なぜ都会と地方の会話はかみ合わないのか?
東京出身者の私が今春飯田に移住しまして、地域の人々と呼吸を合わせ、心合わせに努める日々です。
そして幸いに、やっと3つですが、「なぜ都会と地方の会話はかみ合わないのか?」の理由が最近わかってきました。
もちろん私自身、東京時代で長年何も気づいていなかった時では、誰からも指摘がない中で、地方でやらかしていたかもしれず、ぜひご一緒にめげずに、ずく出して(長野弁です。共通語で「がんばって」)いきましょうー!!
1. 都会は「破壊と創造」が当然視されるが、地方は受け継いできたものを守り、それができた上で新しいものを受け入れるか判断する。
都会では、建物やアイデアを壊しては新しく作り替えたり輸入します。
ですが、地方では先祖代々の歴史、伝統、文化があり、それらを守れなくなったら地方ではなくなるので、まず「昔から受け継いできたものが守れるか」が重要な論点になります。
よって、都会から来た人たちが「社会を変えよう。この地域から社会を一新するんだ」と言うと、場が冷えることがあります。
明治維新は地方が起点となったように、もちろん現代でも地方からの社会変革は不可能ではないかもしれません。
ですが、備えを欠いたまま、つまり人材や知見の開発への十分な長期投資を怠って、都会が地方に社会変革期待だけを寄せるのは、やや酷な話かもしれません。
2. 取り残された痛みへの理解。
「都会からやってきた人々(移住者を含めて)は、いつかはいなくなるんでしょう」という取り残された感を、地方の人々が内心持っていることがあります。
いくら威勢の良い言葉を聞いて、その時では高揚感が仮に生まれても、「いつかは、いなくなってしまうんでしょう」という不安感が根底にあるのです。
よって新しい考え方の提案を都会から地方に行う場合は、取り残され続けた痛みや不安を深く理解した上で、対話をすることが不可欠です。
3. 「利助現象」
都会から来た人たちは、「カタカナを使っても今の日本なら大丈夫でしょう」とつい思いがちです。
ですが、カタカナを聞いた瞬間に、地方の人々は、そこでもう話が頭に入ってこなくなる事態を知る人は、どれほど都会でいるでしょうか。
例えば、いわば「#利助現象」と名付けられるかと思いますが、以下のように地方の人々には聞こえることを、最近私は知りました。
「リスケ」→「利助?…時代劇の人?」
「ロジ」→「路地?」
「サブ」→「サザエさんのサブちゃん?」
「アドボカシー」→「アボカドの親戚?」
「ハンズオン」→「半蔵?…また時代劇の人?」
都会から地方に出かけていって勉強会でお話をする事は、大変尊いのは明白なのですが、そこに参加している人たちは、その背後にいる「多くの地元の人々の理解をどうしたら得られるか?」を終始頭の中で考えながら聞いています。
その時に必要なのは、彼女ら彼らの援軍となる素材であって、あいにくモヤモヤ感という新たな重荷を渡してしまったら、大変もったいない展開です…><
利助現象は、腹筋崩壊の笑い話のようですが^^、「都会から長時間かけて移動して、自分が話したことが、地方でなんで刺さらないんだろう?」と違和感を感じる方のご参考になればと思い、今回現地の声の代弁をしてみました。
なお対案ですが、例えば今年3月に私は「カタカナ禁止の帰国報告会」を長野市内で開催し、幸い爆笑が続き、内容のご理解もいただけました。
「田辺さん、ビジネスって言ってたよ」と閉会後に笑顔でお声がけをくださり、「そこまで集中してお聞きくださったとは」と、私は光栄でした。
もしカタカナを講演で使うとしても、都度、直後に日本語で本質が伝わる言い換えをして、相手の表情や場の空気を見ながら、理解の歩調を合わせる工夫は可能かと思います。
地元の方々が、よくわかる手ごたえ感を十分に得られ、笑いつつ、楽しすぎて学びたくなる、という場が増えれば、都会と地方の相互理解が進むかもしれません。
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