人生はほぼ「運」だと思う。
ゆたかライブラリーへようこそ。
運がよかった!
運がわるかった・・・
努力が報われた!
努力が足りなかった・・・
誰しもが一度は思ったことがあるはず。
さてさて、タイトルに記したことを考えていました。
人生はほぼ「運」だなと・・・
例えば会社で、
仕事ができる人よりも、できないのに出世しちゃう人がいたりしません?(仕事ができるの定義は一旦置きます)
なんでだろう?って思いません?
こちらはこんなに頑張ってるのに!とか。
仕事云々よりも、上司が一緒に居たい人を上に引っ張っていたりすることが見られません?
えこひいき的な。
えこひいきの対象が自分なら、出世したり優遇されて何も感じないかもしれません。
そうでなければ、なぜ彼が優遇されるんだ?と思ったり。
上司に好かれるように立ち居振る舞う能力があるのか?それもあるでしょう。それが仕事ができると表現する人もいるでしょう。
もし、
上司が別の人だったら?
自分と馬の合う人だったら?
自分のことを好いてくれる人だったら?
誰に対しても公平に扱う人だったら?
きっと別の未来があったでしょうね。
部下を選ぶことができても、上司を選ぶことはできません。
どの上司に当たるかは、求人を探して、応募して、面接して、どんな面接官に当たるかとか・・・
自分に合った求人に出会えるか?履歴書を見る人がどんな人なのか?
もっとさかのぼり、
中学・高校受験の試験問題が自分の得意な問題ばかりだったら?きっと違う学校通ってますよね?
入学した学校でどんな友達に出会えるのか?
いやいや、どこで生まれたのか?平和な国?紛争が絶えない地域?
考えだしたらキリがない。
考えてもムダなのかもしれない。
努力をすることはムダではない。
でも結果に執着するのはムダなのかもしれない。
だって自分が操作できないことがあまりにも多すぎるから。
仮に人生は、実は神様のシナリオ通りの必然だったとする。でも当人は未来のことが見えない以上は、偶然という解釈になるだろう。
色んな思想があるでしょうが、
現時点では暫定的に、
人生はほぼ「運」である。
と結論を出します。
自分で操作できないことがあまりにも多すぎるから。
だからといって、
何も行動しない、悪いことをしちゃう、とかはナシで。
いつもと違うことをしたら、いつもと違う何かが待っているかもしれないし、いつも通りかもしれない。
人生を楽しむことの一つに、運に任せることもあってもいいかもしれない。
努力は報われるを信じて、ひたすらに努力してもいいかもしれない。
ただ一つ、
これから先、誰に出会えるか?
これが全てかもしれない・・・
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