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パノプティコンとデウス・エクス・マキナ

「まるで、パノプティコンみたいなんだ」

発した瞬間のほんの刹那だけ前から、僕は後悔し始めていた。


僕はその時、彼女に向かって僕の大学の学食がどのように酷いかを話していた。学食らしからぬ値付けに、学食のそれに及ばない味、そこで働く人の愛想に至っては学食であるにもかかわらず「煮ても焼いても食えない」ものだった。

その学食の雰囲気は、いつか本の中の絵で見た「パノプティコン」を僕に思い起こさせるものだった。パノプティコンとは、ベンサムが考案した刑務所で、その本の中では、看守からは囚人が監視できるが、囚人からは看守が見えない構造になっている、という点においてそれは“画期的”なものだとされていた。僕の大学の学食は、円筒形で天井がドーム型をしているという構造上の共通点もあるのだが、それ以上に、どこかで誰かに見られているような“薄気味悪さ”を感じずにはいられないような雰囲気を持っており、僕はそれをこの刑務所で例えたのだ。

「パノプティコン?」

そうだ、パノプティコンなんて、知っているはずがないのだ。そんなことはこの単語を発する前からわかっていた。僕は「パノプティコン」なんて単語を、彼女に対して使うべきではなかったのだ。

ただ、僕は僕なりに努力した。僕はその発言をする直前、「まるで」の後に続く彼女にも伝わる適切な単語を、ほんの刹那ではあるが、僕の中の辞書をめくりにめくり探してみた。探してみたのだが、「パノプティコン」に勝る単語はそこにはなかったし、僕の喉の辺りには既に「パノプティコン」が待ち構えていた。彼女に対して使う適切な言葉でないと頭ではわかっていたが、身体が追いつかなかった。そう、「まるで」まで発したあとには「パノプティコン」が出る悲しい運命だったのだ。


僕と彼女は所属しているサークルで出会った。僕は共学の国立大に行っているが、彼女は近くの女子大の学生だ。いわゆる「インカレサークル」と呼ばれる、他大学の学生も受け入れるタイプのサークルで、サークルの活動内容はさして重要ではない。大切なのは国立大に通う男の子と女子大に通う女の子が、共通のアクティビティに参加する、ということだ。

なぜインカレサークルはうちみたいに女子大の学生のみを受け入れるところばかりなのだろうかと、大学入学当初はそんなことも考えてみたが、結局のところ、可愛い女の子と出会いたい僕みたいな男と、「頭がいい」とされている学生と出会いたい彼女みたいな女が、この世の中にはたくさんいるという、大変シンプルな社会的背景がそうさせているだけなのだろう。この世は複雑なようで単純なのだ。


「パノプティコンっていうのは…」

彼女に説明をしながら、僕の思考は彼女のこれまでの細かな行動に及んでいた。

LINEのメッセージで「いう」を「ゆう」と書くところ、調整していたスケジュールを何食わぬ顔で簡単にひっくり返すところ、映画の趣味が絶望的に合わないところ、僕の冗談を真に受けるところ…今まで“見て見ぬふりをしていた”あれこれが、「パノプティコン」をきっかけに、肌触りの悪いセーターみたいにチクチクと気になり始めた。

きっと彼女に「デウス・エクス・マキナ」なんて言っても、通じないんだろうな…と、僕は「パノプティコン」の説明をしながら考えていた。「機械仕掛けの神」と訳されるラテン語で、舞台などで収拾のつかない状況になった時に現れる絶対的な力を持った神のような存在が、全てを整理して物語を収束させる手法を意味する。村上春樹の『ノルウェイの森』で、主人公がひょんなことからちょっとの間看病することになる友人の瀕死の父に向かってこの言葉を説明するシーンがあるが、もし僕が同じように彼女にこの言葉を説明しても、死にかかっている人への説明以上に無意味なものになってしまうような気がしてならない。そもそも、「パノプティコン」の説明だって、きっとあまり理解してもらえていないのだろう。

別に「パノプティコン」も「デウス・エクス・マキナ」も知らなくていいのだ。ただ僕は、「いう」を「ゆう」と書くことや映画の趣味の悪さに加えて、「パノプティコン」も「デウス・エクス・マキナ」も知らない彼女に、耐えられなくなり始めていた。


僕がパノプティコンの看守、彼女はそこにいる囚人で、彼女は自分が囚人であることも、僕から監視されていることにも気づいていない…そんな様子を、ぼんやりと想像していた。


「へぇ、すごいね、やっぱり物知りだね、さすが」

彼女の無邪気な笑顔に、僕は反吐が出そうになった。

きっと彼女は、デウス・エクス・マキナのように、彼女がどんなにしっちゃかめっちゃかな状況を作り出してしまったとしても、それをいともたやすく整理整頓してくれる存在として僕を見ているのだ。今まではその視線を心地よく感じていたが、今日のある瞬間から、それすらも疎ましくなってしまった。

彼女がサークル内の噂話を熱心に話している間、僕はクラスメイトの、きっと人生で一度も「いう」を「ゆう」と書いたことのない、ある女の子のことを考えていた。もしかしたら彼女なら「パノプティコン」も「デウス・エクス・マキナ」も知ってるかもしれない。もし仮に知らなかったとしても、きっと僕の説明でしっかりと理解してくれるはずだ。そしてそのお返しに、僕の知らない言葉をいくつか教えてくれるのだ。

ただ、僕はその女の子と僕が一緒にいる姿をうまく想像できなかった。もし僕たち2人がカフェで談笑しているところが写真に収められたとして、僕はその写真をシュールレアリスム絵画のように受け止めるだろう。現実感のない、不思議な情景に感じられるはずだ。


「ねぇ、デウス・エクス・マキナって知ってる?」

もし彼女が、デウス・エクス・マキナを知らなかったら、僕はパノプティコンの看守を一時的に辞めることになるだろう。それでも彼女は、きっとすぐに新しい看守を見つけて、そいつに自分を監視させるのだ。パノプティコンの囚人として、見えない看守に監視されながら生きていくことを望む女たちと、自分が全てを牛耳っているような錯覚を得られるパノプティコンの看守になることを望む男たちで、インカレサークルは溢れかえっているのだから。

そして僕はまたきっとすぐにパノプティコンの看守に復帰することだろう。パノプティコンが本当に“画期的”であるのは、看守さえもそこに囚われてしまうという点なのだから。


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