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罰ゲームがもたらす影響



24ヶ月連続で記事を書いていましたが、
先月はついに投稿をサボってしまいました。

なかなか時間を作れず…
お許しください。

さて、久しぶりに記事を書きます。
いつもよりラフに書いていきます。

最近、ふと思ったことについてです。



練習中の罰ゲーム

について。


例えば
・ロンド(パス回し)
最後に鬼(DF)だった人は「ジャンプ5回」

・チーム戦の競争対決
1番遅かったグループは「腕立て5回」

・ゲーム(試合)
負けたチームは「走り」


これらは全て選手への「罰」です。

一見、選手のモチベーションを
駆り立てることに繋がったり、
雰囲気を盛り上げることに繋がったり
するように思うかもしれませんが
果たして本当にそうなのか。

一般的に「罰」というのは
「良くないことをした時」に与えられるもの。


門限を守らなかったから
「ゲーム1週間禁止」という罰。

無駄遣いをしたから
「お小遣いを減らす」という罰。

皆さんもこれまでに何かしらの罰を受けた
経験があるかと思います。

これらは意図的に
「〇〇をしなかった」が故の罰です。

「わかっているけど」それを破ってしまった時に
発動されるものが罰です。

悪気があるのにやってしまうことは
一般的にも罪が重いとみなされますよね。

それは罰を受けても仕方がないかもしれません。


では、サッカーにおいてはどうでしょう?

ボールを足だけで扱って
同じピッチ内で相手が邪魔してくる中で、
偶発的な要素も多々ありながら、
負けたチームや選手が罰を喰らう。

冷静に考えると鬼畜の所業です。


サッカー指導者は、
ここを大前提として認識した中で
罰ゲームを設けているでしょうか。



一方で罰ゲームが必要な時、設けるべき時は
どのような時なのか、考えてみました。

①トレーニングセッションに
 enjoy要素があるとき

②選手達が自ら罰ゲームを
 求め合うとき

この2つです。

逆にこの2点に当てはまらない場合の
罰ゲームは必要ないとすら僕は思います。

なぜなら基本的に
頑張っていない選手はいないし、
負けたくて負ける選手なんていません。

「頑張ったけどダメだった」選手に
罰を下すことは、
自己肯定感を下げてしまうことに
繋がりかねません。

または、罰ゲームを逃れるために
プレーをチャレンジしなくなるかもしれないし、
最悪の場合、罰ゲームがモチベーションとなり
サッカー本来の楽しさを
忘れてしまうかもしれません。

なんてことも無きにしも非ず。

つまり、なんでもかんでも
指導者の独断と偏見で
罰ゲームをつけてしまうことは良くないのかなと。

特に選手が必死の攻防を繰り広げて
真剣に戦い抜くセッションのあとに、
負けチームの罰ゲームは少し酷だと感じます。

これらの習慣を何も考えずに繰り返していると、
チームの雰囲気や選手のモチベーションは
いつの間にか下がってしまうかもしれません。


ただ、僕も練習中の罰ゲームはよくやります。

もちろん上記2点のルールは
守りながら設けているつもりです。

選手に対するリスペクトでもあります。




そのような観点で考えると、
罰走という、根拠もなく身体を追い込む罰は
なかなかの地獄絵図です。

僕はここ数年罰走をやらせた記憶はありません。
走る時はあくまでもトレーニングの一環です。

ただ、罰走に関してはチームによって
色んな背景があるので一概に否定はしません。

「罰走が必要なとき」もあると思います。


話を戻すと、本来罰ゲームというものは
「楽しい雰囲気の時にやるもの」
「選手達が求め合えば設けるもの」
として
僕は認識しています。

燃えるほど真剣に頑張ったあとの
罰ゲームは本当におすすめしません。

拍手で選手の健闘を讃えましょう。

それが、チームをマネジメントする上で
大切な要素の1つだと思います。


選手の頑張りを認めること
選手の頑張りを讃えること
負けたくて負けるヤツはいないこと


これを頭に入れながら、罰ゲームをするのなら
選手が笑顔になれる雰囲気やタイミングを見て
センスよく取り入れていくべきですね。


ちなみに僕は昨日、ロンド(パス回し)で
最後に鬼(DF)だった選手に
前転と後転の罰ゲームを設けました。

それを見ていた、鬼ではなかった選手数名が
「俺もやっていい?」と…笑

その雰囲気があれば、
いくらでも罰ゲーム可能です。

もはやそれは罰ゲームではなく、
トレーニングになります。


罰ゲームで選手の自己肯定感を
わざわざ下げないこと


闇雲な罰ゲーム
簡単に選手の自己肯定感を下げてしまい、
適切な罰ゲーム
選手の運動能力を上げるかもしれません。


つまり、

罰ゲームの使い方で
選手の成長は変わってしまう


ということです。


これもまた、指導者の力量が問われるでしょう。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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