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性善説は性悪説の上に成り立つ

大阪エキスポのキャラクターである「いのちのかがやきくん」の愛称が決まったようですね。
その名も「ミャクミャク」くん。
文化が脈々と受け継がれるように、との思いから「ミャクミャク」ということらしいですが、独特なデザインと相まって、SNSでは早速「神様」「怪奇の王」と崇められているようですね。

「いのちのかがやきくん」はどこいった感はあると思うんですがあのキャラクターの外観と、その名前そしてそのコンセプト個人的にはすごくいいんじゃないかなと思っています。

しかし、オリンピックの時の10%ぐらいしか1割ほどしかグッズが売れてないということなので、事業をしている側からするとどうなんでしょうね。
グッズは、、、ちょっと欲しいと思えるかは微妙なところです笑

さてこの現代において社会活動はDAOを始めどんどん分散型社会に移行していくと思われます。

マニュアル通りは必要ですが、サプライチェーンの1部だけを延々と行うのではなく、生産もしくは商品開発からお客様へ届けるというところ一貫した仕事をすることでやりがいを見出すというような若者が増えているようです。

先日WBSで早稲田大学ビジネススクールの入山氏こんなことをおっしゃっていました。

「契約というのは会社同士の約束事こんなことがあったらこういう風にしますよというリスクヘッジの観点からとても重要なものです。つまり性悪説が起点になっています。契約書というのはこうなった時つまりそういうことが起こるということを想定して作られます。

そしてその契約書のがある上で性善説に基づいてビジネスを進めていく。
つまり信頼している状態を前提としてビジネスができる」

なるほど。
契約が発生する段階でその相手の企業やその担当者個人のことを信頼しないとビジネスは出来ませんしうまく進まないと思います。
その信じるための土台として制約説を基に作られた契約書がある。
そして契約書は個人の感情をあまり伴わないという観点から見るとすごく重要なことなんじゃないかなと思いました。

しっかりとした契約書を作るということはビジネスを円滑に進めるそして相手の企業担当者そして一緒に作り出すものを信頼するということではないでしょうか?

皆さんはどう思いますか。


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