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じいこうい(という名の2020年振り返り)

 長いようであっという間だった2020年がいよいよあともう幕を閉じる。1年前には微塵も想像することのなかった未来が、今こうして目の前で繰り広げられ、刻々と過去へと変わる事実に目を背けたいと感じている。露骨に今から色々と語ろうとしているが、昔から自分のことを意気揚々と語ることを忌避している。話している自分が快感を得たいがために周囲に「聞かせている」だけ、あるいはただ誰かに話せればそれで良いのかもしれない。だから僕はこれを、言葉の「自慰行為」と呼んでいた(心の中で)。もちろん、対話は性行為と解釈できる。ただ、自慰行為だと何の恥ずかしげもなく、明るさまに卑猥なので、自分本位の行為という意味で、これを自位行為と呼びたい。そして、ここから下に見える文章でまさにその自位行為を実演したい。

 僕の2020年は、台湾は台北で始まった。元旦から2日か3日、台北へ家族旅行で行った。そしてこれが現状最後の家族旅行だ。特に見たいもの、欲しい物があったわけではなかったので、なんとなくで動物園に行ったり、大学マニアなので国立台湾大学をウロウロしたりして過ごした。ラストティーン真っ只中だった僕は家族で行く場所にあまり面白みを感じられなかったので、イライラしたまま一人夜の台北市内へ繰り出し、TripAdviserで評価の高かったバーに行き、ジントニックを飲みすぎてホテルで吐いたのも今では懐かしい思い出だ。


 そんな、マイペースに始まった2020年も、すぐに状況は一変した。帰国後、恐らく動物園で刺されたであろう虫刺されが一向に治らず、よく分からない薬をかかりつけ医でもらったものの、1週間以上小さくならないその腫れとにらめっこをしていた。そうかと思うと、突如謎の高熱と扁桃炎に襲われ、地元近くの病院で入院童貞を卒業した。年初に台湾へ渡航し、それを申告しなかったことを胸に心拍数を測る電極を付けられた状態で医者から聞かれたりした。一向に体調は良くならず、気づいたら大学病院に転院し、罹った病気が難病の一つであるという19歳にはなかなかハードな春だった。ちょうど、新型コロナが国内に入って来た時期と重なり、何人かの人から「コロナかかったの?」というデリカシーのかけらもないメッセージが来たりした。が、気が病んでいたのでむしろ気分が明るくなった。

 結局、1月末から3月末までの2ヶ月弱を病院で過ごしたが、得られたものも多かった(すぐにイライラしてしまい、看護師さんに迷惑をかけてしまったことは死ぬまで反省していたい)。日に1.5冊のペースで本を読み、その日のうちに学びをノートにまとめた。入院中に病院で感じた課題を解決すべく、アプリ開発もどきもやってみた。「シン・ニホン」を担当してくださった医師2名に啓蒙したのでぜひNewsPicks Publishing(出版元)から1冊ただでもらいたいところでもある。1ヶ月が経った頃からは、高校を卒業した2019年6月以降の自分の感情や思考の変化をひたすらノートに書き留めた。それ以降、様々なことに対しての執着や、焦りを感じることが少なくなり、より自分を大事にできる価値観に変化した。今までは成果の出せない成果主義者だったが、今はより物事の意味や価値などを大切にしたいと思っている。

 退院したかと思えば、家の方が病院よりも居心地の悪い場所となった。「緊急事態宣言」が発令され、恐らく過去最も家族で過ごす時間が増えた。それはほぼ24時間を同じ屋根の下で過ごすことを意味し、今までそれぞれがそれぞれに対して目を背けていた課題が、まるで水を注ぎすぎたコップのように溢れ出した。小学生時代から根深い対立があった僕と父親の関係は「冷え切った」という言葉では表現できないくらい、酷いものだった。自分の息子を精神病だったと電話で「口を滑らせた」のを聞いた時には殺意さえも浮かんだ。そういうこともあり、僕はひとり暮らしをすることになった。良好だった母親との関係性もそれまでよりは離れたものになってしまったこと、入院する前からずっと僕の体調を心配してくれていた祖母ともなかなか会えないばかりか、さらに心配させてしまったことには大きな罪悪感を感じている。それでも、今ままでことあるごとに僕が指摘していた家族の諸課題から目を背けていた家族全員に対し、ある程度の怒りを感じている。常に無責任だった(僕の立場からはそう映っていた)妹を強く嫌ったが、今ではもはや「嫌い」という感情を抱くこともなくなった。

 一方、同時期にスタートした大学生活も、「こんなもんだろ」の域を出ることはなかった。特に尊敬する先輩という存在(そもそも上との関わりがほぼ皆無)も見つからなかったし、特に強い熱意と情熱をもって共に何かに取り組みたいと思った人もいなかった。ただ特に志望していなかったとはいえ、大学という環境で社会学に向き合えることができたことには大いなる喜びを感じている。

