自分らしさは「行動を積み重ねた副産物」であって、最初から存在するもんじゃない
知恵と勇気と流した血の結晶、ヴェネツィア
ルビコン川に続いて、ぼくがどうしても来たかった街はヴェネツィア。見た目の美しさ・華麗さもそうだけど、ぼくが一番好きなのは中世ヴェネツィア共和国が示し続けた知恵と勇気。その結果として美しい街ができたわけであって、美しさを目的として街づくりをしたわけではない。「生き残るために必死になって知恵と勇気を振り絞って行動していたら、結果的に美しくなった」と言うのは、なんか人間社会の真理みたいでとても好き。
フィレンツェも美しい街だったけど、貴族の自己顕示欲の発露感が凄くて、ちょっと胃もたれしてしまった。フィレンツェで一番の教会であるドゥオーモは「とにかく荘厳に豪勢に」をモットーに172年掛けて建設されていて、発想がバブルっぽくてなんか下品だなとw まあそんな下品さも逆に人間らしくて、それはそれでいいんですけどね。そのおかげでルネッサンスが起こったんだし。あくまでぼくの好みの問題。ぼくはフィレンツェよりもヴェネツィアの方が圧倒的に好き。
フィレンツェのドゥオーモ
これを見てバブルを連想した人間はどれくらいいるのか
必読の書、海の都の物語
そして出ました、ぼくのイタリア歴史ウンチクの源。塩野七生女史の著作。大学休学中に読んで「合理主義も徹底するとここまで力強く美しいものか」と感銘を受けた本。しかし、ぼくの行動はそれ以降も全く合理的じゃないので、人間の知性って限界があるよね。あ、「人間」って一般化すると他の人に申し訳ないから、ぼく個人の知性の問題ですね。ムダ話はさておき、海の都の物語は示唆に富む名著なので、未読の方はぜひご一読を。国と言うものは出自や置かれた環境から、その国の性格を決定付けられることがイメージできて、非常に興味深い。「国」を「人」と言う言葉に置き換えても、多分同じことが言えると思うが。簡単にヴェネツィアの出自を追ってみる。
蛮族から逃れるため、死ぬ思いで沼地を街に
ローマ帝国末期、フン族などの蛮族が北からなだれ込む中、イタリア北東に住む人達はどこに逃げるか悩む。西も南も平地続きなので蛮族に追いつかれ殺されてしまう。住民が途方に暮れている時に、司祭に神からのお告げがある。海へ向かえと。
今日の美しい都ヴェネツィアだったら、住んでもよいと思う人は、日本人にもいるであろう。しかし、今から一千五百年の昔、葦の生えているだけだった沼地に移らざるをえなかった人々にとっては、とくに彼らが相当に高い文明を持っていただけに、いかにあの情況下であろうと、非常な決意を必要としたはずである。神様の御告げがあったから、とでも考えて自らを納得させないかぎり、実行できることではなかったにちがいない。人間が住むには、あまりにも不利な条件ばかりそろっていると言わねばならない場所でしか、彼らは身の安全を確保することができなかったのである。
塩野 七生. 海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年(上)―塩野七生ルネサンス著作集4― (Kindle の位置No.106-111). . Kindle 版.
当時の住民がただただ生き残るために、他に取り得る選択肢がなくて、必死で作った街だと言うことが伺える。陸続きの場所を埋め立てるのではない。蛮族から攻められないよう、潟の中に人口陸地を作るのだ。大変な難事業を重機なしに成した1500年前の人たちは凄い。
市街地の中心が海に囲まれている事が分かる
生き残る道は交易・商売にしかない宿命
蛮族から攻められないために、潟の中に街を作った。その構造上、避けられない欠陥がヴェネツィアにはある。農業・畜産が不可能なため、自給自足が不可能なことだ。必然的に交易・商売で生き残る事が宿命付けられてしまう。
塩と魚しかなく、土台固めの木材さえ輸入しなければならなかったヴェネツィア人には、自給自足の概念は、はじめからなかったにちがいない。しかし、この自給自足の概念の完全な欠如こそ、ヴェネツィアが海洋国家として大を為すことになる最大の要因であった。
塩野七生.海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年(上)―塩野七生ルネサンス著作集4―(Kindleの位置No.594-596)..Kindle版.
ここまでの流れを読むと、あの美しい都を作ろうなどと言う余裕は全くなかった事が分かる。ただひたすら自分達に与えられた条件下で、生き抜くために必要な事をやっていただけ。しかし、一つしかない選択肢でもやり抜いていると、とんでもなく尖った武器になっていく。
歴史を知らなければ、ただのバブルな街に見えてただろう
独立と自由を守ったのは、自国の利益追求のため
そして、生き抜くために自分達の利益を追求して、国が繁栄していく。詳細は本を読んで欲しいのだが、僕がこの本の中で一番好きな一節がある。少し長いが引用する。
ヴェネツィア人は、自国の独立と自由を、自らの血を流してまで守り抜いた、とは、ヴェネツィア共和国のやり方に賛同しない人でも口にする讃辞である。とくに、現代の西欧の歴史家に、このように言う人が多い。
(中略)中世のヴェネツィア人が独立と自由を守り通したのは、それが自分たちの利益と密接につながっていたからである。ヴェネツィア人の書いたものを読んでいて、独立と自由の二語は、他の言葉に比べて極端に少ないのに気づかされる。彼らは、声を大にして、独立と自由を叫ぶタイプではなかったのであろう。しかし、実際は、独立と自由を守り抜くために苦労し、また守り抜いたのであった。しばしば歴史には、イデオロギーを振りかざす人がいったん苦境に立つや、簡単にその高尚なイデオロギーを捨てて転向してしまう例が多いのを思えば、ヴェネツィア人の執拗さは興味あるケースである。自分にとって得だと思うほうが、こうあるべきとして考えだされた主義よりは、強靭であるのかもしれない。
塩野七生.海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年(上)―塩野七生ルネサンス著作集4―(Kindleの位置No.1203-1214)..Kindle版.
