックが取り上げられて、自分の子どもや孫が学ぶ時、僕は何を話すのだろうか。
今の僕にはこの世界を一瞬で元に戻す術など知らないが、それでも、草の根でできる事はあると思っているし、動いているつもりだ。

どうか、悲観的になりすぎず、こんな状況だからこそ楽しめることや深められることに多くの時間を割いて、「文句を言うだけの人」にならないよう、今を生きていたい。

と、ここまで全く大学と関係のない話をしてきたが、おおよそ春学期で学んだことと言えばこうしたことだろう。細かい知識やらは他にもいっぱいあるが。

秋学期も多くの大学でオンライン授業だ。自分の大学は一部で対面を参加する方針らしい。9月にどういう事態になっているかは分からないが、少なくとも半分となった大学1年生を楽しみたい。

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