父とえびピラフ
外でのミーティングの後、友人と新宿で落ち合った。たまたまそれぞれが興味のあるポップアップが伊勢丹で行われていたので、ふたりでそれぞれを見に行った。
その友人とは10年来の付き合いだが、一緒にいると夫婦に見られることがしばしばある。今日も「奥様もぜひ」と彼女が声をかけられた。もう慣れっこだったので、その言葉をスルーするのもお手のものだった。
それぞれの用事が終わってカフェでお茶をしながらあれこれ話していたら、急に雷が鳴り出した。それは徐々に大きくなり、しばらくすると大雨になった。私たちはそれを口実にしばらくカフェでダラダラと過ごした。
そんなわけで家に着いたのは夜8時半を回っていた。その頃には雨はかなり小ぶりになっていたが、まだ雷は鳴っていた。
外で夜ご飯にしようかとも考えながらの家路だったが、行きたいお店がなく、結局スーパーで買い物をして家で作ることにした。久しぶりにステーキを焼きたかったので牛ステーキ肉をかごの中に入れた。
ふと、家を出る時に炊飯器をセットするのを忘れてしまったことに気がついた。冷凍のご飯も今朝食べ切ってしまっていた。スーパーからの帰宅後にお米が炊けるのを待つほどの余裕は私にはなかった。ご飯を買って帰ろうかとも思ったが、インスタントの白米を買うのはなんだか“癪”だった。
そこで、冷凍のチャーハンを買うことにした。冷凍のご飯ものを買うなんていつぶりだろう。私が買う冷凍食品は、汁なし担々麺かちゃんぽんかどちらかなのだ。
冷凍のチャーハンを手に取ろうとすると、隣に「えびピラフ」があることに気づいた。
それは遠い昔の記憶を呼び起こした。
小学生のころだった。その日は珍しく母が外出で夜家にいなかった。そんなことはそれまで一度もなかったはずだ。
その頃には冷凍食品を温めたり、お茶漬けを作ったり、卵焼きなんかの簡単な料理は自分でできたので、夜ご飯には困らなかったが、なぜかその日は父が夜ご飯を準備するといって聞かなかった。普段何もしないあの父が、だ。
父が私に提供した食事はえびピラフだった。もちろん、冷凍食品のだ。その頃我が家ではよく食べられていたものだった。
ひと匙口に入れた。
まずかった。
ご飯がべちゃべちゃだったのだ。
どうやら冷凍食品をわざわざ常温でしばらく解凍させてから調理をしてしまったようだ。普段何もしないから、冷凍食品の作り方さえ父は知らなかったのだ。
スーパーのえびピラフを前に私が思い出したものは、ただ、その父の情けない姿ではなかった。
それを執拗に責め立てる私自身だった。
「冷凍食品ひとつ作れないんだよ!」と、私は帰ってきた母に何度も何度もいった。そこにはかなり純度の高い意地悪が込められていたように記憶している。父はまごつきながらニヤニヤしていた。ひどく卑屈に見えた。
私は、今更になってそのことをひどく後悔した。
ステーキ肉に思いの外脂身が多く、食後に胃がもたれてしまった。まだ仕事が残っていたが、20分ほど仮眠を取ろうと思い横になった。
深く眠らないように掛け布団を床に敷いてその上に寝転がった。目を瞑ってしばらくすると、私は夢とうつつの境目にある平均台の上にいた。
平均台の上で私は、少し前にネットで観た動画を思い出していた。
こんな内容だった。
監視カメラが捉えていた、南米のどこかの国でのギャングの抗争だった。車を挟んでの銃撃戦が行われた。車を盾に使っていた3人ほどのうちふたりが銃弾に倒れた。残りのひとりも大きな怪我をしたように見えた。3人は車の後ろに横たわった。
すると、一度立ち去った敵たちが、わざわざ横たわる彼らのところまで戻ってきて、ありったけの銃弾を浴びせ出した。3人は無抵抗で、銃弾が彼らの身体を跳ね上げるに任せていた。銃弾の雨の後に、敵たちはそそくさと立ち去った。画面には静寂が残った。
うまく寝付けなかった。私は平均台から降りて、身体を起こした。
私が自身が父親になることにこんなにもネガティブに感じている理由が、分かったような気がした。私はありったけの銃弾を浴びせられるのが怖いのだ。
怖くて怖くて仕方がないのだ。
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