「独立と自由」を理想に掲げるよりも、生き抜くために必須の手段と冷徹に捉えたからこそ、「独立と自由」を死守できたと言うのは、とても示唆に富む。
「自分らしさ」なんか最初から追うもんじゃない
合理主義は、まず第一に、自分達の「勝ち」が何かを具体的に定義することから始まる。第二に、自分たちの手持ち札で勝ちを得るには「どうカードを切るか」が来る。自分たちの手札で勝つためにはどうすればいいか試行錯誤を重ねるうちに、後から勝手に個性というものが形作られてくる。多分こういう順番なのだと思う。「自分らしさ」は手持ちのカードで必死に勝ちを追求した結果生まれる副産物なのだ。最初から追うものではない。
ヴェネツィア共和国のスタンスと対極にあるのが、実は我が国日本。元日本代表監督の岡田さんが主張していた「日本人は時として美学が言い訳になる」と言う説。面白いから対比してみようと思う。
日本の組織によくありがちな敗北パターン
まず、自分達らしさや自分達の理想のスタイルを追求する。しかも理想がスーパー曖昧なのに、理想を追おうとしてしまう。「みんな幸せになる」とか抽象度高すぎることもしばしば。その曖昧な理想に囚われて切るカードを何となく決めてしまい、勝つ確率がどんどんどんどん減っていき、敗北を目の前にすると「俺は幸せには金が一番だと思う」「いや俺は余暇の時間だと思う」「いや俺は人間関係が」とか言う意見が後出しで出て来て、最後は内輪揉めして自滅。今サッカークラスタが批判してる「おれたちのサッカー」と言う言葉も、この文脈なのだと思う。要は「おれたちのサッカー」を具体的に日本代表選手に語らせたら、みんなちょっとずつ違うこと言う状態。団結・意思統一が重要なチームスポーツにおいて、この状態だと勝率は相当低くなってしまう。と、ここまで書いておいて、僕もこんな失敗をやった何回もやった事があるのは秘密だ。
共通の目標を追うには適したサイズがある
ヴェネツィアは建国の経緯から、生き残りの選択肢が交易・商売の一択だったので、国民が団結しやすかった点は幸運だったと思う。ちなみに、現代において似た状況にあるのはシンガポール。あの国も資源が何もないから「貿易・海外企業誘致」しか選択肢がなく、尖った国家運営が可能なのだ。翻って日本は国土が広く、人数も多いが故にニーズが多様で、国民全員が利益を享受できる指針が立てにくいのだと思う。そして、全員の意見を聞いた挙句、全員にとって微妙なものが出来上がってしまう。
ならば、意図的に小さいグループに分割して、グループごとに方針を明確にし、各個人は自分の好みに合う方針の集団に行き来できる、そう言う設計ににした方が合理的なのでは。行政レベルで言うと道州制がこの問いに対する解の候補なんだろうし、企業や労働者にとっては人材流動性がそれに該当するのだろう。ソフトウェア開発で言うところの、マイクロサービス化も似た文脈だと理解している。
方針を明確にし、合わない人は退場してもらう
実は日本人って「小集団の団結」を本当の意味で体感してないのだと思う。組織の方針と自分の好みが違っても、何と無く飲み込んでその場にいてしまうし、いてしまえる。でも方針に納得してない人間が混ざっていると、チームの出力は絶対に落ちる。ヴェネツィア共和国が示したような集団としての強さは、方針に賛同した人間だけで集団が構成されていることが前提条件なのでは。ただ、「方針を明確にする」って言う事にも技術が必要。まあこれを書き出したら、めっちゃ長くなるからまた別の記事で書いてみる。
もっと生きる欲求に忠実に行動していい
「人間はパンのみにあらず」も真実だけど、そこに振り過ぎると何も得られない。ぼくも美学みたいなものはあるし、そう言うの好きだけど、それに囚われず生きるために行動するって凄い大事。ヴェネツィア人は「生き延びたい」って欲求に忠実だったからこそ、繁栄できたのだし。仮に「沼地に逃げるなど潔くない。自分の美学に反する」とか言って蛮族に殺されてたら、何も生み出されていなかった。ぼくも含めて日本人はこの手の「潔さ」を美しいと感じる事が多い気がする。ただ、生き残るために必死にあがいて行動する姿も、それはそれで違う美しさがある。ヴェネツィアに来て、そんな事を感じた。
おまけ
天然の運河はかなり蛇行している
曲がった運河に沿って作られた街は迷路みたい
ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコ
彼を現す有翼の獅子もヴェネツィアの象徴
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