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『世界香水ガイド』は良書であるか?

この記事は、以前別のところに書いたこちらの記事に加筆修正をしたものである。

もし悪魔が目の前に現れて、「お前の寿命の半分と引き換えに、欲しい物を1つだけくれてやろう」と言われたら、私は迷うことなく「センスが欲しい」と答えるだろう。香りの良し悪しを判断できるセンス。それには残りの人生の半分以上の価値があるように思う。
「センス」はどのようにして身につくのだろうか?経験は時間により、知識は書物により獲得し得るが、ことセンスとなると非常に難しい。
「一流のものに触れる」という人もいるが、何を持ってして一流のものとみなすのだろうか?

値段が高いものが一流のものである、と考える人は多いだろう。しかし例えば香水の世界を見てみると、(残念ながら)値段は高いが出来の悪い作品が少なくない。「一流の香水」とは、原料のクオリティと調香の素晴らしさを兼ね備えたものを指すべきである一方、香水の値段は往々にして、ボトルやパッケージ、宣伝広告費により決定されるからだ。

結局のところ、センスとは「一流とはなんぞや」と言う問いを発し続け、それに答え続けることでしか身に付かないものなのではないだろうか。それは経験や知識といった、量や質で測れるものではなく、「悟り」に近いニュアンスを帯びていると思う。

ところで、よりクオリティが高いものを味わいたいと思った時、我々はしばしば、外部の評価を利用する。センスのアウトソーシングとでも言えるだろう。食べログで評価の高い居酒屋に行き、特別な時はミシュランガイドを参考にする。パーカーポイントの高いワインをありがたがり、本を購入する前にアマゾンの評価に目を通す。トリップアドバイザー、ブッキングドットコム、とかく様々な評価を提供するサービスが存在している…

こういった評価サイトや評価本は、評価する主体である以上に、自身が評価の対象でもあり、「あいつの評価はなっとらん」という批判の槍に常に晒されることとなる。
このように、外部の評価というものは、どこまでいっても「信じるか信じないかはあなた次第」という類のものとなる。とは言っても、センスを身につけるための時間と労力に比べると、センスのアウトソーシング、つまり外部の評価を利用することの手軽さ及びそこから得られる満足は、十分に「コスパが良い」と言えるのではないだろうか。

香水の世界にも、レビューサイトや評価本が複数ある。その中でも特に有名な香水の評価本がルカ・トゥリンとタニア・サンチェスの『世界香水ガイド』だ。現在第3巻まで出ている。この本は、大手からニッチブランドまでの世界中の香水を、星1つ(Avoid)から星5つ(Masterpiece)までで評価している。

この2人による評価は、時として非常に手厳しい。例として、ここ数年で私が一番がっかりしたブランドの1つの、ある香水の評価を、ブランド名と香水名を伏せてここに引用する。

「このブランドのホームページには「サンダルウッドの品質には幅がありますが、最も上質で最も稀少なのはマイソール産の精油。私たちはそのセクシーで官能的でミルキーなノートに、イネ科では最も香り高いバスマティを合わせました」とある。しかし私の鼻は極上のマイソール産サンダルウッドを検知しなかった。そもそも、あれは今や実質的に入手不能なのだ。そしてバスマティの正体は2ーアセチルピロール、1キロ200ドルくらいで買える合成香料だ。しかも調合が悪いので匂いがひどい。それで100mlあたりのお値段は335ユーロ。」

『世界香水ガイドIII』ルカ・トゥリン、タニア・サンチェス

もちろん評価は星一つ。

私はこの本から多くの影響を受けた。彼らが高評価をつけた香水に対しては、「なるほど、これがいい香水なのか」と思い、低評価をつけた香水には、それまで好きだった香水であっても、何だかその好きという気持ちが汚されてしまったように感じた。本の端から無数の付箋が顔を出し、所々にメモが記されている。

最近あまり開かなくなっていたこの本、何か紹介に値する評価文がないものか、と思いパラパラとページをめくってみたが、引用したいと思える評価文を見つけることができなかった。どの評価文を読んでも、何かが違う、と感じてしまうのだ。

結局のところ、私にはもうこの本は必要なくなっていたのだ。

誤解して欲しくないのだが、この本は素晴らしいし面白い。彼らは真剣に香水に向き合い、きちんと評価しているように思う(が、タニアの評価はルカのそれと比べて若干質が低いように個人的に感じる。なんというか、“調子に乗ってる”気がするのだ)。

しかしながら、評価というものは、どこまで行っても主観的なものであり、この本を読んで得られるものは、あくまで筆者の鼻を通しての香りの評価でしかないということも忘れてはならない。

この本の優れているところは、彼ら、特にルカのセンスがそこに凝縮されているところだと思う。「評価は客観的であるべきだ」と言う外野の野次なぞどこ吹く風、彼らは彼らのセンスに忠実に香水を評価している。それはただの好みによる評価や、“客観的”であろうとする評価とは違い、「良い香りとはなんぞや」という彼らの哲学を感じさせるものとなっている。そのセンスを獲得するに至るまでの“思索の旅”を、行間から漂う香りとして感じ取ることが、この本の“正しい読み方”なのではないだろうか。

一方で、私がこの本を読み返して抱いた違和感は、私はもう自分のセンスを獲得しつつあり、それが彼らのものとは異なっていた、と言うことの表れなのだと思う。ちょうど映画『魔女の宅急便』の中で、キキがジジの声を必要としなくなったように、私は彼らの評価から離れ、今は私自身のセンスとともに香水に向きあっている、と感じた。

それでも、私はもしさらなるセンスを獲得できるのなら、悪魔に魂を売り渡すだろう。香水を作るということは、そういうことなのだと思う。

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