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ご機嫌な柴犬

「裕太さんは基本的には“陽”だけど、多くの人がそれに気づいてないはず」

先日、友人からそんな指摘を受けた。それぞれ言葉は違えど、この手の指摘を受けることは実ははじめてではない。どうやら私には、私の意図せぬところで大きなギャップがあるようだ。


彼女のいうところの“陽”は、察するにいわゆる一般的な「陽キャ」とは違うはずだ。私はバカ騒ぎやワイワイするのがあまり得意ではない。むしろ嫌っているくらいかもしれない。そもそもどちらかというとひとりでいることの方が好きだ。ネガティブに考えてしまうこともよくあるし、結構しっかり落ち込むこともある。

彼女が感じ取っている私の陽の部分というのは、多分私の“基本スタンス”だろう。私は常日頃から、自分自身が心地よく、ご機嫌でいたいと思っている。だからなるだけ嫌いなことや苦手なことは排除したいし、嫌なことからはすぐに距離をとるようにしている。我慢してでも勝ちたい、上にいきたい、儲けたい、という気持ちは希薄である。

また、どんなことにおいても、心のどこかで「ま、なんとかなるさ」と考えているのも、私の陽の一部かもしれない。大変なことや不安に思うことはたくさんあるけど、今までなんとかしてきたし、これからもどうにかなる。そういった楽観的なところは、陽の部分だといえそうだ。


いずれにしても、私は自由でいたい。自由になった私は、好きなものや美しいことに囲まれていたい。私の根底には、こういったとてもシンプルでピュアな気持ちがあるのだ。


それでは、なぜ“陽”な私が“陰”だと思われがちなのだろうか。

彼女曰く、ひとつは私の“ワーディング”に問題があるとのこと。陽キャの「ウェーイ」的な、あるいは“ノリ”のような部分が少なく、より的確に表現できるように言葉をチョイスしようとしているところに、陽的な要素が少ない、という指摘だ。確かにそういわれてみればそうかもしれないが、そういうワーディングこそが私の「心地よさ」につながってくる。考えをより正確な言葉で伝えられるというのは、私にとっては心地のよい感覚なのだ。

また、noteに書いているテーマも、ぱっと見は必ずしも“陽”ではないだろう。笑えるような内容はほとんどないだろうし(私個人としてはそこそこ笑える内容も織り交ぜているつもりなのだが…)、ウケを狙うようなこともほぼ書かない。ただ一方で、“陰”かと聞かれればきっとそれは違うだろう。暗いテーマ、というわけではないはずだ。

noteは書きたいことを書き連ねているだけであることもあり、これは私なりの“陽”全開なのだ。私は暗い気持ちでnoteを書いているわけではなく、私なりにハッピーなことを綴っているのだ。


ここ最近、私はよく、散歩に行く際のご機嫌なワンちゃんを想像する。私の頭の中に登場するワンちゃんはモフモフの柴犬で、赤いリードが付けられている。基本的にはルンルンだが、時折飼い主に引っ張られ、行きたい方向に行くことができない。

このリードは少しずつ緩くなっているし、その長さも徐々にだが長くなってきている。柴犬はゆっくりと自由を獲得しているようだ。

私はいつか、この赤いリードという制約条件が外れる日が来ればいいなと思う。その日がいつくるのか、それともそんな日はずっと訪れないのか、私にはよくわからないが、仮にリードが外れなかったとしても、いつもどんな時も、柴犬がご機嫌でいられることを、私は祈っている。


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