 夏休みも特段有意義なものではなかった。バイトに行き、映画館で同じ映画を何回も観て、夜は都内を自転車でウロウロすることで日々を過ごした。何回行っても映画館のワクワク感は薄れないので、同じ映画を何度も何度も映画館で鑑賞した。特にその映画を大画面で観たかったわけではない。映画館という、今どき月数百円で映画が観放題の時代に1本1500円も取る意味の分からない空間で、無駄に同じ映画を観るという体験にお金を払っていた。そういう意味では映画館はすでに体験型消費の場と化しているとも言える。 
 特に今夏は、ドラマもアニメも原作漫画も見ないままに映画の「映像研には手を出すな!」を映画館で観た。大画面で観たとて、齋藤飛鳥は目の前には現れないというジレンマ(?)を感じながらもジンジャエールを片手に鑑賞していた。その頃から欅坂46(現 櫻坂46)に加え、乃木坂46にも熱が入り始めた。この時期を経てより物質的な豊かさよりも経験や体験にお金と時間を使いたいと思うようになった。

 夏休みが終わり、大学が秋学期になっても特に大きく何かが変わることはなかった。なんとなくで入ったサークルが暖簾分けし、一方の公認サークルの代表に流れでなってしまったり、なんとなく始めたチーム(団体という言葉があまり好きではない)の規模が徐々に大きくなっていったりした。選択で取った英語ゼミ(主に英語で授業を進めるゼミ)は、特段英語が話せるメンバーがいるわけでも、英語で授業が進んでいくわけでもなかった。なんとなく、このくらいの配分で授業に取り組めば良いんだなと全体的に肩の力を抜いてみた。対面での授業が再開されたものの、別にZoomで済むなら家で良いなとゼミのある日以外登校することはすぐになくなった。

 入院する前も、退院してから今これを書いている時も、ここまで読んでくださった方がこのnoteを読んでいる時も、恐らく僕はNPOカタリバでインターンをしている。2019年は主に高校へ出張授業を届けるプログラムの企画を担当していたが、新型コロナの流行拡大以降は主に一斉休校時の緊急プログラムとして始まったカタリバオンライン for Teensのプログラム運営などを担当している。共に頑張っているインターンの多くがそうであったように、この仕事はやりがいをあまり感じられない。届けられるユーザーの数でも、今までとは異なる関わり方(今まで→出張授業一発勝負、今→中長期的な伴走)のギャップなど要因は多い。その上、度々変化する方針に合わせ自分の強みを発揮することはそう容易いことではなかった。それと同時に、貧困家庭支援のプログラムであるキッカケプログラムでも、中高生との1on1により伴走するメンターを担当しているが、日々自分の無力さに落胆する。上手く意思疎通が出来なかったり、自分にとってはただの質問でも、相手には違う伝わり方をしたり、あるいは保護者の存在であったり。模索模索の日々が続いている。

 そして、2020年もいよいよ終盤戦に入った。下半期、特に10月以降は久しぶりに「他者に映る自分」と「ありたい自分」、「わがままな自分」とのギャップに悩む時期だった。よく分からない人から、第三者を介して態度が高圧的と言われ(とは言え初めてではない)、同じことがあともう2,3回色々なところであった。一方で僕にはそのつもりも、意図もない。幼稚園や保育園の先生が園児にするような接し方を僕は誰にも基本的にはしない(大学生-高校生も同じ)。これは、厳しくいるとかではなく、本当に腹を割った対等な関係が何であるかを考えた時に今出ている解。なのであまり明るくは映らないし、議論の場では色んな意味で興奮すると早口になるので、状況によっては「まくしたてられている」、「責められている」と感じるのだと思う。中学の時もそう言えばそれでもトラブったことあるなーとか、思い出すと色々あるので僕の根源的な問題だと思う。が、僕は自分が正論を話していると思って話すことはまあないので、そもそもこういう理解をされることに理解が出来なかったりする。意見が違うからこそ、とことん向き合いたいと思うが、すでに相手にその意志はなく、そういう印象だけが流布される。自業自得だと言われればそれまでだが、そういう関わり方をするほうが僕はよっぽど悪意があると思う。まあ、この場合「明確な悪意」は誰にもないとは思うが。

 そんなこんなで、2020年は僕の周りだけでなく、社会、世界的にも激動の年だったと思う。世界中の人が同じ苦しみを同時に味わうことはここ最近なかったと思うので、他者について考える良い機会だったと思う。そんな中でも、ワクチン開発競争をしていたり、ウイルスの発生源を解明して政争の道具に使おうとしたり、あるいは分断が生まれたり、悪化したりと残念なことも多くあった。が、そうしようがしまいが僕の人生は何も知らないように勝手に進んでいく。だからこそ良かったり、悪かったりする。

 来年、2021年こそは「挑戦」の年にしたい。今までは本質を見失った形ありきの挑戦に執着していたが、今回は自分のため、そして自分と関わる人に還元できる形で挑戦をしたい。また詳しい内容は21年の春前後に改めて何かしらの形で話す予定だが、リアルな「場」をつくることに挑戦しようと思う。が、「場をつくる」という言葉は他方で聞き飽きたので、「空間をつくる」と言ってみたい。
 一人では絶対に成し遂げられないなと思っていた時、こんなことやりたいという話をしたら一緒にやりたいと言ってくれた同志がいるので、僕が得意じゃない部分はガッツリ頼りつつ、強みを出せるところはしっかり僕を頼ってもらって、2人で描く世界観を言葉にし、形にし、多くの人に体感してもらいたい。そのためにも21年は健康で過ごせるよう、できることをやって楽しく過ごせたらと思う。

 最後に、2020年で出会ったたくさんの方々、支えてくださった多くの方々への感謝を表してついに4000字を超えてしまったnoteを終わりたい。

ありがとうございました。そして、21年もよろしくお願いします。

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