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信号無視の勇者

とある夜、友人ふたりを前に話していた時のこと。

私はここ最近あることで困り果てていて、解決策の見えないそのことについて友人たちに、ため息まじりに話していた。頭を抱えた私の姿を見て、ふたりはカラカラと笑っていた。それは私にとっては、小さな救いとなった。もちろん、ふたりは真剣に私の話を聞いてくれていた。

そんな中、ふと脈絡もオチもなく、その日の昼下がりに目にしたある光景が浮かんできた。


蔵前から湯島へと自転車で向かっていた。大通りから一本入った片側1車線の道路で、交通量こそそこまで多くなかったが、場所柄なのかそこかしこの路上駐車が目についた。

近くには小学校があった。下校時刻だったこともあり、私は周囲に注意を配りながら自転車を走らせた。自転車に乗っていると、歩行者がいかに“危険を顧みずに”動いているかがよくわかる。少し狭い道路だと、確認なして平気で車道に足を踏み入れてくる。大人でさえそうなのだから、小学生はもっと危ない。その上に彼ら彼女らの動きは“イレギュラー”である。とにかく注意しすぎるほど注意して損はない。

信号のある交差点に差し掛かるところだった。車道を走っている私の目の前、横断歩道の手前のあたりに白い大きなバンが止めてあった。道を挟んで反対車線側にも1台の自動車が止まっていた。

青信号だった。目の前の白バンを避けようと、後ろから他の車がきていないことを確認して車線の内側へ入ったとき、その白バンの向かいにある自動車の後ろから、ランドセルを背負ったひとりの小さな男の子が、ものすごい勢いで飛び出してきた。私が信号に差し掛かるまではまだ少し距離があったので、そのまま走り抜けても彼とぶつかることはなかったが、それでも私は思わずブレーキをかけた。もし私がスピードを上げて走っていたら、あるいはもう少し早くその地点に到達していれば、衝突事故を起こしていたかもしれないことは、容易に想像された。

この出来事が私に鮮明な印象を与えたのは、その彼の横断歩道の渡り方だった。横断歩道にも信号がついていたので、彼は赤信号を堂々と渡ったことになるのだが、私の目からは、彼が強い意志をもって赤信号を駆け抜けたように見えた。それはどこか“度胸試し”をしているような走り方に、私の目には映ったのだ。

周りに友達がいたようには見えなかったので、どうやらひとりでこの“度胸試し”に取り組んでいたようだ。もしかしたら毎日の下校の習慣になっているのかもしれない。あるいは、それはただの私の勘違いで、彼のところからは車線を走る自動車や自転車がよく見えていて、安全をしっかり確認した上での飛び出しだった可能性もある。どうなのだろう。


あの飛び出しの瞬間は、その危険行為にヒヤッとさせられたし、多少の憤りを覚えた。ただ、友人たちと話している時に思い出されたそれは、少々違うニュアンスを帯びていた。彼の行為は、小さなことでクヨクヨと悩んでいる臆病な私とは対照的に、命を顧みずに挑戦する勇猛果敢な姿に映ったのだ。

もちろん、それは褒められた行いではないし、今後彼にはあの飛び出しを絶対にやめていただきたいのだが、そんなわけで私には、彼の走りが輝いて思い出された。


もしかしたら、彼が強い意志をもって赤信号の横断歩道を駆け抜ける限りにおいて、神は彼に交通事故を起こさせないかもしれない。彼の姿を思い出しながら、私はそんなことを考えていた。


「神は乗り越えられる試練しか与えない」といつ言葉が、ふと思い出された。きっとそうなのだろう。


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