見出し画像

花火を見にいく

とても気分が落ち込んだまま、花火を見にいくことになった。


そういえばここ数年、毎年花火大会に行っている。昨年は久留米の花火大会、一昨年は神宮外苑花火大会に足を運んだ。今年はひょんなことから友人に誘われて、多摩川河川敷で行われた「平和記念花火」(大田区平和都市宣言記念事業「平和のつどい」の中の催し)にいくことになった。

3時ごろに友人宅に到着。そこで落ち込んでいる原因を話したり、くだらない話題に花を咲かせたりしながら、7時過ぎの花火まで時間を過ごした。少し気持ちが楽になったこともあり、24時間ほど何も食べていなかったがそこでようやく食欲を取り戻すことができた。

友人たちと時を過ごしながら、なぜ人生には嫌なことや辛いことがあるのだろうか、と考えていた。そういったものはこの高度に発達した現代社会においても取り除かれ得ないものなのだろうか。

いずれにしても、嫌なことや辛いことがあった時、それとはとにかく早く決別することが重要なのだろう。そういったことにかまけているほど人生は長くないし、他のことに労力を使うべきなのだ。

だいたいにおいて悩みというものは時と共にその深刻さを失っていく。悩み出したタイミングは“この世の終わり”のように感じていたことも、気がつけば“屁のつっぱり”ですらなくなる。そういうものなのだろう。

屁のつっぱりは早く捨ててしまって、次に進もう。そうしよう。


一通り食べて話した後、河川敷の花火会場まで移動した。友人たちが場所取り、椅子等の手配、食べ物飲み物の用意まですべてしてくれていた。蚊取り線香、虫除けスプレー、さらにムヒまで、全て揃っていた。ありがたいったらありゃしない。

「25分間で4,000発」の花火が上がるとのことだったが、花火における「1発」が何を指すのか見当がつかなかった。大きくドーン!と上がるものは、1発なのだろうか?それともあれはいくつかを束ねているのだろうか?4,000発ということは平均して1分間に150発上がることになるが、本当にそんなに上がっているのか、数えてみようかな…

と、花火が始まる前はそんなことをつらつらと考えていたが、いざはじまってみると「花火における1発の定義」などという色気のないテーマのことはすっかり忘れてしまった。閃光から音までのタイムラグから推測するに、1.5キロほどの距離のところから上がっているようだった。大小様々な光が宙を舞った。刻一刻と変化するその姿の中で、より美しい刹那を切り取りたくて、カメラのシャッターボタンを何度も押した。帰って見返してみると、そのほとんどがその美しさを損なったものだったが、中には美しい、あるいは面白い、と感じさせてくれるものもあった。


花火の後、一度友人宅に戻り、ちょっとした誕生日のお祝いをした。その日が誕生日のお祝いだったと知らなかった私は見事に手ぶらできていたが、そんなことを気にする人はそこにはいなかった(と思う)。


友人宅を出たのが9時45分頃。Googleマップ上では自宅まで自転車で1時間と表示されていたが、実際は45分ほどで到着した。

45分の間に、いろいろなことを考え、それに伴っていろいろな感情が湧き起こった。夜の街を駆け抜ける私と自転車は、いろいろなものを撒き散らしていたかもしれない。

家に到着した時にふと、Googleマップ上で表示されていた1時間と実際に走った45分の差である15分はどこへ消えてしまったのだろう、と思った。それは元からなかったのだろうか。それとも何かと一緒に蒸発してしまったのだろうか。


後者であってほしいな、と思う。嫌なことや辛いことと一緒に、夜の街に消えてなくなってしまえばいいのだ。


【çanoma公式web】

【çanoma Instagram】
@canoma_parfum
 #サノマ #香水 #フレグランス #ニッチフレグランス #canoma #canoma_parfum #パリ
#フランス

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?